現代時評《満州国建国と重なるウクライナ4州併合》井上脩身

 ロシアのプーチン大統領は9月30日、ウクライナの東部・南部の4州をロシア領に編入すると宣言した。強奪というほかないロシアによるウクライナ領土の併合に対し、ウクライナは反転攻勢を展開しロシア軍を猛攻、ウクライナ戦争は新た局面に入った。岸田首相は10月3日の所信表明演説で「力による一方的な現状変更は許されない」と非難したが、90年前の1932年、軍事占領した中国東北部の満州に傀儡国家である満州国を成立させたのはわが国である。ウクライナ4州併合を満州国建国と重ね合わせると、ウクライナ戦争の今後をうらなう、あるキーワードがうかびあがる。「Iの国」である。

 プーチン氏は、9月29日、住民投票が強行された南部ザポロジエ、ヘルソン両州を独立国として認める大統領令に署名。2月のウクライナ侵攻前、親露派が「共和国」と自称していた東部ドネツク、ルガンスク両州をプーチン氏は国家として承認しており、この4州を「独立国」として、条約を締結する形をとった。

 ロシアは2014年にクリミア半島を一方的に併合しており、東部からクリミア半島にいたるウクライナ国土の2割の面積を占める黒海沿いのこの一帯を、プーチン氏は「我がものにしたのである。プーチン氏は編入の根拠を住民投票によって住民の意思が示されたとしているが、ウクライナ側は「銃を突き付けるなどの暴力的な方法で行われた」と主張。国連は10月12日の緊急特別会合で、ウクライナ4州の一方的な併合は違法で無効と宣言する決議案を143カ国の賛成多数で採決した。決議は、住民投票を非難したうえ、併合について「国際法上無効であって、ウクライナの地域の地位変更の根拠にならない」としている。この決議に反対したのはロシアなど5カ国。中国、インドなど35カ国が棄権した。
 戦前の日本が満州国を建国したのは1932年3月1日。その前年、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破、中国軍の仕業とでっちあげて中国軍を攻撃した柳条湖事件(満州事変)に端を発して満州を占領。清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を元首にしたてて満州国を強引に成立させた。満州国は形の上では独立国だが、「大日本帝国と不可分的関係を有する国家」とされ、関東軍に強い影響を受ける日本の属領国家であった。

 満州問題について国際連盟理事会はリットン調査団を派遣することを決定。調査団は1932年3月から6月にかけて調査を行い、満州事変は日本の侵略行為であり、満州国を独立国として認めることはできないと結論。これを受けて1933年2月、国際連盟総会で日本に対する撤兵決議案が42対1で可決された。日本は国際連盟から脱退。国際的に孤立するなか、満州国を承認していたドイツ、イタリアとの連携を模索、第二次世界大戦が勃発すると、1940年9月27日、日本、ドイツ、イタリアの3国軍事同盟がベルリンで調印された。
 プーチン大統領のロシアが国際的に孤立しつつあることは、国連の特別会合で併合非難決議案が圧倒的な賛成多数で可決したことからも明らかであろう。戦前の日本はその対策としてドイツ、イタリアとの同盟に求めた。これを3国のイニシャルから、「JIG同盟」と呼ぼう。
ではロシアはどう出るであろうか。2022年2月、プーチン大統領は習近平総書記との中露首脳会談で「両国の友好に限界はない」と表明、中国との関係強化を進めている。もうひとつ、プーチン氏が期待をよせるのがインドだ。中国、ロシア、中央アジア各国の安全保障や経済協力を協議する上海協力機構にインドは加盟しており、9月にウズベキスタンのサマルカンドで会議が開かれた際、プーチン氏はインドのモディ首相と会談した。

戦前の日本がJIG同盟へと進んだように、プーチン氏はRIC関係の緊密化を図ろうとすることはほぼ間違いないであろう。もしRIC同盟が成立することになれば、西側ブロックと中国・ロシアブロックとのバランスが崩れることは必死である。アジア太平洋の軍事的不安定化は避けられず、東アジア位置しかつ西側の一員であるわが国は、安全保障上深刻な事態に直面することになりかねない。

一方でインドは日本、アメリカ、オーストラリアと共に、経済協力を協議するクアッド構成国でもある。西側、とくにアメリカとの関係もおろそかにしないしたたかな外交を展開しているのだ。おそらくインドは国益を最優先し、経済・軍事的側面から西側と中露側の今後の力関係を見定めようとしているのであろう。

 RIC体制がなるか、それともRCだけにおわるか。21世紀前半の最大の焦点である。