現代時評《記者会見》片山通夫

「菅義偉首相は26日、6府県を対象とする新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言先行解除に際し、通例となっている記者会見を開かなかった。国民に説明を尽くしたとは言い難く、首相の長男らから高額接待を受けた山田真貴子内閣広報官に焦点が当たる事態を避けたいとの思惑がにじむ。与党からも「山田隠し」の意図を指摘する声が出た。」(時事通信)

記者会見は政権に就くものが国民にその政策なりを説明して政策を推し進めるための原動力を得るためには、欠かすことができないモノだ。辞書に見ると「記者会見(きしゃかいけん、英語:press conference、news conference)とは、一つの場所で人や団体が複数の記者に対して発表や説明を行い、質問の受け答え(インタビュー)をする会合である。」(ウイキペディア)とある。また広辞苑では「一定の場所に記者を集めて情報を提供したり質疑応答を受けたりすること。」とある。

各国の記者会見の様子が朝日新聞でリポートされているので少し紹介したい。

英国のジョンソン首相は、ロックダウン(都市封鎖)に踏み切る際など、頻繁に記者会見してきた。2月だけでも4回開いている。一般の人の質問2問と、記者の質問を5問程度受け付ける。ネットで中継され、テレビでも生中継。

ドイツのメルケル首相と各州の州首相が2~3週間ごとに対策を話し合って開く会見は、リーダーが様々な規制への協力を肉声で求め、市民の苦労をねぎらう機会になっている。2月10日の記者会見でメルケル氏は新規感染者が減ったことに触れ、「市民の行動に感謝したい。非常に厳しい措置が効果を発揮している」と。

NZのアーダーン首相は、全土でロックダウン(都市封鎖)を敷いた昨年3~4月にかけて、ほぼ連日、記者会見を開いた。2月14日も最大都市オークランドでの3日間のロックダウンを自ら発表。原因となったクラスター(感染者集団)はわずか3人だったが、感染力が強いとされる変異株による感染のため、「早く厳しく(対応に)動けば後悔しない」と理解を求めた。

かなり要約したがざっとこんな具合だ。
しかるにわが国の記者会見というのはとても記者会見とは言えない代物だ。まず会見は内閣の広報官がすべて仕切る。というのはおそらく前もってペーパーで質問内容を届けて、それに基づいた質問にしか首相は答えない。いや答える能力がないと思う。安倍前首相は国会の答弁でも「質問書にはない」と言い放った。
つまり突発的な質問には彼らは「答えることができない」ということだ。能力のない者が首相になると国民は不幸の極みである・

話は変わるが1972年6月。足掛け8年にも及ぶ佐藤首相が退任した。退任の記者会見で「新聞記者は出てください」と言ってテレビカメラに向かって(国民に向かって)直接話したというエピソードが残っている。また政治部の記者では追及が出きにくいとばかりに、社会部の猛者が会見に臨んだという話も記憶にある。

そういえば急先鋒の質問でなかなか当てられない東京新聞の望月記者が有名だ。菅幹事長(当時)が「あなたに答える必要はない」といら立つことがあった。彼女は政治部ではなく社会部らしい。そして「空気を読まない」と記者仲間からも批判があるようだ。

最後に「官邸はメディアの分断を進めていると感じます。政権に批判的なテレビ番組が終わり、キャスターやコメンテーターが次々変わっています。記者として、官邸や政権の扉をたたき続けなければと思います。やり方は人それぞれ。記者として、当たり前のことを当たり前に続けていきたいです」とは東京新聞の望月記者の言葉である。         神戸新聞NEXT より

現代時評《女性蔑視発言批判にみる市民意識の変化》井上脩身

私が入っている川柳同好クラブで最近、後任代表をめぐる混乱から、クラブ存続の是非にまで話が発展した。入会してまだ日が浅い会員たちが、十年一日のクラブ運営に疑問をいだきだしていたところ、コロナによる活動の制約と相まって、一気に不満が噴出したのだ。コロナ禍のなか、「先輩の決めたことに黙って従え」式のやり方に厳しい目が向けられるようになったのでは、と考えていたとき、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言がとび出した。森氏は翌日、記者会見をして謝罪した。従来ならこれで収まっただろう。ところがSNSを通じて批判が殺到、森氏は辞任に追い込まれた。私はオリンピックについても、商業主義にどっぷりはまった開催に対する人々の意識が変わりだした証左だと思った。組織委は17日、橋本聖子・五輪担当相を後任会長に選んだ。橋本氏は森氏の秘蔵っ子であり、人選の背後に政府の意向があったことはまぎれもない。政府もJOCも国民意識の変化に全く気付いていないようである。 “現代時評《女性蔑視発言批判にみる市民意識の変化》井上脩身” の続きを読む

現代時評《無為に流る時間》山梨良平

少しはおさまってきたと思ったら、さっそく「緊急事態宣言解除」を要請だとテレビでわめいていた知事がいた。そう、あのイソジン知事である。なんでも経済的に苦しいからだそうな。これでは経済が破綻するという危惧かららしい。大阪のことである。大阪府はかなりの財政的な余裕があると見えたのだが、維新政治は「自分たちが府の財政を使うのには躊躇しない」が「府民のために使うのは嫌だ」という姿勢のようだ。100億も使って二度目の大阪都構想の住民投票のことだ。 “現代時評《無為に流る時間》山梨良平” の続きを読む

現代時評《叩けよ、さらば開かれん》片山通夫

筆者は決して信心深い人間ではない。むしろ無神論者にほぼ同じ、つまり罰当たりと言われるかもしれない。しかしこの程度の言葉は知っている。
「叩けよ、さらば開かれん」とは《新約聖書「マタイによる福音書」第7章から》ひたすら神に祈り、救いを求めれば、神は必ずこたえてくださる。 転じて、積極的に努力すれば必ず目的を達成することができるという意味らしい。 “現代時評《叩けよ、さらば開かれん》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《悩ましい日々 4》片山通夫

緊急事態宣言が3月7日まで伸ばされた。結果としての現状のコロナ禍の中、これは仕方のないことだ。ただこの宣言によってさまざまな影響が出る。変な表現かもしれないが、前政権の時は国民一人当たり10万円という給付金があった。これで息をついた家族も多くいたと思う。ところが第3次ともいわれる今、財務相は早々に今回は給付しないと言明した。菅首相は最後には生活保護がわが国にはあるとうそぶいた。国民の血税をどのように使うかという最も大切な問題を、たった一人や二人の政治屋に任せなければならばならないわが国の状況を国民は肝に銘じておきたい。
政治に無関心に多数の国民がなると、非常時といえる今、たった2人の政治屋に国を誤らせることになる。冒頭に「現状では仕方のないことだ」と書いた。しかし今に至るまでこの自民党政権の無策がこの現状を招いたといっても過言ではない。新自由主義だかなんだか知らないが、国公立病院の統合や予算削減、保健所などの統合、人員削減など、いわゆるセーフティネットの予算を削減してきたつけが今押し寄せてきているのではないか。今更書きたくないが日本国憲法には《(第二十五条)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。》とある。今こそ首相に生活保護があると言わさないため、国民は政治にもっと関心を持たなければならない。
*筆者註:生活保護を受けるということが悪いというのではない。生活保護を一般に国民の間に行き渡れば、つまり憲法25条の条文の通りに生活できれば、もっと言えば国民すべてが医療保険と生活保護を受けることができる国になればそれはそれでいいという意味であり、今のような状況で窓口で断られる状態で首相に「わが国には生活保護がある」とは言ってもらいたくはない。ただどこかのバカ学者が「ベーシックインカム7万円」といったのにはあきれた。一度その金額でアンタが生活してみなと言っておく。

現代時評《首相!華麗な変身を》山梨良平

自粛警察とは大きな災害発生時や感染症の流行に伴う、行政による外出や営業などの自粛要請に応じない個人や商店に対して、偏った正義感や嫉妬心、不安感から、私的に取り締まりや攻撃を行う一般市民やその行為

コロナ禍の中、○○警察なる自粛警察がはびこって来ているようだ。最近ではウレタンマスクをしている人を攻撃するウレタン警察なんてものも出てきたとか。
自粛警察の典型例は「県外ナンバーは帰れ!と怒る人の正義感」という記事もみた。少し冷静になれば、県外ナンバーといったって道路一つ隔てて県外、または引っ越してきて県外ナンバーなのかもしれない。自然災害の途に、日本人は優しい、お互いに助け合って災害を乗り越えている姿に感動したなどと外国人から褒められたり、その姿が外紙に掲載されたりしたあの日本人はどこへ行ったのだろう。○○警察はなぜ生まれたのだう?と疑問の思う人も多い。こんな時だ、優しさをなくすことはしたくない。

話は変わって、ようやくコロナ禍の中で国会が開かれた。菅首相をはじめ内閣は失礼な話だが全く体をなしていない。今最も必要なのは国を、国民を滅ぼさないようにすることだろう。菅内閣は一体なのを守ろうとしているのか、はなはだ疑問だ。議論は全く議論の体をなしていない。菅氏の最も悪い面が前面に出てきている。1月27日の参議院予算委員会で立憲民主党の蓮舫氏は「そんな答弁だから、(国民に首相の)言葉が伝わらない」と迫ると、「少々失礼じゃないでしょうか」と色をなして反論。」したという記事を見た。
詳細は上のリンク先の毎日新聞をお読みいただきたいが、彼女の首相に対する言葉は少々きついかもしれないが、的を得ている。もちろん物には言いようということもあるが、首相の木で鼻をくくったような答弁や官房長官時代の記者会見を見てみると、まったく「(国民に首相の)言葉が伝わらない」はその通りだ。

アメリカで新大統領が「分断から融和へ」をモットーにスピーチをした。菅首相も「国民の支持をバック」に、このコロナ禍のなか、大胆な政策を打ち出せれば、まさか二階幹事長も経済優先でNOとは言えないだろうと思うのは甘いのか。もちろん前提に「国民の圧倒的な支持」が必要だが…。

それこそ、こんな言い方は失礼だが、どうせ現在の支持率も低いし、下手をすれば早晩退陣ということになる。それなら、歴史に名を残してもらいたいものだ。マスコミと野党とそれに続く国民を味方につけて「華々しい退陣覚悟」の政策を打ち出すべきだ。

菅首相!こんな困難も、天が与えた好機ととらえてみては?