現代時評plus《「一体いくらもらったの?」と疑いたくなる》片山通夫

安部元首相が暗殺されてテレビ界をはじめ、マスコミは奇妙な状態になっている。犯人はすぐその場で捕まったが、今までテレビ界で盛んに安部ヨイショしていた評論家だの元政治家だのなんとか学者たちは、犯人と旧統一教会との関連をしゃべりだしたのに対して「およそ論理破綻としか思えない論理」で「安部とくだんの旧統一教会」の関係」を「単なる儀礼的な、もしくはなかったことに」しだした。
彼らの発言をいちいちここで取り上げるつもりもないが、あまりにも無責任な発言には驚かされる。

うまくまとめた記事がリテラで見つけた。
田崎史郎、橋下徹、東国原英夫、古市憲寿、三浦瑠麗…安倍元首相と統一教会の“関係”をなかったことにしたい人たちの呆れた論理 

読み進む程にあきれた発言の連続だ。彼らの目的は憲法改正(悪)への地ならしだとしか思えない。彼らの発言の一部を紹介する。

田崎史郎氏:統一教会と安倍氏の結びつきについて「強い関係があったとは聞いていない」「(あっても)付き合い程度」と発言。

橋下徹氏:“ネットを含めた一部メディアにあった批判を超えた批判が犯行動機に繋がったということであれば、度を超えた批判はダメなんだと成熟した民主主義国家として国民は意識するべき”などとコメント。ついで「いろいろ自分なりに調べてみると、もう、根拠あるのかなっていうようなことを、根拠がないだろうと思えるような、そういうことで、この団体(統一教会)との関係が、もう、あることないこと、ないことないこと、ものすごい言われているので、それをもって誤解をしてしまうってこと、そういうことにも繋がっているんじゃないのかなと僕は思ってしまう」
 すでに一般に知られているように、安倍元首相、自民党安倍派と統一教会の繋がりは祖父・岸信介氏の代から続いてきたものだ。それをあることないこと、ないことないことを言い切れる欺瞞にはあきれる。

東国原氏:容疑者の母親が統一教会に多額の寄付(献金)をおこなっていたことについて、「日本には宗教の自由があるから、その範囲内での自己責任、自主的な信仰」と発言。統一教会をめぐっては、借金してでも献金を迫るという問題が取り沙汰されているというのに、それを自己責任と言い放った。挙げ句、安倍氏と統一教会の関係についても、「政治家は(宗教と)一定距離は置かなきゃいけない」と言いつつ、絶句するような擁護を繰り広げたのだ。「宗教団体が掲げているイデオロギー、今回(統一教会)は『世界平和』だが、そういったものに賛同される政治家は多い。純粋に世界平和を願おうよという動き、活動等に賛同を寄せられる政治家はいらっしゃる」

極論すれば、反社会的な団体も「平和」を冠すれば良いという論理だ。

三浦瑠麗氏:「こういう事件が起きて、因果関係として報じることは、安倍さんに責任の一端があったかのような、そういう印象操作になっている」
「しかも、政党のリーダーも含めて各所でそのようなことを言い出している人がいる。私はこれは非常に由々しきことだと思っている」
「因果応報的な報道は、犯罪者に加担するもの。彼の妄想に加担してはいけない」
統一教会の話題を取り上げること自体を「因果応報的な報道」「容疑者の妄想への加担」と決めつけ、一国の元首相を銃撃した容疑者が「統一教会との関係」が犯行の動機だと語っているのに、一切報じるな、というのだ。
由々しきは彼女の論だ。容疑者が「安部氏と旧統一教会との因果関係」を動機にあげているのに「因果応報的だの妄想への加担」はすべきではないと言い切る。

ここに挙げた諸氏にとっては「民主主義、あることないこと、誤解、度を越えた批判、自己責任、平和、因果応報的な報道は容疑者養護」らしい。

旧統一教会は容疑者の家族破綻を引き起こし、広告塔の安部氏がターゲットになった事件である。それには安部氏の祖父の代からの両者の関連が疑われている。これらの関連性を問わず、事件を矮小化し容疑者の逆恨みのような発言では全く評価できない。むしろ旧統一教会や自民党からいくらもらったのかと疑いたくなる。