びえんと《京アニ事件で思う死刑の是非 001》Lapiz編集長・井上脩身

壁がまっ黒になったアニメーションのスタジオ(ウィキベテアよ り)

36人が亡くなった京都アニメーション放火殺人事件で京都地裁は1月25日、被告男性に死刑を言い渡した。私は、死刑は廃止されるべきだと考える一人である。とはいえ、黒焦げになった京アニのスタジオを間近に目にし、何の理由もなくなく犠牲になった大勢の人たちをおもうと、死刑もやむを得ないのではとの思いが頭をもたげてくる。死刑廃止理念と京アニ事件という余りに非道な現実の間で、私はいま葛藤し答えを見いだせないでいる。死刑は存続すべきなのか、廃止されるべきなのか、濃い霧のなかを手さぐりで歩くような思いで、本稿を書き始めた。

複雑な遺族の心理

京アニ事件について、私はLapiz2019年冬号の「編集長が行く」で、「京アニ放火殺人事件現場で犯人像に思いをめぐらす」と題してエッセー風にまとめた。そのなかで、京ア二が募集した第1回アニメ大賞小説部門(2011年)で奨励賞を受賞した『中二病でも恋がしたい』の主人公の「俺、こんなに影が薄い人間なのはこっち側の世界の人間じゃないからか? とか思って魔界に行ってみたいと思ったことがあるんだ」との言葉に、京アニ事件の被告の心を探るヒントがあるような気がした、と書いた。被告は「魔界」の世界に入り、「こちら側の世界」の人たちに強い憎しみをおぼえていたのではないか、とおもったからである。
京アニ事件の被告もアニメ大賞を目指して小説を応募したが落選している。裁判では「コンクールに応募した小説が盗用された」と思いこんだ被告の妄想によって事件が引き起こされたかどうかが焦点となった。弁護側は妄想によって心神喪失に至ったとして無罪を主張したが、増田啓祐裁判長は「被告自身の攻撃的な性格や独善性などに基づいた犯行」と認定。「(被害者は)全く落ち度もないのに将来を奪われ、無念さは察するに余りある。非業の死を遂げた恐怖や苦痛は筆舌につくしがたい」と述べたうえで、「残虐非道な犯行で36人もの尊い命を奪い、まれに見る被害の大きさで社会に衝撃を与えた。死刑を回避する余地はない」と判示した。

法廷では被害者の遺族たちも判決を聴いていた。アニメーターだった妻を亡くした夫は、裁判長が死刑を言い渡すと涙をポロポロと流した。この夫は自ら作った裁判記録ファイルに、被害者をさん付けして記載しており、「死刑」を口にすることにはためらいがあったという。記者の取材に応じ「遺族一人一人の思いを、裁判哉や裁判員の皆さんはほんとうによく聞いてくれた。うれしかった」と語った。(1月26日、毎日新聞) 「彼(被告)が死刑にされてしまったら何が残るか心配していた」という娘を亡くした父親は「死刑になってほしくなかった。死刑と聞いたときは『やっぱりそうか』と思い、ため息が出た」と語った(1月25日、朝日新聞電子版)。苦悩の胸の底から絞り出すように出るこうした声に比べると、「(死刑判決は)社会に与えた深い傷を考えると納得できる」(京都市の大学生)という一般傍聴人の意見のなんと軽いことか。二人の遺族の
言葉だけで軽々に判断はできないが、「遺族は犯人への憎しみ、恨みから死刑を求めるはず」と決めつけるのはいかがであろうか。命というものに直面することになった遺族の心理は、私が想像していたような憤怒の炎に包まれた精神状態という単純なものではないようだ。

78人が犠牲の凶悪事件

連続テロ事件で69人が犠牲になったウトヤ島の現場 (ウィキベテアより

外国では、京アニ事件のような大事件が起きたとき、被害者や遺族はどう思うのだろうか。調べてみると、北欧ノルウェーで世界中を震撼させる大事件が起きていた。ノルウェーは1905年、死刑廃止に踏み切った。それから1世紀余り後の2011年7月22日、首都オスロの政府中枢部の庁舎が爆破され、8人が死亡した。極右思想の白人男性、アンネッシュ・ベーリング・ブレイビクの犯行だった。ブレイビクはさらにオスロ北の河川中にあるウトヤ島に向かい、同島で開かれていたノルウェーの労働党青年部の集会の会場に侵入。出席していた700人に向けて銃を乱射し、67人が撃たれて死亡、2人が島から泳いで逃げようとして溺死、319人が負傷した。合わせて78人が犠牲になった連続テロ事件は世界に衝撃がはしり、国連の潘基文事務総長は「ノルウェー国民と結束する」との声明を発表。フランスのサルコジ大統領は「憎むべき許しがたい行動」との書簡をノルウェー首相に送った。菅直人首相も「無垢の人々を犠牲にする暴力行為はいかなる理由があっても許されない」と述べた。
犯人のブレイビクは国内外の極右組織と関係があったとみられ、ノルウェーの検察当局は反テロ法違反と計画殺人の罪で起訴した。
裁判でブレイビクは「イスラムから西欧を守るため」と動機を挙げ「非道なことだが必要なこと」と無罪を主張。精神科医がブレイビクを診断し、「犯人は犯行時も現在も妄想の世界で生きている」と診断、責任能力が無いと結論づけられた。この鑑定によって、ブレイビクは収監されず精神病院で治療される可能性が大きくなったことに遺族らが反発。公判ではブレイビクの精神状態が最大の焦点となったが、ブレイビク自身は「精神病でない」と主張しつづけた。オスロ司法裁判所は2012年8月23日、禁固最低10年、最長21年の判決を言い渡した。

2022年、刑期が10年をすぎたことから、仮釈放の申請が可能となり、法廷で審理された。ブレイビクは白人至上主義を訴え、ナチス式敬礼までおこなったことなどから、仮釈放申請は却下された。ノルウェーでは、刑が終わった後も社会復帰が危険とみなされれば、刑期が無期限に延長されることもあるという。
(明日に続く)