とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと》 その3  中川眞須良

写真はイメージ

風負い地蔵
「あかかべ地蔵」の名の碑が立っているが このお地蔵さんに初めて出会った時「風負い地蔵」と呼ぶことにした。その日は 新年を数日後に控えた曇天の暮 午後3時を過ぎたばかりというのに玄関の外灯に明かりが灯る家があちこちに、風はやや強く歩いていて手袋無しでは身体の芯まで冷える。白いものがチラついてもおかしくない空模様である。

旧堺市内のほぼ中心部、東西に通る巾3メートル程の一方通行路と直角に交わる丁字型三叉路に一体の地蔵が南を向いて立っている。東西道路に面した寺の玄関横の軒下で 祠も無ければ囲いもない。石の台座に立った等身大よりやや低いスリムな地蔵さんである。外壁の低い屋根の庇と奥深い軒にしっかりガードされているので雨に濡れる心配はないが風に対しては無防備で特に西壁 南壁の角隅に立つこの場所は2方向からの風に対しては吹きさらしの場所である。

この日たまたま前を通りかかリ、思わず立ち止まってしまったのは、地蔵さんが身に纏うカラフルな赤い色が先に目の隅を横切ったからだろう。衣装は足元まで全身を覆うビニールコーテイングを施した厚みのある濃いオレンジ色のオーバーコート。大きなポケットまでついている。首元は薄いピンクでかなり大きめのいわゆる涎掛け(よだれかけ)、そして真赤なぴったりサイズの帽子を目深に被り、「防寒・防水対策姿を赤系統でまとめてみました」と言わんばかりのかわいいお地蔵さんである。そして正面からお地蔵さんに向かって立つ私に対し道路から溢れた風であろう地蔵の後ろ二面の壁に沿うように、地蔵本体にまきつくように北正面から直撃してくる。なぜか路上の風よりさらに冷たく感じるのは吹き抜く風の一部が隙間風に性質を変えるのか、それとも気の所為なのか。一瞬なにか話しかけられた気配すら感じる不思議な風、また次の瞬間無秩序の種をばら撒いてゆく嫌われ風に変身する。何れにせよ風負い地蔵からの吹き出し風なのである。改めて地蔵の顔をそっと覗いて見たが優しく目を閉じている風貌に変化はない。

春夏秋冬 365日この地蔵さんの背を回って無類の風が北から生まれ、あらゆる方向に流れてゆく。今日の風が無縁風であるなら明日の風は無畏(むい)の風かもしれない。

来年の梅雨の頃この「軒の下風」は湿気を帯びた「蒸し蒸し風」に姿を変え何を吹き放つのか・・・。もう一度訪れてみたい。

その寺  浄土宗 法傳寺 http://otera.jodo.or.jp/temple/32-335/