現代時評《女性蔑視発言批判にみる市民意識の変化》井上脩身

私が入っている川柳同好クラブで最近、後任代表をめぐる混乱から、クラブ存続の是非にまで話が発展した。入会してまだ日が浅い会員たちが、十年一日のクラブ運営に疑問をいだきだしていたところ、コロナによる活動の制約と相まって、一気に不満が噴出したのだ。コロナ禍のなか、「先輩の決めたことに黙って従え」式のやり方に厳しい目が向けられるようになったのでは、と考えていたとき、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言がとび出した。森氏は翌日、記者会見をして謝罪した。従来ならこれで収まっただろう。ところがSNSを通じて批判が殺到、森氏は辞任に追い込まれた。私はオリンピックについても、商業主義にどっぷりはまった開催に対する人々の意識が変わりだした証左だと思った。組織委は17日、橋本聖子・五輪担当相を後任会長に選んだ。橋本氏は森氏の秘蔵っ子であり、人選の背後に政府の意向があったことはまぎれもない。政府もJOCも国民意識の変化に全く気付いていないようである。 続きを読む 現代時評《女性蔑視発言批判にみる市民意識の変化》井上脩身

現代時評《無為に流る時間》山梨良平

少しはおさまってきたと思ったら、さっそく「緊急事態宣言解除」を要請だとテレビでわめいていた知事がいた。そう、あのイソジン知事である。なんでも経済的に苦しいからだそうな。これでは経済が破綻するという危惧かららしい。大阪のことである。大阪府はかなりの財政的な余裕があると見えたのだが、維新政治は「自分たちが府の財政を使うのには躊躇しない」が「府民のために使うのは嫌だ」という姿勢のようだ。100億も使って二度目の大阪都構想の住民投票のことだ。 続きを読む 現代時評《無為に流る時間》山梨良平

本日2/13のLAPIZONLINE

八丈小島のバク患者。左足が象皮病(ウィキペディアより)

連載コラム/日本の島できごと事典 その11《風土病フィラリア》渡辺幸重
伊豆諸島・八丈島の西方約4kmに八丈小島という無人島があります。1969年(昭和 44年)に住民全員が離島するまでは24戸91人が住んでいました。
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現代時評《叩けよ、さらば開かれん》片山通夫

筆者は決して信心深い人間ではない。むしろ無神論者にほぼ同じ、つまり罰当たりと言われるかもしれない。しかしこの程度の言葉は知っている。
「叩けよ、さらば開かれん」とは《新約聖書「マタイによる福音書」第7章から》ひたすら神に祈り、救いを求めれば、神は必ずこたえてくださる。 転じて、積極的に努力すれば必ず目的を達成することができるという意味らしい。 続きを読む 現代時評《叩けよ、さらば開かれん》片山通夫

ONCE UPON A TIME《根室半島 005》片山通夫

コンブ漁元漁師・ノサップ

根室半島の突端に納沙布岬がある。ノサップとはアイヌの言葉で「ノッ・サム」(岬の傍ら)が元で岬にあった集落の名前でもある。
正月元旦には北海道一早く初日の出を拝める場所として「納沙布岬初日詣」が行われ、日の出の時刻に合わせてJR根室駅前発着の臨時バスも運行される。日本一ではないのが残念。

現代時評plus《悩ましい日々 4》片山通夫

緊急事態宣言が3月7日まで伸ばされた。結果としての現状のコロナ禍の中、これは仕方のないことだ。ただこの宣言によってさまざまな影響が出る。変な表現かもしれないが、前政権の時は国民一人当たり10万円という給付金があった。これで息をついた家族も多くいたと思う。ところが第3次ともいわれる今、財務相は早々に今回は給付しないと言明した。菅首相は最後には生活保護がわが国にはあるとうそぶいた。国民の血税をどのように使うかという最も大切な問題を、たった一人や二人の政治屋に任せなければならばならないわが国の状況を国民は肝に銘じておきたい。
政治に無関心に多数の国民がなると、非常時といえる今、たった2人の政治屋に国を誤らせることになる。冒頭に「現状では仕方のないことだ」と書いた。しかし今に至るまでこの自民党政権の無策がこの現状を招いたといっても過言ではない。新自由主義だかなんだか知らないが、国公立病院の統合や予算削減、保健所などの統合、人員削減など、いわゆるセーフティネットの予算を削減してきたつけが今押し寄せてきているのではないか。今更書きたくないが日本国憲法には《(第二十五条)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。》とある。今こそ首相に生活保護があると言わさないため、国民は政治にもっと関心を持たなければならない。
*筆者註:生活保護を受けるということが悪いというのではない。生活保護を一般に国民の間に行き渡れば、つまり憲法25条の条文の通りに生活できれば、もっと言えば国民すべてが医療保険と生活保護を受けることができる国になればそれはそれでいいという意味であり、今のような状況で窓口で断られる状態で首相に「わが国には生活保護がある」とは言ってもらいたくはない。ただどこかのバカ学者が「ベーシックインカム7万円」といったのにはあきれた。一度その金額でアンタが生活してみなと言っておく。

once upon a time《根室半島 002》片山通夫

 

貝殻島灯台

1937年(昭和12年)に日本により建設され、点灯した貝殻島灯台がある[3]。貝殻島灯台は灯台基部と共に基礎部分の劣化が進み、傾いた姿が納沙布岬から目視で確認できる。1957年(昭和32年)よりソビエト連邦(現:ロシア)が実効支配しているため日本の当局による保守・点検ができない。現在に至るまでロシア側が管理を行っているが、電池切れが原因とみられる長期の消灯を40回以上繰り返している。2020年11月現在は、2014年11月4日から消灯状態となっている。(ウイキペディア)

現代時評《首相!華麗な変身を》山梨良平

自粛警察とは大きな災害発生時や感染症の流行に伴う、行政による外出や営業などの自粛要請に応じない個人や商店に対して、偏った正義感や嫉妬心、不安感から、私的に取り締まりや攻撃を行う一般市民やその行為

コロナ禍の中、○○警察なる自粛警察がはびこって来ているようだ。最近ではウレタンマスクをしている人を攻撃するウレタン警察なんてものも出てきたとか。
自粛警察の典型例は「県外ナンバーは帰れ!と怒る人の正義感」という記事もみた。少し冷静になれば、県外ナンバーといったって道路一つ隔てて県外、または引っ越してきて県外ナンバーなのかもしれない。自然災害の途に、日本人は優しい、お互いに助け合って災害を乗り越えている姿に感動したなどと外国人から褒められたり、その姿が外紙に掲載されたりしたあの日本人はどこへ行ったのだろう。○○警察はなぜ生まれたのだう?と疑問の思う人も多い。こんな時だ、優しさをなくすことはしたくない。

話は変わって、ようやくコロナ禍の中で国会が開かれた。菅首相をはじめ内閣は失礼な話だが全く体をなしていない。今最も必要なのは国を、国民を滅ぼさないようにすることだろう。菅内閣は一体なのを守ろうとしているのか、はなはだ疑問だ。議論は全く議論の体をなしていない。菅氏の最も悪い面が前面に出てきている。1月27日の参議院予算委員会で立憲民主党の蓮舫氏は「そんな答弁だから、(国民に首相の)言葉が伝わらない」と迫ると、「少々失礼じゃないでしょうか」と色をなして反論。」したという記事を見た。
詳細は上のリンク先の毎日新聞をお読みいただきたいが、彼女の首相に対する言葉は少々きついかもしれないが、的を得ている。もちろん物には言いようということもあるが、首相の木で鼻をくくったような答弁や官房長官時代の記者会見を見てみると、まったく「(国民に首相の)言葉が伝わらない」はその通りだ。

アメリカで新大統領が「分断から融和へ」をモットーにスピーチをした。菅首相も「国民の支持をバック」に、このコロナ禍のなか、大胆な政策を打ち出せれば、まさか二階幹事長も経済優先でNOとは言えないだろうと思うのは甘いのか。もちろん前提に「国民の圧倒的な支持」が必要だが…。

それこそ、こんな言い方は失礼だが、どうせ現在の支持率も低いし、下手をすれば早晩退陣ということになる。それなら、歴史に名を残してもらいたいものだ。マスコミと野党とそれに続く国民を味方につけて「華々しい退陣覚悟」の政策を打ち出すべきだ。

菅首相!こんな困難も、天が与えた好機ととらえてみては?