現代時評《ウクライナ戦争のなかのオペラ座》井上脩身

オペラ座・キエフ

オペラ座の幕上がる日来よ古都キエフ

私が所属している川柳クラブの3月例会に投句した句だ。ロシアは2月24日、ウクライナに軍事進攻したが、早期決着というプーチン大統領の思惑通りに進まず、長期化の様相を呈している。ウクライナ軍がプーチン氏の想定をはるかに超えて粘り強く反抗、ロシア軍の進撃を阻んでいるためとみられ、激しい爆撃に遭いながらもウクライナ市民はなお耐え抜いている。戦力ではるかに劣るウクライナがなぜ大国・ロシアとここまで渡り合うことができたのか。私は「オペラ座」に読み解くカギがあると考えている。

私は9年近く、おもに書道事業を行う団体の事務職員を勤めた。その一環として、ウクライナの首都キエフで書道展を開く計画がもちあがり、準備などのため2005年に3回キエフを訪ねた。前年の、親西欧派のユーシェンコ氏を大統領に選び出す「オレンジ革命」の余韻が街にみなぎっていて、オレンジの旗をつけた車が勢いよく走り回っていた。完成したばかりのショッピングモールは若者たちでにぎわい、多くの人たちは「EUに入りたい」と、西欧経済圏のなかで経済成長することを夢みていた。

キエフ訪問の1回目は、展覧会の会場を探すのが目的で、ウクライナ国立美術館で開く見通しがついた。同年4月の2回目の訪問では、同館の館長らと日程の詰めなどを行った。その滞在中、在ウクライナ大使夫人から「せっかくキエフに来られたのだから、ぜひ見てほしい」とオペラ座を案内してもらったのだ。正しくはウクライナ国立歌劇場。1867年に建設されたが火災に遭っており、現在の劇場は1901年に建てられた。外観はネオルネッサンス様式、中はウイーンモダンと呼ばれる古典的スタイルのオペラハウスである。
私が招かれたのは夜の公演だった。東京のように街灯などで煌々と照らされているわけではないが、それでもオペラ座は荘厳な建物であることはわかった。中は満席であった。ウクライナ語を知らない私には、パンフレットにかかれている演目がわからない。もちろん役者たちがうたう歌やせりふもわからない。しかし、本物のオペラに触れ、熱いおもいが胸にひろがった。

書道展は2005年10月8日から30日まで開かれ、日本の書家約100人(1人1点)の作品を展示。グローバル化の波をうけて、私の団体でも積極的に海外で展覧会を開いているが、入場者もまばらで閑散としているのが大半だ。キエフでの書道展は、会場が国立美術館であるため、有料にせざるを得ず、私はがら空き展覧会になると覚悟した。
しかし、キエフの書道展はちがった。21日間(月曜休館)の会期で1万721人が入場、うち有料入場者は1万26人(無料の最終日は695人)にのぼった。
私の団体は毎年、京都や大阪で大規模な書道展を開いていたが、入場者数目標の1万人を確保するのに四苦八苦し、招待券をあちこちに配りまわったものだ。有料入場者は1割にも満たない。ところが、キエフでは有料入場者率95%という、信じがたい数字になったのである。
その数以上に私を驚かせたのが、入場者の作品に対する真摯な態度であった。入場者のほぼ全員が日本語を知らない。したがって何が書かれているのかわからない。にもかかわらず、一つの作品を5分から10分もかけてじっくりながめる人が少なくないのだ。漢字作品を見つめていた20代の女性は「黒のなかの微妙な色合いの変化がすばらしい」と感想を述べた。

会場にアンケート用紙をおいた。569人から回答があり、「不思議はハーモニーを感じた」「黒と白の面構成に魅了された」「線の表現によって作家のこころの風景が表されている」などとしたためた。
オペラ座に案内してくれた大使夫人は「キエフからドニエプル川をくだって黒海にで、さらにドナウ川をさかのぼればウイーンに出る。一方、イスタンブールから黒海をわたって東洋の文化が入る。こうしてウクライナの文化が醸し出された」と話した。そうした地理的要因もあって、ウクライナの人たちのなかに、他にみられない文化意識がそだったのであろう。オペラ座はそうしたウクライナ文化のシンボルの一つなのである。

プーチン氏には、こうしたウクライナ人のもつ文化の誇りが理解できないであろう。プーチン氏にとって、文化とは紙屑にも至らない無価値なものにちがいない。しかし、文化とは音楽を聴いたり、絵を描いたりしてはぐくまれる個々人の自己表現の集合なのである。一人一人を戦車で踏みつぶすことはできても、長年にわたって伝えられてきた文化の血脈をぶち切ることはできない。「ペンは剣より強し」という。剣を振るうプーチン氏に対し、ウクライナの人たちは一見ひ弱く見えるペンで抵抗している、というのがウクライナ戦争の構図である。

ロシア軍は戦争が思うように進まないことから市民が避難しているウクライナ東部マリウポリの劇場を爆撃したのをはじめ、3月20日にはキエフ市の大規模商業施設にミサイルを撃ち込むなど、無差別攻撃を繰り返している。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)によると、3月17日までの民間人の死者は816人(うち子ども59人)という。しかし実際はこの数倍にのぼるとみられ、犠牲者は増える一方だ。

キエフのオペラ座の最初(1867年11月8日)の演目は「アスコルドの墓」であった。アスコルドはキエフの墓地のある公園だ。まさか150年後、このような惨劇が起きると予想して演じられたわけではあるまい。キエフのオペラ座が再び幕を開けられる日は来るのであろうか。私が目にしたオペラ座での観衆の感動の面持ちを思いうかべると、私は胸が引き裂かれるおもいである。