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ONCE UPON a TIME 外伝 ”ホノルル上陸”片山通夫

クリーブランド大統領

4月の日本は寒くはないが決して暑くはない。横浜では桜はすでに散って東北辺りで満開だと思われた。前に書いたが乗っていた豪華な客船はクリーブランドというアメリカ大統領の名前がつけられていた。
それはともかく、船はハワイ・ホノルルに着岸した。24時間だったかの滞在である。下船時の持ち物は現金、水泳具一式、カメラだった。残念ながら国際免許はもっていなかった。まさかハワイでドライブできるとも思っていなかったので、持ち出さなかった。
まず他の乗客とワイキキへ行き泳いだ。海の色は濃く雲は白く空はあくまで青かった。

そうこうするうちに泳ぐのも飽きてきたのでレンタカーを借りようということになった。船で同室の仲間とで。
書くのが遅くなった。僕の部屋は所謂船倉で窓のない6人部屋だった。
レンタカーはすぐに借りられた。ただし前金。金額は忘れた。
その車であちこち走り、最後に日本から移民してきた大家族と知り合った。
総勢20人くらいいたと思う。なんでもバナナのプランテーションで働いているとの話氏だった。夕日に映える家族写真は圧巻だった。でもカラー写真でなくて今のようにデジタルでもなかったので後日郵送するということにした。

Once Upon a Time 外伝 ”ブルー・ライト・ヨコハマ”片山通夫

プレジデント・クリーブランド号(インターネットから)

1969年4月。ボクは横浜の大桟橋に向かった。最後にこの横浜港大桟橋のメモをつけておくが、開国日本の歴史そのものだと思う。
それはともかく、ボクは船で太平洋を渡りサンフランシスコまで行き、そこからアメリカ大陸を南下しメキシコへ行く予定。何しろ当時最も安いのは船だった。飛行機なんて高嶺の花。その船の名前はプレジデント・クリーブランド号。びっくりした。何しろ汽船で海を渡るなんてはじめてだし、ましてイギリス船籍の汽船・・・。船内すべて英語。おまけにテストケースだったのが、船の等級にかかわらずプールやデッキ、バーにレストランは本来あるはずの垣根が撤廃されていた。
ボクは当然昼は泳ぎ、夜はバーで過ごした。
このバーにはジュークボックスなるものがあり、レコード音楽が夜毎流れていた。そのバーでボクは「ブルー・ライト・ヨコハマ」というヒット曲を知った。この曲はご存じの通り1968年に出た石田あゆみという歌手の大ヒット曲。最も無骨なボクは音楽にはとんと知識がなかった。しかしこれは後日キューバででも困った。
MEMO
1859年 安政6年横浜港開港
1892年 明治25年イギリス波止場の延長線上に鉄桟橋架設工事着工
1894年 明治27年鉄桟橋(大さん橋)竣工約19m 長さ約457mメリケン波止場と呼ばれる
1895年 明治28年鉄桟橋に第一船「グレナグル」(イギリス船)入港
1923年 大正12年関東大震災で桟橋部陥没、上屋焼失
1945年 昭和20年進駐軍(米軍)が大さん橋を接収。サウスピアと呼称
1952年 昭和27年接収解除
1964年 昭和39年東京オリンピックに合わせて国際客船ターミナルが完成
2022年 令和4年 現・大さん橋ターミナル、リニューアルオープン20周年

Once Upon a Time 外伝 ”ちょっとキューバを取り巻く歴史”片山通夫

1969年9月2日に亡くなったベトナムのホーチミミンを悼むカストロ・ハバナ・革命広場で

フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となってアメリカ合衆国の影響が強かったキューバのフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒し、武装解放闘争が成功したのは首都ハバナに入城した1959年1月1日。カストロたちが革命を起こしたのは、バチスタ政権がキューバを食い物にするアメリカ資本に対して何もできなかったことが主な原因。これによってキューバにあった、砂糖プランテーションを中心としたアメリカの権益は失われ、両国は険悪な仲になった。同時に首都ハバナのカジノなどの歓楽街からアメリカ人の姿は消えた。
その後、1962年10月から11月にかけて、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していた。これに対抗してアメリカはカリブ海でキューバの海上封鎖を実施した。結果、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前まで達した一連の出来事が起こった。これをキューバ危機と呼ぶ。

ボクがキューバに渡ったのは1969年4月。つまり革命後10年の年月が経っていたが、アメリカの経済封鎖は続いていた。

Once Upon a Time 外伝 ”遂にビザを手に入れた。 ”片山通夫

それから2年ほど経った。何しろ東京に通う為の旅費稼ぎにアルバイト三昧。これでキューバに行けなかったら・・・。不安な日を過ごしたこともあった。当時は高速バスも無かったので夜行列車。東京駅の地下にある東京温泉と言う銭湯でさっぱりして。
キューバの記念日はそこそこ多くあったので、大使館のパーティが催された。その度にとは行かなかったが結構通ったと思う。時には寝台急行”銀河”に乗ったこともあった。

いずれにしてもボクはビザを手に入れた。それも6ケ月の滞在ビザ。

Once Upon a Time 外伝”一端の友好協会会員になったボク ”片山通夫

キューバの国旗

今から考えると本当に無謀だったが、ボクは時折東京へ行った。知った人もいなく、ただテレビやラジオ、それに新聞や雑誌という情報が得られるモノを図書館などで読み漁って東京へ行った。経済的に苦しかった。だから長くは東京におられなかった。ある日カストロやゲバラなどの名前にぶち当たった。なんでもカリブ海に浮かぶ小さな島でマイアミの近くだと知った。カストロやゲバラが当時のバチスタ政権を倒して革命を起こしたのがたった10年ほど前だとか…。若い国には若いだけ無茶が通る可能性が高い。その点成熟した国は持っているシステムにがんじがらめになって融通は利かなさそう。
ボクは日本キューバ友好協会という親睦を目的とする団体の末席を汚して東京にあるキューバ大使館に事あるごとに出入りした。いっぱしの友好協会会員になったわけだ。

Once Upon a Time 外伝 ”退路を断つ ”片山通夫

イメージ

けど結局ボクはフーテンにもなれなかったと思う。某広告代理店を紹介してくれた人とはその後交流はなくなり、いよいよ退路を断ってしまったわけだ。そりゃあ心細かった。かっこなんて決して良くはない。寅さんの妹、さくらの心配もよくわかる気がする。しかし大抵の人がそうだと思うが”退路を断つ”と火事場のバカ力よろしく、無い頭をフル回転させて次の手を考える。自分でいうのもなんだが、行動も早かった。最近のCMじゃないけど”そうだ、外国へ行こう”と決めた。ところが外国と言っても何処へ行けばいいのか?
そんな頃、世の中は騒然としていた。1970年の少し前のことだ。まだ60年安保の余波で次の70年安保がくすぶりだしていた。
安保闘争に関してはこちら

Once Upon a Time 外伝 ”ボクは…フーテンだった。 ”片山通夫

フーテン族?
フーテン

モノクロームに目覚めたのにはわけがあった。忘れもしない1969年冬のことだった。ボクはそのころ進路に悩んでいた。結局踏ん切りがつかないでウロウロと、今でいうフリーターのようなことをしていた。 続きを読む Once Upon a Time 外伝 ”ボクは…フーテンだった。 ”片山通夫

Once Upon a Time 外伝 ”35mmという選択 ”片山通夫

こんなレンズだった。今はもう持っていない。

レオタックスを買ったのはいいけれど、レンズを選ぶのに一苦労。このタイプのカメラは長焦点レンズは使うのが難しい。それで通常は標準レンズとなる。ファインダーも50mmになっている。しかしワイドレンズの方が使いやすいし、それが目的で買った。つまりスナップには35mm、f2というレンズが最強だとボクは思っている(今もそうだ)。
それでそんなレンズを探し求めた。ライカのコピーなのでレンズマウントはライカLマウント。あのスクリューマウント。ものすごく数がある。ニッコール、キャノン、トプコ‐ル、Jupiter、ロッコール、Fujinon、ヘキサノン、セレナー・・・・

ワルツ製ファインダー 28ミリ~135mmまで6段階の可変。

ボクは使ったことのないレンズを選ぶときは価格の安いレンズを選ぶ。選ぶのに失敗しても諦めがつく。しかしあきらめるということはなかった。日本の製品は、レンズはボクにとっては上等だった。けど35ミリレンズだと別途外付のファインダーがいる。今のようにインターネットで探すというわけにはゆかない時代。結局ボクは中古カメラの販売店を回って。

monolog ”ボクはカメラを買った ”片山通夫

レオタックス

ボクはそれまで使っていた安い一眼レフに飽き足らず漸く2台目のカメラを買った。無論距離計連動のカメラである。残念なことにNikonでもない。まして新品でもない。中古の距離計連動カメラである。そしてそれはコピーカメラだった。何のコピーかと言えば、世に名の知れたバルナック型ライカのコピー機である。それでもそれまで使っていた一眼レフよりも小さく軽かった。ただめったには使わないからいいんだけど,高速シャッターダイアルと低速のそれとが分かれていて「2軸回転式」だった。 最初知らなかってカメラを保持する時、高速シャッターのダイアルをシャッターボタンとともに指で抑えてしまって適切なスピードでシャッターは切れなかった。

二軸回転式シャッターって知っています?

現代時評《ロシアとNATOの戦い》山梨良平

昨年2月24日にプーチンのロシアがウクライナに攻め込んだ。なぜなのか、本当のところはプーチンの心のそこにあるからわからない。プーチンが声にして説明してもそれが事実かどうかは誰にもわからないし、わかったところでそれが真実であるかどうかも不明だ。またこの10か月程の間に様々な理由を述べている。それは戦況によってどんどん変わってきたし、今後も変わるだろう。 続きを読む 現代時評《ロシアとNATOの戦い》山梨良平

monolog ”カメラの話をしよう#2”片山通夫

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

国産バルナックライカ型 「レオタックス エリート」と「スーパーロッコール5cmF2.8」

 

荻原朔太郎の詩である。僕もこの作者のようにしきりに旅をしたかった。 続きを読む monolog ”カメラの話をしよう#2”片山通夫

monolog ”水の都とモノクローム”片山通夫

大阪・中の島あたり

水の都と大阪は呼ばれている。川が縦横に走っているからだ。元々は瀬戸内海航路の起点で、海に囲まれていた難波宮(現在の大阪)を指す語で、低湿地で多様性のある水郷とは異なり、道路や水路・運河が交錯する地割が、街の風景となる水辺都市のことを指す。つまり古代からの「ウオーターフロント」なのだ。 続きを読む monolog ”水の都とモノクローム”片山通夫

monolog ”物憂い朝のモノクローム” 片山通夫

京丹後にで

新しい年がやってきた。・・と世間じゃ言うようだけど、ボクにはやはり同じ朝だ。
そしてなんとなくものうい。この感覚は昨日今日に味わった感覚ではない。もうずーっと昔からの感覚で、今更驚きもしない。つまり物憂い朝なのだ。

10日ほど前に買った「デジカメを極める 完全なるモノクローム」というタイトルのムックを買った。特にタイトルが気に入ったから買ったというわけでもない。気に入ったというより気になったから、つい買ってしまったという方が正しい。買う前からおそらくこのような物だろうという気がしていた。そしてその気は正しかった。

つまりボクは今年もモノクロームで撮る、表現するということに徹することを、一冊のこのムックで自分自身に宣言したわけである。昨秋一冊の写真集を出した。とても私的な写真集だけど、60年代から2000年代に至るまでに撮った作品を掲載した。しかしそこにみられる写真はあくまで「記録」でしかない。この点は正直に白状しておく。そして新年を迎えた今…。

所謂作品と言えるような作品を撮りに出かけたいと思うようになった。
心象、イメージ・・・。 それが「思い込み」であってもいいのではないか。この年になるともう開き直りなのだ。今日は正月3日。モノクロームしか撮れないカメラ(Leica monochrome)をもって出かけることにする。     2023年1月3日の朝10時 記す。

◆現代時評《自浄システムを失った自民党》片山通夫

新年明けましたおめでとうございます。本年も現代時評をよろしくお願いいたします。
昨年末に、杉田水脈総務政務官が更迭された。彼女に日頃の言動に政権の維持がむずかしくなってきたようだ。一つは2018年の月刊誌「新潮45」への寄稿文の中でつづった、LGBTQなどの性的少数者に対する「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がない」と書いた件だ。もう一つは、「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」とした、16年の国連女性差別撤廃委員会に出席した際の自身のブログでの発言だ。(毎日新聞 2022/12/27電子版) 続きを読む ◆現代時評《自浄システムを失った自民党》片山通夫

年末のご挨拶

もう一年が経ちました。今日で2022年は終わり明日からは2023年となります。本年も本当にありがとうございました。様々な事件が世界中で起こった一年でした。コロナで足止めを食っている間に(サハリンはおろか居住地を離れることもままならない)、ウクライナではロシアの侵攻で何百万もの人が今この瞬間も氷点下の町で空爆の怯え、他国に避難しています。年明けとともに、嘘か誠かロシアの攻勢がささやかれています。一方、国内に目を向けますと、旧統一教会問題はなんとなく終わったという印象を自民党の中や、マスコミの報道で感じられるのですが、韓国の宗教団体が北朝鮮出身のボスと日本の政治家、特に自民党旧安倍派と手を組んで金を吸い上げ、韓国に送金するというシステムを作り上げた。このことに自民党という政権与党は口をつぐんだまま年を越えようとしています。それに筆者には防衛費の増大を税金で賄うため、また敵基地先制攻撃を決めた目くらましとしか思えないのです。

今後もこのような点に眼を向けてゆきたいと思います。来年もよろしくお願いいたします。

現代時評plus《いつか来た道》片山通夫

まず最初に、あるSNSで日本と中国のあらゆる面での国力を比較されているのを見た。すべてが事実なのかどうかは確認していないがおおよそその通りだろうとうなずけるので、転用させていただく。

●中国の国防予算:27兆円
日本の国防予算:5兆円

●中国人民解放軍人数:243万人
中国人民解放軍予備役:100万人
日本の自衛官数   :24,7万人
自衛隊の予備自衛官 :5万人

●中国の核保有
現在200~3000と推定
(色々な研究所で大きく数字は異なる)
2027年には700発(米国防省推定)
2030年には1000発(米国防省推定
日本 ゼロのはず(除く米軍)

●中国の人口:14億人
日本の人口 :1.2億人

●中国の国土面積 :9.597.000K㎡
日本の国土面積 :  377.900K㎡

●日本の中国との貿易比率:24%
中国の日本との貿易比率 :7%

●中国のGDP   :19.911.593US$
日本のGDP   : 4.912.147US$
(参考:米国のGDP:25.346.805US$)

●中国の食料自給率 :73%
日本の食料自給率 :37%
(注:飼料・肥料が輸入されない場合もっと低くなります)

●中国のエネルギー自給率 :80%以上
日本のエネルギー自給率 :11.2% 続きを読む 現代時評plus《いつか来た道》片山通夫

現代時評《軍事費増強による戦争誘発の恐怖》井上脩身

政府は12月16日、「国家安全保障戦略」など安保関連3文書を改定、閣議決定した。このなかで、相手国のミサイル発射拠点などをたたく反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を明記し、2027年度に防衛費をGDP比2%に増額する方針を掲げた。これによって同年度までの5年間で防衛費が43兆円と現行の1・57倍に膨れ上がり、法人税、たばこ税、復興特別所得税を増税する。敵基地攻撃能力はその文言から明らかなように仮想敵国を想定し、相手国基地をミサイルで襲撃しようというもので、専守防衛の範囲を逸脱した明白に憲法に反する軍事行動である。わが国は、平和憲法の精神をかなぐり捨て、軍拡競争に突入することになった。 続きを読む 現代時評《軍事費増強による戦争誘発の恐怖》井上脩身

現代時評plus《先制敵基地攻撃とロシア #2》山梨良平

そんな折に日本の岸田首相は「閣議決定」という無謀な手で、敵基地攻撃能力を持つことにし、「防衛力」という「戦力」に「先制攻撃」を付け加えた。敵基地攻撃能力とは、弾道ミサイルの発射基地など敵国の基地や拠点などを攻撃する装備能力。 反撃能力ともいう。戦後の平和主義から一変した政策である。 続きを読む 現代時評plus《先制敵基地攻撃とロシア #2》山梨良平

現代時評plus《先制敵基地攻撃とロシア #1》山梨良平

一般に我が国の仮想敵国は中国や北朝鮮と言われている。過去に帝政ロシアは我が国と戦ったことがある。19054年から1905年のことだった。いわゆる日露戦争である。幸いにして我が国の勝利に終わったことは周知の通りだ。 続きを読む 現代時評plus《先制敵基地攻撃とロシア #1》山梨良平

現代時評《防衛費と大災害》貝塚次郎

南海トラフ地震で想定される震度や津波の高さ(気象庁HP)

初めに内閣府がまとめ2019年4月に発表された資料によると、南海トラフ地震の被害の想定によると次のようになります。

 

 

時期      2035年を中心に前後5年(地震予測モデル)
想定規模   マグニチュード9.1(東日本大震災の約10倍の規模)
想定震度7の地域   10県 151市町村
津波の高さ    最大34m  到達時間 最短2~3分(高知・和歌山)?
想定される被害地域  静岡県から宮崎県 地域人口 約6600万人
想定される被害
死者          32万人
建物の倒壊      約238万戸
避難者(1週間後)  960万人
食料の不足      9600万人分
経済的被害      220兆3000億円                             上記が今後十数年の間に必ず起こる南海トラフ地震の概略です。 続きを読む 現代時評《防衛費と大災害》貝塚次郎