現代時評plus《京都国際髙校》片山通夫

雨で一日延びた甲子園。いずれも初出場同士の京都国際高校と柴田高校(宮城)の試合が24日行われた。試合の模様は下記を参照していただくとして、筆者はこの京都国際高校に関してすごく思い入れをお持ちの方と親しい。在日韓国人の組織・在日本大韓民国民団が発行する民団新聞の元記者鄭容順さんだ。名前の通り彼女は在日韓国人2世。
LapizというWebマガジンに、その思い入れの詳細が書かれている。少し長いが紹介したい。

1月29日の夕方、ラジオから今春の高校野球の選抜大会に、京都府の学校法人・京都国際中学高等学校の京都国際高校が出場すると放送された。この放送に私は夫に「出た、出た」と叫んでいた。夫は「何が出た」という。それほど私の心は浮足立ち、こみあげてくるものがあった。(中略)野球部の創部は1999年である。生徒数の減少に、学校関係者が苦肉の策として野球部を創部することになった。創部までの高校野球連盟の加盟など問題はたくさんあったが、多くの支援者で創部できた。創部で入ってきた野球部員は在日の生徒や韓国からの留学生で野球に関係していた生徒は2人、後は遊びや草野球で野球をした程度の素人だった。それでも学校関係者は強いチームになることを願い支援をした。創部時、私は民団新聞の関西担当記者をしていた。最初の夏の京都府地方大会の時、私は西京極競技場の現場にいた。初めて入った競技場、規制を知らなくてグラン
ドに入ってものすごく怒られた。それから重い望遠レンズを持って競技場に入るようになった。

ほんの冒頭の記事だが筆者が原稿を受け取った時、文字が躍っているように思えた。いつものようにEーMailで送られてきたのでそんなわけはないのだが、彼女の興奮が文章の端々に感じられた。
つまりそれほど民族学校が一条校になり甲子園まで進んだということはその間の苦労を民団記者だった鄭容順さんが身をもって自らの在日としての生活を重ねていたのだと思う。
余談だが筆者の中学時代の同級生が彼女と同じ高校に学んだらしいが、これはそれだけのことだが、何となく親しみを覚える印象である。さて、初戦を制した京都国際は次の試合に進むわけだ。

 元民団新聞記者・鄭容順の興奮はまだまだ続く。

 

参考HP

LAPIZ ONLINE 鄭容順の記事  

試合の詳細

民団