現代時評《人間の器》山梨良平

TVニュースより(日本テレビ)

通常能力や性質からみた、人間の大きさを指して「度量」と言う言葉を使う。
もう何時の頃かは忘却の彼方においてきたが、以前は政治家にも、与野党通じて「広い度量の人物」はおられた。 別の言葉で表現すると「器が大きい人物」を指すのだろう。

しかし昨今の自民党のみならず与野党に度量の広い人物は見当たらない。たとえばこのほど、杉田議員のアイヌ民族を侮辱する表現について、札幌法務局が「人権侵犯の事実があった」と認定していたことが分かった。具体的には「会議室では小汚い格好に加え、チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場」と自身のブログの書いたことを指すらしい。彼女は「落選中で一般人だった」と言い訳した。

ここでご本人の「一般人だったからいいだろう」という認識不足があった。「削除したからいいだろう」は批判を招いたから削除したと言うことにとれる。この感覚が筆者にはわからない。国会議員だったら駄目で、一般人だったらこのような発言が赦されるという感覚。心底差別が身についている憐れな人だ。
また良く言われるように、政治家は取り消して謝れば良いのだと言うわけだ。一般人であろうが公人であろうが差別はいけないし、謝れば済む問題ではない。ことに杉田氏は過去に何度も同様の差別発言を繰り返している。

もし仮に杉田氏が心の底から「アイヌ・コスプレ」発言を自身の主義・主張と思うのなら、批判を受けたからと言って謝罪したり取り消したりする必要はない。
ここで度量や器がモノを言う。しかし彼女はおそらく世渡りのため問題の発言を取り消した。取り消すぐらいなら最初から発言しない方がいいと思うのだが。発言するなら責任をもって最後まで貫き通すべきだ。それができないなら政治家は即刻やめ自身が言う「一般人」に戻るべきである。人権侵犯で公けの部署から指導を受けるなんて恥ずかしくないのだろうか。

器の大きい人物が見当たらないのではなく、じっと雌伏されているのだろうと思いたい。