現代時評《黄河決壊事件とウクライナ戦争》井上脩身

黄河決壊事件

ウクライナのダムが6月6日、何者かによって決壊され、東京23区の面積に匹敵する約6000平方メートルが水没した。ロシア、ウクライナともに、相手側の仕業として非難を応酬。ウクライナ戦争は新たな局面をむかえた。この85年前の同じころ、日中戦争のさなかに黄河が決壊して氾濫、数百万人が犠牲になった。「黄河決壊事件」(写真)と呼ばれるこの軍事事件から導かれるのは「首謀者は住民の信頼を失って最終的に敗れる」である。ダム決壊の実行は軍事的に致命的な愚策にほかならないのである。 続きを読む 現代時評《黄河決壊事件とウクライナ戦争》井上脩身

れいわ新撰組の代表山本太郎氏の懲罰弁明書

6月8日参議院法務委員会において強行採決を阻止しようと抗議する山本太郎氏(写真)の行動が、国会内の秩序を著しく乱すもの、として懲罰に付すかを決める前に、弁明の機会を山本氏は得た。弁明の原稿案を見つけたのでここに紹介したい。

山本太郎代表 懲罰弁明【原稿案】(2023年6月21日)

現代時評《滅びゆくマスコミ》片山通夫

先週「日本はもうだめかもしれない」と書いた。今週はその遠因がマスコミにあるように感じたので本稿を書いた。

忖度と言う言葉を安部政権時代から何度聞いた事だろう。国会での安部元首相の書くのも情けない低俗なヤジに関して、答弁の中で「(私は総理大臣だから)森羅万象を受け持っている」、「国会の長」などの明らかに間違いの言に対してどれほどたしなめ間違いをただし、そして説いたのかを聞いてみたい。当初筆者は大マスコミは安部氏の明らかな間違いを「そのうちまとめて訂正」するのだろうと思ったものだ。ところがほぼ一年前に安部氏が凶弾に倒れ死亡した。続いて国葬。マスコミのボスどもは嬉々としてというのもおかしい表現だが、国葬に参加した。筆者が見る限り国葬に疑問を持った記事は見なかった。

面白いことがあった。安部氏は知ってる限り「自分の権力の及ぶ範囲で行動」していた。たとえば国内にある日本外国特派員協会での記者会見は決して行わなかった。それに反して内閣記者会では、また海外での内閣記者会相手の会見などは積極的に行っていた。だから海外への発信はほとんど内閣記者会というフィルターを通した情報発信でしかなかった。
ここに興味深い記事を見つけたのでリンクを貼っておきたい。いささか長文なのでそちらをお読みいただきたい。

《昔の内閣記者会は今よりはるかにマシだった~官邸権力との暗闘史》
https://webronza.asahi.com/national/articles/2020101700003.html 

※論座は来月末で掲載をが終了されます。上記記事は7月末までしか読めません。

私たちは一般的に国内の新聞やテレビの報道を通じてのみ、政府の動向を知ることとなっていいる。そのテレビや新聞が政府のスポークスマンである内閣官房長官という権力者に牛耳られて彼の言うがままの記事しか流さなくなった。
PRESIDENNT ONLINE というサイトがある。そこに《安倍政権以前はそうではなかった…記者クラブが忖度に拍車をかけた根本原因》と題した森達也(映画監督)氏と望月衣塑子氏の対談が掲載されている。
https://president.jp/articles/-/51492?page=1
この記事も長いのでじっくりお読みください。

同記事の要約というか、小見出しを3点ほど挙げておく。
1・首相会見での質問は官邸が事前チェック
2・事前通告の拒否や厳しい質問は当ててもらえない
3・出来レースのような記者会見の問題点

これらを見る限り、内閣記者会は《政府の広報》でしかない。
こんな状態を辟易と大の男が従っているマスコミに政府を監視するなんて芸当が出来るはずがない。

日本新聞協会によると、新聞の発行部数はこの5年で1128万部も減少。2022年10月現在、計3084万6631部(前年比218万部減)す。最も多かった1997年(5376万部)に比べ、25年で4割以上も減少。(2023/02/10)

マスコミはこのまま滅んでゆくしかないのかもしれない。

びえんと《押し付けを否定した内閣憲法調査会》Lapiz編集長 井上脩身

本日6/16のLapiz2023夏号Vol.46
矢部貞治・内閣憲法調査会副会長

びえんと《押し付けを否定した内閣憲法調査会》Lapiz編集長 井上脩身

 

 

 

 

 

――改憲にカジを切らなかったナゾに迫る――
日本の憲法について自民党は「アメリカに押し付けられた」として憲法改変を党是としてきた。保守合同で結党された翌年の1956年、「我が国の主体的憲法に変える」ために安倍晋三元首相の祖父・岸信介首相(当時)らによって、「内閣憲法調査会」が設置された。MORE

現代時評《日本はもう駄目かもしれない》片山通夫

日本人は昔から他人に、特に外国の人には冷酷だったのでしょうか?
6月9日の東京新聞に《疑念だらけなのに議論打ち切り 入管難民法改正案の残された問題とは 「外国人の命が危機」の声上がる》と。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/255562

結局の所、マイナンバーカード同様、数の力に押しつぶされるのが今の国会の有様。またそれに加えて数の力のメンツ(?)で一旦出した案をひっこめることができない、もしくはメンツが少数者の意見を聞く余裕がない。良識ある個人や弱小政党が如何に声をふり絞って叫んでも、説いても、所詮は負け犬の遠吠え。戦争と比べるわけではないがウクライナが当初数日であの巨大なロシアに押しつぶされることなく善戦しているのはウクライナの人々の弛まぬ抵抗、国を守る意志は無論、EUをはじめとする支援がものを言っている。
つまり大政党はもう少し余裕を持てれば良いのにそれがない。つまるところ自信がないのだ。自信がないから審議を打ち切って無理やり採決しようとする。マイナンバーカードのように以前決めたはずの決まりを平気で無視して押し切ろうとする野蛮さが顕著だ。

強い政党になびいてそのパシリに甘んじているような政党を政党とは呼べないのではないだろうか。そして我々国民は完全とは言わないが、そんな政治に興味も示さなくなった。言ってみれば面白くないのだ。それよりも芸能界のスキャンダル、WBCの行方、ガーシーだのなんだのと自分の身の回りで起こっていることよりも、無責任に興味を持つことのできる、面白おかしい事件の方が見ていて楽なのだ。

これにはマスコミ、特に新聞や地上波のテレビにおおいに責任がある。電波を取り上げられると恐喝まがいの脅しを受けることが考えられるテレビは論外だが、新聞も部数の減少象が著しい。今後ますます衰退してゆくはずだ。人口の減少傾向が続く地方ではもはや宅配は成り立たない。かといって、宅配をやめれば、人々の新聞離れはますます加速する。ニュースはテレビに頼る。テレビは政治に忖度する。かくして良識あるマスコミはなくなる運命にある。

保守的な考えのグループがはじめから計画したわけではないだろうが、完全に彼らの考えに乗せられている。安部政権時代の負の遺産、旧統一教会を始め白日の下にさらしたい事案は山積だが、もう日本は駄目かもしれない。