ギャラリー

Gallery《Hokkaodo Northern Territorial Front Line》No.2

知床半島の少し南に野付半島という砂嘴でできた半島がある。この砂嘴には、トドマツ林が、海水面上昇ないし地盤沈降に伴う地面の浸食により枯死したトドワラで有名だ。いわゆる立ち枯れである。その野付半島から国後島は16Km。目と鼻の先である。そしてその狭い海域で羅臼漁港から小さな漁船で中間線以内での漁をする。「境界線」を超えると拿捕されるという危険があることは言うまでもない。写真の漁船の人は「水揚げも大したことないので」と言葉少なにつぶやく。大きな漁船でロシア側に入漁料を払ってまで漁はできないというわけだ。

Gallery《Hokkaodo Northern Territorial Front Line》No.1

海に囲まれた我が国の北に位置する大国ロシアとは、海を隔ててはいるが、第二次大戦の結果、我が国の敗戦とともに、いわゆる北方四島がロシアが実効支配し現在に至っている。戦前これらの島で生活していた人々、そして彼らの子孫の多くは根室市など、父祖の地を望める地域に住んでいる。
Hokkaodo Northern Territorial Front Lineを2部に分けてお届けする。第一部は貝殻島を望む納沙布岬から。

Gallery《Hokkaodo Wakkanai》

稚内は北海道・・というか、日本最北端の町。幕末に松浦武四郎という探検家が、開拓使の役人として、1869(明治2)年7月17日に蝦夷地に代わる名称の提案を明治政府へ行った。その候補にあがったのが「北加伊道」「日高見道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案。最終的に「北加伊道」の「加伊」が「海」となって、同年8月15日に現在の「北海道」と命名された。武四郎は幕末に出版した「天塩日誌」の中で、天塩川流域を調査した際に出会ったアイヌの長老アエトモから、「カイという言葉には、この地で生まれたものという意味がある」と教えられたと記しており、「北加伊道」にその意味を込めたと言われている。(参考 音威子府観光情報サイト