現代時評plus《先制敵基地攻撃とロシア #1》山梨良平

一般に我が国の仮想敵国は中国や北朝鮮と言われている。過去に帝政ロシアは我が国と戦ったことがある。19054年から1905年のことだった。いわゆる日露戦争である。幸いにして我が国の勝利に終わったことは周知の通りだ。
日本が勝利した背景にロシアの内政問題があったことは言うまでもない。帝政ロシアは農奴開放によって農民は時の支配者に抵抗した。1890年代のロシアの好景気は停滞期に入り国民は多くの不満を抱えていた。その時期に勃発した日露戦争は、日本側の勝利に終わった。当時のロシアは帝政で、皇帝を頂点とした貴族が国民を奴隷のごとく扱うという構造だった。また日露戦争においては、すべての上官(貴族)が有能ではなかったため、戦う意志の低下や反発でいうなればバラバラの組織だったと思われる。同時にロシアでは支配層を打倒しようとする革命集団の誕生が散見され、ついには1905年1月22日(旧暦1月9日)、「血の日曜日」として首都サンクトペテルブルクで11万人が参加した大規模なデモ行進が行われた。

このような歴史を持つロシアが2022年3月24日、隣国ウクライナに攻め込んだ。当初プーチン大統領は、1・2週間で首都キエフを制圧し親ロシアの政権を樹立する予定でいたと思われる。しかし暗に相違して今年も暮れようとしている現在、ロシアは苦戦していることは周知のとおりである。この状況を日露戦争当時のロシア社会と比べてもあまり意味はないかもしれないが、筆者には幾つかの共通点を見ることができる。
つまり日露戦争では当初国民はこの戦争を支持していたという事実である。また国民が政権に不満を持っていた状況も似通っていて、国民の目を外国との戦争に目を向けさせることができた。

しかしそれには「短期に勝利する」という条件が必須だ。日露戦争もロシア側が敗退に継ぐ敗退が続いて国民の不満が爆発した。現在プーチン大統領率いるロシアも敗退し続け、挙句の果てに兵員不足を刑務所にまで求める事態となった。それ以前に周知のように30万人の兵士増強を試みたが、国民の評判は芳しくなく「これ以上は招集しない」と断言せざるを得なくなった。(明日に続く)