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モノローグ・コロナの日々《梅雨の中の七夕と伝統的七夕》片山通夫

子供の頃はこんな七夕の夜が恋しかった。

昔、小学生のころ、七夕祭りはいつも雨か、うっとおしい日の連続だった。何しろいわゆる梅雨のさなか。降らない方が不思議な時期だった。そして8月に絢爛に行われる仙台の七夕祭りがうらやましかった。そしてなんて頭のいい人が考えたのだろうと長い間そう思っていた。しかし本来は旧暦の7月7日が正しいのだと気が付いた。変に新暦に「語呂合わせ」をするからいたいけな小学生を悩ますのだ。
太陰太陽暦は、明治6年に現在の暦が採用されるよりも前の暦で、現在は公には使われていない。このため、伝統的七夕の日は、太陰太陽暦による7月7日に近い日として、以下のように定義された。
つまり二十四節気の処暑(しょしょ=太陽黄経が150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(さく=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が「伝統的七夕」の日という。

さて今年は8月22日がその日に当たる。そんな先なら忘れてしまいそう。

ONCE UPON a TIME 外伝・日本で編《カビとの闘い#2》片山通夫

この方法ではカビはとれないしラリってしまう。ボクは考えた。インターネットで方法を探してみたが、これという方法は見つからない。エタノールでとれという方法はわんさかあったが・・・。次善の策でボクはとりあえず再現すべきフィルムをスキャンしてデジタル化した。そしてそれをPhotoshopという写真加工ソフトで一点一点カビを消してゆくことにした。とてもじゃないけど手間のかかる作業だった。おまけに目は疲れるし。
結構時間と手間をかけることができたのはまさにコロナ禍の結果、時間が生まれたためでもある。それはともかく千点以上のデジタル写真が出来上がった。アマゾンフォトス(Amazon Photos)にアップロードしてあるが5800点ほどある。

もちろんすべての写真がカビに侵されていたわけではない。お断りしておきたい。

ONCE UPON a TIME 外伝・日本で編《カビとの闘い#1》片山通夫

何しろ半世紀以上も写真を撮っていたのだから数だけは膨大なフィルムが残っていた。ただ残念ながら湿気とカビに侵されたフィルムもたくさんあった。いまだかな白状するとコロナ以前には見るのも恐ろしかった。そんな時、新型コロナウイルスが世界を襲った。外出禁止まがいの情報が錯綜する中で「この状態から抜け出せないなら」とフィルムの山に向かうことにした。エチルアルコールはコロナ以前に買ってあった。やわらかい綿にアルコールを浸してフィルムをこすってカビを落とした・・・つもりだった。何かのCMで見たのかもしれないが「頑固な汚れに…」というフレーズが思い浮かんだ。とれないのだ。カビが。そのうち意地になって擦る、こする…。 とれない…。汚れはがんこだった。
なんだかいい気分になってきた…。エチルアルコールで。つまりラリってきた。

急いでベランダのガラス戸を開いて換気した。

フィルムに生えたカビの頑固さよ。

ONCE UPON a TIME 外伝”グランマを読む人”片山通夫

Granma(グランマ)を読む人

グランマとは英語でgrandmotherを指すスペイン語である。カストロやゲバラがメキシコからキューバに攻め込んだ時に乗っていた中古のヨットの名前である。日本語に訳すとおばあちゃん。定員12名の本船になんと82名が乗り込んでのキューバ上陸だった。また無謀なことにカストロは事前に上陸を発表していたのでバティスタ政府軍に待ち構えられていたという。キューバ革命の詳しい情報はこちらを参照。

写真はそのグランマと名付けられたキューバ共産党機関紙を読む男。場所は旧ハバナの街角。(筆者撮影)

ONCE UPON a TIME 外伝 キューバ編 完
しばらくこのシリーズはお休みをいただきます。

 

 

ONCE UPON a TIME 外伝”ヘミングウエイ「老人と海」#3″片山通夫

とにかく無事に陸揚げ?したカジキを解体し山分けするというので、ボクも一切れ。・・・と言っても30センチくらいの大きな一切れ。ぶつ切りだから胴体の大きさの30センチ。とりあえずその塊をもって車に乗せてもらって・・・。
「何処へ行く?」
ボクは考えた。
「日本大使館へ連れてって」
この考えは正しかった。
つまり大使館には料理人も醤油もワサビもあるのだ。
大喜びしたのは大使館の日本人一同。かくしてボクは皆さんに喜ばれながらマグロの刺身を堪能できた。(この稿完)

 

ONCE UPON a TIME 外伝”ヘミングウエイ「老人と海」#2″片山通夫

キューバのヘミングウェイ(インターネットから)

ヘミングウエイの老人はとてつもなく大きいカジキマグロを釣った。
しかしボクたちはそんなに大きいカジキマグロではなかった。それでも優に2メートル以上はあった。胴体の周りも結構な太さだった。何しろ敵も必死なので、小舟を操り手繰り寄せるのは至難の技だ。ようやくカジキは船べりに近づいてきた。ご存じの通りカジキはその名の通り鋭い鼻を持っている。あんなので衝かれたらひとたまりもないことはボクにだってわかった。
ここでバットの登場だ。渾身の力でバットを振り下ろす。1回、2回、3回…。
遂にカジキは力尽きて狭い船内によこたわった。
ヘミングウエイもびっくりの釣りコンテストはこうして終わった。

帰港した。意気揚々と・・・。 港ではすでに釣り上げたカジキのサイズと重さを計って順位を決めていた。我々のカジキは等外。見れば周りは我々の2倍以上のカジキばかり…。
「駄目だよ、こんな小さいのは海に返さなくては・・・」
「せっかく釣ったのをリリース出来るか」ボクは思わず日本語で叫んだ。
第一あの暴れ方では無事にリリース出来るわけはない。こっちがリリースされちまう。
(5月1日に続く)

ONCE UPON a TIME 外伝”ヘミングウエイ「老人と海」#1″片山通夫

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かくして、ボクはキューバに半年ほどいた。もちろんくまなくキューバの島を回った。漁船にも乗った。漁船で思い出したが、ヘミングウエイ記念とでも訳すのか「カジキマグロ釣りコンテスト」があった。ハバナの沖合の海で数十隻の小舟、ちょうど日本の渡し船(伝馬船)程度の小舟でカジキを釣るコンテスト。「老人と海」とは違って小舟にはエンジンがついている。無論トローリングで釣る。ボクが乗せてもらった小舟には二人の知り合いの漁師がのっていた。
「なんだお前か」と彼らが僕を歓迎してくれたことは言うまでもない。
野球で使うバットが2本小舟に転がっていた。聞いてみたら「釣れたらこのバットでカジキを撲殺する」らしい。危険な!

ハバナの町を遠くに眺めながら小舟は走り回った。その間、彼らはラム酒を呑む。ボクはと言えば、そんな余裕はなく、必死になって小舟を操った。つまり小型エンジンのハンドルとアクセルをもって「操縦した」。

突然小舟が傾ぐ。「ガツン」という衝撃。釣り糸を持っていたキューバ人が、激しく糸をを手繰った。まさにヘミングウエイの「老人と海」の漁師のように。糸は彼の背中に回してゆっくりと体全体で退いたり手繰ったり、そして徐々に魚を引き寄せた。ボクはと言えば小舟の進むスピードと方向がまったくわからなかったので、もう一人の漁師に席を譲った。彼は素早くボクの席に代わった。そしてボクには理解できない早口で二人で掛け合いを始めた。きっと漁師仲間だけに通じるやり取りだろうと思う。それともボクにはまだ理解できないスペイン語だったのかもしれない。

カジキは時にはジャンプし、また海に潜った。(続く)

*25日火曜日は井上脩身氏の「現代時評」です。
*”ヘミングウエイ「老人と海」2″は27日に掲載します。

 

ONCE UPON a TIME 外伝”ラム酒にまつわるショート・ショート”片山通夫

イメージ”海船”https://www.ncl.com/jp/ja/travel-blog/caribbean-pirates

サトウキビを刈るキャンプで撮った写真を長々と掲載した。この辺りでサトウキビに関しては離れることにする。・・・と言いつつ最後にサトウキビを原料とするラム酒の話題。

その前に。キューバをはじめとするカリブ海の島々にはサトウキビは無かった。ラム酒の原料をカリブの島々へ持ち込んだのは、1492年にこの地に到達したコロンブス。彼が2度目の航海でカナリア諸島から持ち込んだことがきっかけで、サトウキビがカリブ海の島々に根づき、一大生産地となっていった。植民地の象徴であったわけだ。製造は砂糖の生産過程で絞ったサトウキビの搾りかすを蒸留して作った。キューバではスペインの植民地でバルセロナのワイン商バカルディによって創立された「バカルディ」という名のメーカーが世界的に有名。キューバ革命後はバミューダ諸島のハミルトンに拠点を移しメキシコなど旧スペイン植民地で製造されている。

参考
ラム酒カクテル:https://tanoshiiosake.jp/9696

余談だがカリブ海で活躍した海賊船にはラム酒の樽が積み込まれていた。
“パイレーツオブカリビアン”という映画がある。この映画に出てくる幽霊船『フライングダッチマン号』は、又の名を「さまよえるオランダ船」とも呼ばれ、ワーグナー作曲の有名なオペラ「さまよえるオランダ人」にでてくる船。オペラに詳しい方なら周知の話だ。

参考
「さまよえるオランダ人」あらすじと解説(ワーグナー )
https://tsvocalschool.com/classic/fliegende-hollander/


日本では、19世紀に入ってから小笠原諸島でラム酒が飲まれるようになったとい言われている。生産が始まったのは20世紀終盤のこと。というわけで、あまり古くはない。現在は鹿児島県や沖縄県、静岡県、滋賀県、高知県などでも造られている。

ONCE UPON a TIME 外伝・写真特集” サトウキビ刈り #1”片山通夫

刈り取られたサトウキビ・ハバナ近郊

キューバの特産品のひとつに砂糖がある。もう島中がサトウキビ畑。革命後、ソ連にとって「仇敵(仮想)アメリカののど元に突きつけることのできる匕首・キューバ」をとても大事にした。およそ肌の合わない、テンポのあわないキューバ人と良く付き合っているものだと感心する。そんなわけでソ連は国際価格より高い相場でキューバの砂糖を買い取っていた。そんなわけでボクが行った時はキューバは革命後10年で「砂糖増産1000万トン」運動真っ盛り。猫も杓子もサトウキビ刈りに出かけている。職域毎にチームを組んで、交代で。世界中から来た若者も大勢参加していた。

 

ONCE UPON a TIME 外伝 ”革命はマンボのリズムにのって”片山通夫

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当時、ハバナではラジオ放送がとても盛んだった。車もホテルの部屋もラジオからニュース番組専門の放送が流れていた。それは「こちらはアメリカで最初に自由を手に入れたハバナ放送です」で始まる。そのアナウンスはとても誇らしげだった。ニュースはよくわからなかったが、合間に流れる音楽は決して堅苦しい音楽ではなくボクも知っている、所謂ラテンミュージックが主だった。ベサメムーチョ、キサスキサスキサス、グアンタラメラ、そして時には日本の歌なども何度か聞いた覚えがある。「キューバ革命はマンボのリズムに乗って行われた」とも言われるほどキューバ人は音楽好きだ。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”おしゃれの準備”片山通夫

参考

キューバに着いて、ほどなくしてボクはキューバの外務省へ出かけた。 居住登録をするために。変な話だがキューバ政府が指定したホテルにいるのにまるでボクが勝手に決めたホテルのような扱いだった。ボクの貧相な英語では間違っていたが、キューバでの身分証明書の発行手続きだった。ここで例の堀田氏の描写を思い出すことになる。
彼は「そうして女の子はオッパイが大きくて、お尻もまた立派で、部屋へ入って来るときには、まずオッパイから入って来て、出て行くときにはお尻がなかば永遠に残っている。……」と書いた。そのまんまのシーンが目の前で繰り広げられた。堀田氏の本に書かれなかったことがある。ボクはその外務省の係官が女性で彼女の髪が所謂カーラーでまかれていたことだ。ボクも決して生真面目な人間ではないがこれには驚いた。

つたない言葉で尋ねた。彼女はこともなげに「あなたのためではない。今日は私の彼と食事に行くのだから」とのたまった。そりゃそうだ。ボクとは初対面だ。しかしこれには感心した。つまり恋人のためには勤務中でもおしゃれの準備をするのだ。そういえば町でもそんな女性をよく見かけた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”剃刀が切れない、経済封鎖のせいだ!”片山通夫

ONCE UPON a TIME 外伝 を・・。

カストロ氏とソ連のフルシチョフ氏

しかしそうも言っておれない事態がボクには見えた。革命後10年。気を付けてみるとまだまだ落ち着かない状況だった。最初に経験したのは歯磨きや剃刀の不足だった。そんなもの何処にでもあると思っていたボクは浅はかだった。確かチェコ製の剃刀は見事にボクを「切られの与三」のように傷だらけにした。歯磨きは手に入らなかった。
半年という長期のキューバ滞在だったので日本大使館に挨拶に行った。その時歯磨きのことや剃刀のことが話題になった。大使館では時折メキシコへ出かけるので買ってきてあげようと言ってくれたので早速お願いした。当座の分として彼の手持ちを譲ってくれた。大使館の人って親切だった。同時にアメリカの経済封鎖を恨んだ。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ、陽気の国#2”片山通夫

フローズン・ダイキリ

先にヘミングウエイがこよなく愛したというフローズン・ダイキリのことを書いた。このカクテルぼ作り方を後々に言葉が少しわかるようになってから、某バーテンダーに教えてもらった。ベースはラム酒。それも彼曰くは”ハバナクラブ”というラム酒。結構日本では高い。15年モノでは一本(700ミリリットル)2万円前後する。そこまで行かなくても良いとは思う。3年モノでは2000円位?。
値段はともかく、そのハバナクラブをベースにする。

●ホワイトラム         40ml
●ホワイトキュラソー      1tsp(ティースプーンの略)
●ライム(又はレモン)ジュース 1tsp
●砂糖(又はガムシロップ)   1tsp
●クラッシュアイス       1カップ
 (グラスに軽く山盛りぐらい。)

ミキサーにクラッシュアイスを入れてラムその他の材料をミキサーで混ぜる。
氷が白くシャーベット状になったら口の広いシャンペングラスに注いで二本に切った
ストローをシャーベットに差し込む。

夏になるとこれがおいしい。
あれ?ボク、何を書いてるんだろう???

お断り:Lapiz online が始まりました。是非こちらもお読みください。
しばしそちらで多忙となりそうです。
本稿はしばらく休載させていただきます。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ、陽気の国#1”片山通夫

ハバナ旧市街で

まだまだ言葉もなにもわからなかった時に、堀田善衛氏の”キューバ紀行”という本はボクにとって最大のバイブル(無神論者だけど)だった。その中でとても印象的なエピソードがひとつあったので紹介したい。 (堀田善衛 キューバ紀行から)

すなわち、まず呑気で陽気であること、ナマケモノ、音楽好き、踊り好き、チャチャチャ、ルンバ、コンガ、ボサノバ、パチャンガ、カリプソなどの音楽のリズム、力ン高くひびきのいいスペイン語の発音、
 それから視覚に訴えるものとしては、青い青い空、パステル・グリーンのカリブ海、椰子の木、
 まるでカラーフィルムの広告のためのような風光、大きな帽子のソンブレロ、男はスペイン風のヒゲ、
 そうして女の子はオッパイが大きくて、お尻もまた立派で、部屋へ入って来るときには、まずオッパイから入って来て、出て行くときにはお尻がなかば永遠に残っている。……

わかります?この描写。ボクはこの描写の世界に迷い込んだわけである。