Lapiz2021 夏号は6月1日から LAPIZ ONLINE で掲載いたします。
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片山通夫公式サイト photo:角館・秋田
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◇連載コラム・日本の島できごと事典 その20《選挙権のない島》渡辺幸重
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・バックナンバー・連載コラム・日本の島できごと事典 ──────────────
日本でいちばん人口が少ない自治体(村)は伊豆諸島・青ヶ島村で、2015年国勢調査では178人となっています(原発事故のため避難者が多い福島県の飯舘村と葛尾村を除く)。“鳥も通わぬ”といわれた八丈島からさらに約64km南下したところにあるのが面積5.96平方キロの小さな青ヶ島です。
日本で初めての選挙が行われたのは大日本帝国憲法発布翌年の1890年(明治23年)の衆議院議員選挙のときです。選挙権を持つのは、直接国税を15円以上納めている満25歳以上の男性のみで、1925年(大正14年)になって25歳以上のすべての男性に広がりました。満20歳以上の男女すべての日本国民が選挙権を持つようになったのは1945年(昭和20年)の第二次世界大戦後になってからのことです。ところが、青ヶ島で初めて国政選挙が行われたのは1956年(昭和31年)7月8日の参議院議員選挙でした。青ヶ島の住民には明治時代から敗戦10年後に至るまで選挙に参加することができず、憲法違反の基本人権剥奪が続いていたのです。
公職選挙法第8条には「交通至難の島その他の地において、この法律の規定を適用し難い事項については、政令で特別の定をすることができる」とあり、同法施行令第147条には「東京都八丈支庁管内の青ヶ島村においては、衆議院議員、参議院議員、東京都の議会の議員若しくは長又は教育委員会の委員の選挙は、当分の間、行なわない」とありました。これが1956年6月6日の改正まで存在したのです。
昭和20年代当時、島の中学生は作文に次のように書いています。
「(新しい憲法に)国民は自由、平等、国の主人公だと書いてあるとおそわった。けど、それはうそだと思う」
「この島の人たちには選挙権がありません。えらい人たちは口先きばかりで、実際にやっていないのです。便利なところでも不便なところでも、住んでいるのは日本人なのです」
「口ばっかりの民主主義はほしくない。ぼくはくやしい。かなしい」
投票箱を運ぶのが間に合わない、という理由だけで青ヶ島の人だけ選挙権が奪われました。私たちはこの歴史を忘れることなく、かつての島の中学生の声を自分の気持ちのなかにあらためて受けとめたいと思います。
※写真:<青ヶ島 青ヶ島村 評判&案内 | トリップドットコム>より
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◇現代時評《今更だけど》山梨良平
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わが国の過去からの実績(?)がここにきて顕著に表れてきた。戦前は「退却」を「転進」といったらしい。また「全滅」は「玉砕」。所謂大本営発表である。
少なくともわが国の政治屋や官僚はこの血を見事にかつ脈々と受け継いできている。昨夜(21年4月13日)あたりの新聞に掲載されている記事を見ればそれが実感できる。「汚染水」を「処理水」などと言い換えればまるで「浄化された水」のごとくの印象を与える。いやそれが目的だろう。マスコミも戦前と同様、権力に迎合して同罪である。麻生氏に至っては「飲める」らしいと宣ったと
いう。本人は十二分に生きてきただろうから「処理水飲んで見事玉砕」されようがご勝手にというところだが、老後の貯えも十分でない我々国民はそうは行かない。
閑話休題。
維新の大阪はここにきて大変なことになっている。コロナ地獄とでも表現するしかしようがない。保健所や病院を減らした報いが今になって表れてきたわけだ。4月17日のNHKニュースでは「大阪府 医療体制ひっ迫で滋賀県に支援要請」とあった。
およそ、国民の生活を脅かすような政治は政治とは言えない。文化をないがしろにする政治、科(化)学、等の予算を削るような政治はもはや政治とは言えない。無論病院や保健所などの国民の健康を守るべき装置は当然である。図書館に国公立の学校などに効率や金銭的な利益を求める政治もしかりである。ましてや原発の汚染水を海に流すという暴挙は論外といえよう。
日本の政治屋はこのことを改めてわきまえす必要がある。
最後に日本国憲法の25条を紹介しておきたい。憲法は「国民を縛るのではなく政府を縛る」ものだ。
【 第二十五条】
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなけれ
ばならない。
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◆編集長から:片山通夫
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台湾が注目されている。コロナに打ち勝っている台湾だ。人口23,568,378人(2020年)。
一つのエピソードを紹介したい。
⇒感染確定者との接触者を「明確な濃厚接触者」「濃厚接触もしくは接触可能者」「公開した同一時刻同一場所にいて症状のある人」と3種類に分類して、隔離措置、経過観察、診察検査を行う。なお、濃厚接触者とは「感染確定者と1~2メートル以内で15分以上接触した人」と明確に定義されている。
詳しくはダイヤモンドオンライン
わが国のコロナ対策とは根本的に違う。
さてその台湾だが近頃中国の「覇権主義」で不穏な空気が漂ってきている。中国軍機が煩雑に「航空識別圏」を超えて台湾側を威嚇しているのだ。その台湾海峡の不穏な空気を一掃するためにこのほどの日米首脳会談で「台湾海峡の平和と安定の重要性確認」し、共同声明にも明記したという。今後の日米両国は無論、台湾海峡の状況を注視したい。
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発行 2021年4月20日 No.998
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雨で一日延びた甲子園。いずれも初出場同士の京都国際高校と柴田高校(宮城)の試合が24日行われた。試合の模様は下記を参照していただくとして、筆者はこの京都国際高校に関してすごく思い入れをお持ちの方と親しい。在日韓国人の組織・在日本大韓民国民団が発行する民団新聞の元記者鄭容順さんだ。名前の通り彼女は在日韓国人2世。
LapizというWebマガジンに、その思い入れの詳細が書かれている。少し長いが紹介したい。 “現代時評plus《京都国際髙校》片山通夫” の続きを読む
連載コラム/日本の島できごと事典 その11《風土病フィラリア》渡辺幸重
伊豆諸島・八丈島の西方約4kmに八丈小島という無人島があります。1969年(昭和 44年)に住民全員が離島するまでは24戸91人が住んでいました。
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本日1/21のLAPIZ ONLINE
冬の夜の昔話《神隠し》片山通夫
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隆起珊瑚礁の島はたくさんありますが、鹿児島市から南南西約365km、奄美大島の東に浮かぶ喜界島はその隆起速度が速いことで世界的に知られています。
喜界島の地形は台地状で、標高約200mの「百之台」は約12万年前に形成された珊瑚礁といわれてきました。すなわち、12万年前に海面すれすれにできた珊瑚礁がいまは海面から200m高い位置まで隆起したということになります。ざっと計算すると平均で1,000年に1.7m持ち上がったことになります。これは世界でも三本の指に入るくらいの“超速”だといいます。ところが、その後の研究で「百之台」の珊瑚礁段丘は10万年前に形成されたという新解釈が出てきました。その時代の海面は現在より14m低かったので10万年で約214m隆起したことになります。厳密に言うと、喜界島の最高点は214mなので、約230mの隆起かもしれません。いずれにしても喜界島の平均隆起速度は1,000年に2mを超えるレベルになりました。
喜界島は過去7,000年間に少なくとも4回の隆起活動がありました。1000~2000年周期で隆起しており、最近では約1400年前のできごとです。隆起活動が活発な時期にはさらに“超速”だったことになります。
喜界島は10万年前から現在までの珊瑚の化石が積み重なった島なのです。10万年間、隆起するたびに島の周りにサンゴ礁が広がり、また隆起する、ということを繰り返してきました。世界中の珊瑚礁研究者から“珊瑚礁研究の聖地”“奇跡の島”と呼ばれており、島内にはNPO法人「喜界島サンゴ礁科学研究所」があります。
百之台にある芝生の広場が「七島鼻」と呼ばれ、第二次世界大戦中には旧日本軍の電波探知(レーダー)基地がありました。いまはパラグライダーの離陸場として利用され、現代人が10万年前の珊瑚礁を蹴って大空を舞っています。
渡辺幸重
1951年、鹿児島県屋久島生まれ。新聞記者、予備校・塾講師、教育コンサルタント、編集プロダクション経営、大学教員などを経て、ジャーナリスト。「島と海」をライフワークとし、環境、地域、人権、教育、情報社会の問題などに取り組んでいる。
ヘッダー写真は、まだコロナが世に出ていなかった何年か前の1月にサハリンで撮影した。
リロードするたびに3点の写真が変わります。