「近刊紹介」カテゴリーアーカイブ
ONCE UPON A TIME 《サハリンの肖像》File No.003
オホーツクという海がある。無論北海道のオホーツクと繋がっているというか同じ海だ。そもそもオホーツクという海の名称だが、ロシア語で”Охота” (Okhota) という、「狩猟」(英: hunting)という意味だ。 カニや鮭などの豊富な海で、大漁だとサハリンの経済は活気づく。末端の衣料品店まで漁に左右されるという。
ONCE UPON A TIME 《サハリンの肖像》File No.002
北海道・稚内から船でおよそ5時間余りでコルサコフ(旧大泊)という港に着く。その港はサハリン島の南端から大きく入り込んだ湾の中にある。アニワ湾だ。その湾の最も北側のサハリン州の州都・ユジノサハリンスクに近い海岸がユジノサハリンスク人の憩いの海である。貝を採り魚を釣りそして泳ぎ、短い夏を目いっぱい楽しむのがユジノサハリンスク人の流儀だ。
ONCE UPON A TIME 《サハリンの肖像》File No.001
サハリンではいろいろな人に会い、世話になりそして写真を撮った。それらの写真の一部を《サハリンの肖像》として紹介したい。
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.19 (完)
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.18 オコナイ
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.17
オコナイ
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.16
オコナイ
尾崎神社で撮影
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.15
滋賀県には様々な風習・行事(祭)が各地に残っている。「オコナイ」という行事もそうである。主に湖北地方に。その行事はまだ訪れる気配のない寒い時期に行われる。「五穀豊穣と村内安全を祈願して年頭に行われる予祝行事」と言われているようだ。今回から何度かに分けて紹介したい。撮影したのは小谷城跡のある長浜市湖北町。ここは浅井氏の城下町だった。神社庁の記録には次のように書かれている。
古く当村は河毛村と山脇村とともに松島神明宮を尊敬し「おこない」や春秋の祭礼には神酒と鏡餅を新菰に包みにしたものを捧持して山脇を貫流して田川に入る待合川(現松川)で待合せて三村が参拝した。菰包みにするのは雪中の道中の便を考慮した作法で現にこの作法は存続している。尾崎の地名は小谷山の地形から出た名称である。奉斎の年代は明らかではないが、宝永2年の奉額、享保7年の灯籠、安政5年の賽銭箱等が現存する。明治8年神明宮の奉称を現社名に改め同9年村社に加列した。
長浜市小谷郡上町 尾崎神社で撮影
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.14
珍しく美人を撮った。
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.13
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.12
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.11
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.9
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.8
ONCE UPON A TIME 《Lost File から 》File No.7
《アリランの流れる島・サハリン》
戦後、サハリンに残された朝鮮人たちの声。朝鮮半島が植民地時代に労働力として主に樺太(現サハリン)に渡った朝鮮人たちは、日本の敗戦後、祖国に帰れないでサハリンに閉じ込められた・・・。