お知らせ

当サイトの管理人、片山が怪我で入院することになりました。
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以上おしらせまで。

追跡「サハリンの冬/012」

ソ連崩壊後しばらくは難破船も片づけることができなかった。スタロドゥプスコエで。

ソ連崩壊

筆者の知り合いの朝鮮人の話。彼は日本語が堪能だ。6歳の時、家族とともに樺太に来た。そして日本人として日本の小学校を出てその後ソ連の電気工事に関する学校を卒業し元気技師としてある工場に配属された。ある日の昼休み、その男は同僚たちと昼食をとっていた。場所は工場の食堂。何気なくみんなでテレビを見ていると、ゴルバチョフ書記長が演説をしていた。書記長の演説は日常茶飯事なので誰も気に留めなかった。ナノげなく聞き流しただけだった。
夕方、退社時間に工場長から話があるというのでみんなで食堂に集まった。そこで工場長から「国が滅びた」と告げられた。誰も信用しなかったし理解できなかった。
ちょうど日本が戦争に負けたと天皇から告げられた時がそうだったのかもしれない。

現代時評[写真よもやま話ー5ー]片山通夫

さて写真の話。まず当時使っていたカメラ機材は先に述べたようにレオタックス、レンズはトプコール50ミリf2。なぜこの組み合わせだったかというと、中古市場で安かったからに尽きる。フィルムはコダックTRI-Xという舶来のフイルムには手が出なかったので、ネオパンSSS(スリーS ASA200)だった。このフィルムは当時仕上がりが荒くてコントラストも強かったと記憶する。 “現代時評[写真よもやま話ー5ー]片山通夫” の続きを読む

追跡「サハリンの冬/009」 

芋床の中で聞く放送

このようにラジオを聞いたと話すひと

「もう祖国は自分たちのことを忘れてしまった」ある残留朝鮮人は夜ごとウオッカを呑みながら泣いて過ごしたと話す。それでも時には自宅の芋床(芋を保存するための室)にラジオを持ち込んで近所の朝鮮人たちと聞いていた。
「何を聞いていた」と訊ねたら、「祖国韓国のKBS放送や日本のNHKを」とこたえた。芋の室に隠れてアンテナのリード線を伸ばしてアンテナ代わりに短波放送を聞いていたという。しかしこれらのラジオ放送でサハリンに関してのニュースは流れなかった。
「祖国は我々のことをもう忘れてしまったのだ」とまた酒に酔って泣いて過ごした」と聞いた。

筆者も子供の頃、趣味で鉱石ラジオを組み立てて屋根の上まで針金を伸ばしてNHKなどの放送を聞いたことがあった。しかし命がけで芋室の中に潜んで聞いたことはない。ソ連時代は外国の放送を聞くことはスパイとして重罪だ。

追跡「サハリンの冬/008」

ソ連時代のサハリン

バザールで働くロシア人

サハリン残留朝鮮人たちは「同じ日本人だったのにどうして自分たちは祖国に帰れないのだ?」と常に疑問に思っていた。ソ連は彼らにソ連の国籍(ロシアの国籍)を取るようにすすめたことは言うまでもない。しかし大半のサハリン残留朝鮮人たちは無国籍でいた。
理由は簡単である。 “追跡「サハリンの冬/008」” の続きを読む

追跡「サハリンの冬・007」

日本人から解放されたけれど

写真はイメージ

日本人は帰ってしまった。墓までもって。しかし彼らが連れてきた朝鮮人を置き去りにした。そしてソ連人がやってきた。ソ連人は当たり前のことだがロシア語を使うので、残された朝鮮人にはわからない。そこで通訳として中央アジアに住んでいるロシア語の話せる朝鮮系の人々を連れてきた。彼らは朝鮮人のことを一段も2段も下に見て接した。彼らの言葉はなじみのない朝鮮半島北部の言葉だった。かつてロシア沿海州へ移住した人々の子孫が多かった。

追跡「サハリンの冬/006」

最後の稚内行連絡船

稚内港北防波堤ドーム

サハリンの南半分は戦前日本の領土だった。行政は樺太庁という役所をおいて納めていた。樺太には日本人のほかに朝鮮人も多くいた。北海道新聞の調査によるとおよそ6万人だったらしいが、例によって日本はそんなに朝鮮から行っていないと、この数値が多すぎると問題化した。 “追跡「サハリンの冬/006」” の続きを読む

追跡「サハリンの冬・003」

強制連行

イメージ

いろいろな説があり「嘘だ、まことだ」と日韓の間で争われているのが「慰安婦問題」と「強制連行問題」である。筆者はこの強制連行の問題に関しては詳しく調べてみた。まず日本側は兵站の問題を抱えながら、無謀な戦争を引き起こした。勢い兵士が不足してくるわけだ。 “追跡「サハリンの冬・003」” の続きを読む

追跡「サハリンの冬・002」

サハリン残留朝鮮人

サハリンの冬の楽しみ「老人クラブで」

さて「サハリン残留朝鮮人」という呼び名に関して少し説明しておきたい。ソ連邦が崩壊し、ロシアがそのあとを継いでサハリンに住む朝鮮人たちにも春がやってきた。それまでは「朝鮮人」といえば北朝鮮人を指した。しかし「樺太の朝鮮人」たちは「元日本人」であり、韓国南部出身者が大半だった。 “追跡「サハリンの冬・002」” の続きを読む

追跡「サハリンの冬・001」

インターネットから

サハリンは北海道・稚内から宗谷海峡を隔てた海上の島である。南北に900キロほどもありその面積は北海道に匹敵するらしい。日露戦争で勝利した日本はサハリン島のおよそ半分である北緯50度線以南を領有した。以後1945年まで樺太と呼んでいたが、戦後日本の敗戦によって樺太はソ連が占有した。 “追跡「サハリンの冬・001」” の続きを読む