monolog ”物憂い朝のモノクローム” 片山通夫

京丹後にで

新しい年がやってきた。・・と世間じゃ言うようだけど、ボクにはやはり同じ朝だ。
そしてなんとなくものうい。この感覚は昨日今日に味わった感覚ではない。もうずーっと昔からの感覚で、今更驚きもしない。つまり物憂い朝なのだ。

10日ほど前に買った「デジカメを極める 完全なるモノクローム」というタイトルのムックを買った。特にタイトルが気に入ったから買ったというわけでもない。気に入ったというより気になったから、つい買ってしまったという方が正しい。買う前からおそらくこのような物だろうという気がしていた。そしてその気は正しかった。

つまりボクは今年もモノクロームで撮る、表現するということに徹することを、一冊のこのムックで自分自身に宣言したわけである。昨秋一冊の写真集を出した。とても私的な写真集だけど、60年代から2000年代に至るまでに撮った作品を掲載した。しかしそこにみられる写真はあくまで「記録」でしかない。この点は正直に白状しておく。そして新年を迎えた今…。

所謂作品と言えるような作品を撮りに出かけたいと思うようになった。
心象、イメージ・・・。 それが「思い込み」であってもいいのではないか。この年になるともう開き直りなのだ。今日は正月3日。モノクロームしか撮れないカメラ(Leica monochrome)をもって出かけることにする。     2023年1月3日の朝10時 記す。