現代時評《弥生3月》片山通夫

旧暦では、和風月名(わふうげつめい)と言う「月」の和風の呼び名を使用していた。その和風月名によるとご存じのように弥生は3月のこと。
木草弥生い茂る(きくさいやおいしげる、草木が生い茂る)月という意味らしい。もっとも旧暦(太陰暦)での話なので、いま私たちが使っている新暦(太陽暦)とは1、2か月のずれがあるが、ここではそのようなややこしい話は無視したい。つまり新暦であっても3月は弥生と呼ぶ月なのだと思って貰えるならうれしい。

山家集(さんかしゅう)と言う歌集がある。西行法師の歌集である。

花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に
ねかはくは花のしたにて春しなん そのきさらきのもちつきのころ
仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば

如月(きさらぎ)は旧暦二月のことなのだが、「はなのした」の「はな」は桜の花を指すらしい。西行は桜の花が好きだった。上の3首はその山家集にまとまって収録されている。

ところで今年の3月の満月(望月・もちづき)は25日16時。この満月はワームムーン(Worm Moon)とアメリカ先住民の間では呼ばれている。作物の収穫や狩猟など大自然と共存するライフサイクルなので、季節を把握する力が備わっていた。虫がうごめきだす季節で種まきの準備を考える時期。我が国でも3月頃には「啓蟄(けいちつ)」と呼んで冬ごもりの虫が地中からはい出る頃を指す。

啓蟄を啣(くわ)へて雀飛びにけり  1934年・川端茅舎句集より
ここにも春が。しかし最近雀も目にしなくなった。

また「弥生文化」という言葉がある。辞書などによると、《日本で食料生産に基づく生活が始まった最初の文化。縄文文化の伝統のうえに大陸文化が到来して成立。稲作・米食、青銅器・鉄器の製作・使用、紡織などが始まり、専門技術者が生まれ、支配・被支配の関係が生じ、地域社会が政治的にまとまりはじめた。》とのことであり歴史上の一時代を指すらしい。この頃から集団の長(おさ)が生まれ人々は長に統率されて行く。

弥生時代のごとき自民党派閥にとっては、厳寒の春。

註 西行は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人 で西行法師と呼ばれ、俗名は佐藤 義清。憲清、則清、範清とも記される。西行は号であり僧名は円位。後に大本房、大宝房、大法房とも称す。 和歌は約2,300首が伝わる。勅撰集では『詞花集』に初出。 ウィキペディア
註:山家集は、平安末期の歌僧・西行の歌集。収録された歌は約1560首