現代時評《ロシアとNATOの戦い》山梨良平

昨年2月24日にプーチンのロシアがウクライナに攻め込んだ。なぜなのか、本当のところはプーチンの心のそこにあるからわからない。プーチンが声にして説明してもそれが事実かどうかは誰にもわからないし、わかったところでそれが真実であるかどうかも不明だ。またこの10か月程の間に様々な理由を述べている。それは戦況によってどんどん変わってきたし、今後も変わるだろう。

ソ連が崩壊して30年。ロシアはウクライナとともにソ連邦構成国の一員だった。民族的にもロシア、ベラルーシとともに同じだという意識が強かった。昨年発表したプーチンの論文には「ロシアとウクライナ人は同じ民族、兄弟国」だと述べている。一方ウクライナにしてみれば、過去にはオーストリア・ハンガリー帝国に帰属し、宗教もカトリックの影響が残っている西側部分とロシアの影響が強く残っている東側の部分と大雑把に言って2分されている。

またソ連邦崩壊の影響はNATOの東方進出の機会を与えた。ソ連邦構成国は無論のこと、衛星国と呼ばれたチェコスロバキア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニアなどがEU、NATOに組み込まれた。プーチンにしてみればNATOの東方進出としか見えなかったのだ。ソ連の盟主ロシアがどんどん西欧化してゆくかつての衛星国を黙って見てゆくわけには行かなかったのではないか。

プーチンの頭の中には幾多の衛星国とソ連邦構成国の盟主の地位を取り戻すにはウクライナを併合する必要があった。ただウクライナはそれに黙って従わなかった。ナチスがウクライナを犯しているというのは、第二次世界大戦で、ソ連邦がナチス・ドイツおよびその同盟国と戦った1941年6月22日から1945年5月9日までの戦いを指すのだと思われる。

プーチンは、西欧化してゆくかつての衛星国やソ連構成国が信じられず、また攻め込んで来ていると感じるのだろう。それを食い止めるための今回のウクライナ侵攻だとすればわかりやすい。