現代時評《首相の危機管理能力》井上脩身

東日本大震災からあと1カ月余りで10年になる。26年前の阪神大震災、昨年からのコロナ禍を合わせて、この四半世紀の間に我が国は百年に一度の災禍に三度も遭遇することになった。阪神大震災は「地震が起きない」とほとんどの人が思い込んでいた関西で発生、東日本大震災は「安全」のはずの原発が過酷事故を起こし、コロナ禍については、「中国のこと」とよそごと視したのがつまずきの元となった。こうした国難に際し、時の総理大臣に求められるのは的確でかつ迅速な対応能力である。新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言下の今、国民の命を守るうえで、国のトップリーダーとしての危機管理力が問い直されるべき時であろう。

首相の在り方を考えるうえで印象深いのは、東日本大震災によって福島第一原発が事故を起した際、菅直人首相が事故原発をヘリで視察したことだ。

同震災の発生は2011年3月11日午後2時46分。4時55分、菅直人氏は記者会見に臨み、「一部の原発が自動停止したが、外部への放射性物質などの影響は確認されていない」と述べた。午後7時3分、首相は「原子力緊急事態宣言」を発令。その中で「原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する」としながら、「注」として「居住者、滞在者はただちに特別な行動を起こす必要はない」との文言を加えた。

翌12日午前3時12分、枝野幸男官房長官は記者会見で「放射能を含む蒸気を放出(ベント)する必要があるとの報告を東電から受けた」と説明。原子炉格納容器内の圧力が異常に高まり、危険な状態になっているというのだ。菅首相は「早くベントを行え」と東電をせっつくなど、苛立ちをあらわにし、「原子力発電所に出かける」と言いだした。午前6時14分、首相官邸屋上から陸上自衛隊の大型ヘリに乗り込み、同原発へ。吉田昌郎・福島第一原発所長に「ベントはまだか」と叫び、武藤栄副社長から現状の報告を受けた。

この後、首相は宮城県の被災地を上空から視察、午前10時47分に首相官邸に戻った。この5時間後の午後3時36分、同原発1号機の建屋で水素が充満して大爆発し、深刻な事態に陥った。この非常時に4時間半も官邸を留守したことが、「国のリーダーとしての自覚がない」と非難されることになった。

確かに菅直人氏の原発事故対応には問題は多かった。緊急事態宣言の際、「特別な行動を起こすことはない」と付言したことで、福島県飯舘村などの人たちが放射能を浴びるハメになった。また現場視察によって、緊急対応に忙殺されている東電の職員たちが余計な手をとられることにもなった。

だが、菅直人氏が「首相降ろし」にあわねばならないほど無能であったか、となるといささか疑問である。危機管理の要諦は現状把握だ。正確な情報がなければ正しい判断はできない。民主党政権下において、現場―省庁―官邸間が機能的に働かないという構造的欠陥があるなか、情報が首相に迅速に入らない以上、自分の目で確かめるしかないであろう。本来、信頼できる閣僚にやらせるべきであり、合格点とはもちろん言えない。それでも現場視察は首相として最低限の行為だった、と私は考える。100点満点で合格点が60点ならば、30~40点であろう。

現場視察といえば、1995年1月17日に起きた阪神大震災では、村山富市首相は発生2日後の1月19日に被災地を訪れた。村山氏は、自社さ政権という危うい内閣の首座にかつぎだされた人だ。地震発生直後、テレビに映し出される悲惨な状況を目にして、「私はどうすりゃええんじゃ」とつぶやいたといわれる。実際、村山氏は自分に危機管理の知識はないと腹をくくった。1月19日、首相を本部長とする「兵庫県南部地震緊急対策本部」を設置。自民党の小里貞利氏を地震対策担当大臣にすえ、「現場が一番分かる。全部現場で決めてくれ。法律がどうあれ、それをひっくり返してでも現場が必要と思うものは、私が責任をとるからやってくれ」と、閣僚や幹部官僚らに言いふくめて現場に送り出した。

こうした村山氏の言動は、危機に直面したときのリーダーとしての決意の表れ、と好意的に評価された。冒頭に述べたように、被災地の住民の多くは「関東とちがって関西は地震が起きない」と思っており、建物をはじめ、さまざまな面で耐震対策は十分なされていなかった。そうしたなかでの緊急対応である。一応、合格点であろう。

さて、新型コロナウイルス感染症対策である。我が国で初めて感染が確認されたのは2020年1月16日。中国・武漢から帰国した30代男性だ。2月29日時点では国内の感染者は無症状者を含めて239人にとどまっていたが、欧米を中心に流行は世界中に広がっていた。こうしたなか、安倍晋三首相は3月2日から春休み期間まで、全国の小中高校、特別支援学校の休校の要請をした。これが事実上、安倍氏が首相として初めて行ったコロナ対策である。

オリンピック中止をいかに食い止めるかに頭がいっぱいだが、コロナ無策と見られるのもまずい。「子どもの健康を守るため」ならば、国民は支持してくれるに違いない。安倍氏はこんなふうに思考をめぐらせた挙句、休校要請という手にでたのであろう。

私はこの発表にあ然とした。子どもは学力面だけでなく、精神的にも肉体的にも学校の中で育つ。若年層のコロナ感染例が少ないなか、長期間学校を閉じることは子どもにとってマイナスの方がはるかに大きい。この分かり切ったことを冷静に判断できないのは、首相周辺に全うな意見を述べる官僚がいないことの現れ、と私は思った。

以後、安倍氏のコロナ対策は、場当たりを通り越して国民の揶揄の的になる。その最たるものがアベマスクである。安倍氏は「国民の不安が消える」との側近の進言にしたがって布マスクを全世帯に各2枚配布することを4月7日、閣議で決定。しかし、配布が5月以降にずれこんだうえ、口を覆うだけの小型タイプだったために評判が悪く、アベノミクスをもじってアベノマスクとわらわれた。

マスク配布決定と同じ4月7日、安倍首相は緊急事態を宣言、5月25日、「全国の新規感染者が50人を下回った」として宣言を解除した。この記者会見で安倍首相は「日本モデルの力を示した」と自賛した。確かに大半の国民はステイホームを貫き、外出を自粛した。だが、それは国民一人ひとりの努力によるものであって、国の積極的な政策によるものではない。国民の努力だけで防ぎきれるなら、世界保健機関(WHO)がパンデミック宣言はしなかったであろう。コロナは甘くない。にもかかわらず「収束できた」とみくびったことが、夏の第2波、11月以降の第3波につながった。

 

菅義偉内閣が発足したのは9月16日である。その1週間前の9月10日、東京都では276人、翌11日、大阪府で120人の新規感染者を確認されており、菅義偉氏が第一に取り組むべきなのは感染を抑えこむことだった。しかし首相は経済回復を優先し、10月1日からGo Toトラブル事業を決行。1兆6794億円の予算を投入して旅行をうながし、観光産業を活性化しようというものだ。人が動けば感染拡大につながるのはいうまでもない。11月19日、東京都では534人の感染者が確認され、第3波の到来であることが明らかになった。しかし、菅義偉氏はGo Toにこだわり、結果として東京都の新規感染者が2447人にのぼった1月7日、東京都など1都3県に緊急事態宣言を発令することになった。13日には大阪府も536人の感染が確認され、大阪府など7府県が緊急事態宣言に追加された。もはや感染は全国的に爆発状態となり、医療現場は崩壊寸前の危機的状況である。

 安倍氏と菅義偉氏に共通しているのは、新型コロナウイルスについての認識が甘いことである。安倍氏はオリンピック問題の方に頭が向き、菅義偉氏は経済的浮上に力点を置いた。新型コロナウイルス蔓延という危機に対し、まず行うべきなのはコロナを直視し、息の根を止めるまで抑え込むことであろう。「ウイズコロナ」などとコロナとの共存を許していては、いつまでたっても収束できるはずがない。

こうしてみると、安倍氏と菅義偉氏は国のリーダーとして失格と言わざるを得ない。福島の現場を視察した菅直人氏以下である。もはや点のつけようがない。

本稿で村山氏に合格点をつけたことに異論はあるかもしれない。しかし注目すべきなのは小里氏をはじめ自民党政治家に人材がいたことだ。今、問題なのは首相に力量がないうえに、その周囲に能力のある人がいず、イエスマンばかりになっていることだ。安倍・菅一強政治は危機管理の観点に立てば最悪態勢なのである。