「column」カテゴリーアーカイブ

モノローグ・コロナの日々《あなたの価値観を私に押し付けないで》片山通夫

同性婚に関する裁判や性的少数者(LGBTQ)の理解増進法などになんとなく、しかし長い間、違和感を覚えていた。それが何なのか、自分でも自覚できなかった。それが今朝すっと、いわゆる胸のつかえがとれた。
国が、国家権力が個人の生き方に干渉しているからなのだと気が付いた。まったく余計なお世話なのだ。これと「差別する」ということはまったく違うということを書き添えておく。気をつけなくてはいつの間にか個人の生活、もしかして尊厳にまで国家が干渉しだす。東京新聞の2023年6月26日の記事に「 LGBTQ権利擁護の大パレード、NYで観衆200万人「他人の価値観をコントロールしようとしないで」 という記事があった。
言葉を換えれば「あなたの価値観を私に押し付けないで」だ。(掲載は不定期です)

モノローグ・コロナの日々《梅雨の中の七夕と伝統的七夕》片山通夫

子供の頃はこんな七夕の夜が恋しかった。

昔、小学生のころ、七夕祭りはいつも雨か、うっとおしい日の連続だった。何しろいわゆる梅雨のさなか。降らない方が不思議な時期だった。そして8月に絢爛に行われる仙台の七夕祭りがうらやましかった。そしてなんて頭のいい人が考えたのだろうと長い間そう思っていた。しかし本来は旧暦の7月7日が正しいのだと気が付いた。変に新暦に「語呂合わせ」をするからいたいけな小学生を悩ますのだ。
太陰太陽暦は、明治6年に現在の暦が採用されるよりも前の暦で、現在は公には使われていない。このため、伝統的七夕の日は、太陰太陽暦による7月7日に近い日として、以下のように定義された。
つまり二十四節気の処暑(しょしょ=太陽黄経が150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(さく=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が「伝統的七夕」の日という。

さて今年は8月22日がその日に当たる。そんな先なら忘れてしまいそう。

モノローグ・コロナの日々《プーチン 大変!》片山通夫

外国の干渉が間接的せよ、直接席的にせよ、うるさいのかプーチン大統領の腰がなんとなく定まっていないように感じる。BBCは「ベラルーシ大統領、プリゴジン氏の到着を発表し亡命を歓迎 ワグネルに基地提供と」、「プリゴジン氏、ロシア軍トップ2人の拘束計画 米紙」などと姦しい。
いずれ一枚岩でなく、一癖も二癖もある3人のにらみ合い。我々凡人にはまったく先が読めない。言えることは「プーチン 大変!」だ。

現代時評《騒乱 マイナンバーカード》山梨良平

この稿を書くにあたって、例によって「騒乱」の意味を辞書で調べてみた。「騒乱」とは「事変が起こって、社会の秩序が混乱すること。 また、そのような事変。」を指す。
ロシアでは、ワグネルのクーデターもどきがおさまって一息ついているようだが、ロイター通信が《世界は「プーチン後」に備えを、ワグネル反乱で動き始めた時計》とコラムに書いた。何はともあれ、水面下では単に収まったとは言えないようだ。
所で我が国の「騒乱」だが、現在のところマイナンバーカードに尽きるようだ。ほとんど毎日と言っても過言ではなさそうな騒ぎになっている。とうとう「返納騒ぎ」だ。政府も巨額の予算を使って始めたカードなのだから、今更「はい、そうですか」と撤回するわけには行かないのだろう。しかしことは国民の安全(健康)にかかわる事態になってきた。来秋には「紙の保険証」をマイナンバーカードに切り替えると言うのだが、なかなか実際はそうは行かない事態だ。

ここで筆者が把握できたトラブルを挙げておく。 (順不同)
*本人ではない家族名義の口座 13万件
*別人の公金受取口座 748件
*マイナンバーカード保険証に別人の情報 7300余件
*別人の証明書発行など
*預金口座の氏名の「ふりがな」がなく、漢字のみが登録

国民の矛先は河野デジタル相に向かっているようだが、根本原因は政府の計画性と融通のなさだろう。過去にも「一旦決めて予算化すれば」途中で中止や廃止という小回りが効かないのが政府であり自民党なのだろうと思える。しかしそれは国民の利益にもならないし、国家予算の喪失にしかならない。どこかの政党が「身を切る改革」と言っているが、実際に政府が「身を切る」必要がありそうだ。この政党もこんな時は「他人事」だから自ら火の粉をかぶる気もなさそうだが。

今、我が国のマイナンバーカードをめぐる有様は「騒乱」と言うに値する。

モノローグ・コロナの日々《始めます!》片山通夫

まさかこのような日々をこの年になって過ごすことになるとは想像もつかなかった。「あやつ」がやってきて、毎日なす術もなく無事にやり過ごすだけの生活を家人はうるさく言うようになった。それを言う家人も面倒でいやだろうが、言われるこちらもうっとうしい。
あやつは「コロナウイルス」と呼ばれている。いわゆる感染症らしい。ところがこの感染症は今のところ「ワクチン」しかない。つまり治療薬が見当たらないのだ。おそらく世界中の製薬会社や研究所が研究しているであろうと思われるのだが。そんな日々にふと思ったことを綴ってみた。ボクも暇なのだ。(掲載は不定期) 続きを読む モノローグ・コロナの日々《始めます!》片山通夫

現代時評《黄河決壊事件とウクライナ戦争》井上脩身

黄河決壊事件

ウクライナのダムが6月6日、何者かによって決壊され、東京23区の面積に匹敵する約6000平方メートルが水没した。ロシア、ウクライナともに、相手側の仕業として非難を応酬。ウクライナ戦争は新たな局面をむかえた。この85年前の同じころ、日中戦争のさなかに黄河が決壊して氾濫、数百万人が犠牲になった。「黄河決壊事件」(写真)と呼ばれるこの軍事事件から導かれるのは「首謀者は住民の信頼を失って最終的に敗れる」である。ダム決壊の実行は軍事的に致命的な愚策にほかならないのである。 続きを読む 現代時評《黄河決壊事件とウクライナ戦争》井上脩身

現代時評《滅びゆくマスコミ》片山通夫

先週「日本はもうだめかもしれない」と書いた。今週はその遠因がマスコミにあるように感じたので本稿を書いた。

忖度と言う言葉を安部政権時代から何度聞いた事だろう。国会での安部元首相の書くのも情けない低俗なヤジに関して、答弁の中で「(私は総理大臣だから)森羅万象を受け持っている」、「国会の長」などの明らかに間違いの言に対してどれほどたしなめ間違いをただし、そして説いたのかを聞いてみたい。当初筆者は大マスコミは安部氏の明らかな間違いを「そのうちまとめて訂正」するのだろうと思ったものだ。ところがほぼ一年前に安部氏が凶弾に倒れ死亡した。続いて国葬。マスコミのボスどもは嬉々としてというのもおかしい表現だが、国葬に参加した。筆者が見る限り国葬に疑問を持った記事は見なかった。

面白いことがあった。安部氏は知ってる限り「自分の権力の及ぶ範囲で行動」していた。たとえば国内にある日本外国特派員協会での記者会見は決して行わなかった。それに反して内閣記者会では、また海外での内閣記者会相手の会見などは積極的に行っていた。だから海外への発信はほとんど内閣記者会というフィルターを通した情報発信でしかなかった。
ここに興味深い記事を見つけたのでリンクを貼っておきたい。いささか長文なのでそちらをお読みいただきたい。

《昔の内閣記者会は今よりはるかにマシだった~官邸権力との暗闘史》
https://webronza.asahi.com/national/articles/2020101700003.html 

※論座は来月末で掲載をが終了されます。上記記事は7月末までしか読めません。

私たちは一般的に国内の新聞やテレビの報道を通じてのみ、政府の動向を知ることとなっていいる。そのテレビや新聞が政府のスポークスマンである内閣官房長官という権力者に牛耳られて彼の言うがままの記事しか流さなくなった。
PRESIDENNT ONLINE というサイトがある。そこに《安倍政権以前はそうではなかった…記者クラブが忖度に拍車をかけた根本原因》と題した森達也(映画監督)氏と望月衣塑子氏の対談が掲載されている。
https://president.jp/articles/-/51492?page=1
この記事も長いのでじっくりお読みください。

同記事の要約というか、小見出しを3点ほど挙げておく。
1・首相会見での質問は官邸が事前チェック
2・事前通告の拒否や厳しい質問は当ててもらえない
3・出来レースのような記者会見の問題点

これらを見る限り、内閣記者会は《政府の広報》でしかない。
こんな状態を辟易と大の男が従っているマスコミに政府を監視するなんて芸当が出来るはずがない。

日本新聞協会によると、新聞の発行部数はこの5年で1128万部も減少。2022年10月現在、計3084万6631部(前年比218万部減)す。最も多かった1997年(5376万部)に比べ、25年で4割以上も減少。(2023/02/10)

マスコミはこのまま滅んでゆくしかないのかもしれない。

現代時評《日本はもう駄目かもしれない》片山通夫

日本人は昔から他人に、特に外国の人には冷酷だったのでしょうか?
6月9日の東京新聞に《疑念だらけなのに議論打ち切り 入管難民法改正案の残された問題とは 「外国人の命が危機」の声上がる》と。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/255562

結局の所、マイナンバーカード同様、数の力に押しつぶされるのが今の国会の有様。またそれに加えて数の力のメンツ(?)で一旦出した案をひっこめることができない、もしくはメンツが少数者の意見を聞く余裕がない。良識ある個人や弱小政党が如何に声をふり絞って叫んでも、説いても、所詮は負け犬の遠吠え。戦争と比べるわけではないがウクライナが当初数日であの巨大なロシアに押しつぶされることなく善戦しているのはウクライナの人々の弛まぬ抵抗、国を守る意志は無論、EUをはじめとする支援がものを言っている。
つまり大政党はもう少し余裕を持てれば良いのにそれがない。つまるところ自信がないのだ。自信がないから審議を打ち切って無理やり採決しようとする。マイナンバーカードのように以前決めたはずの決まりを平気で無視して押し切ろうとする野蛮さが顕著だ。

強い政党になびいてそのパシリに甘んじているような政党を政党とは呼べないのではないだろうか。そして我々国民は完全とは言わないが、そんな政治に興味も示さなくなった。言ってみれば面白くないのだ。それよりも芸能界のスキャンダル、WBCの行方、ガーシーだのなんだのと自分の身の回りで起こっていることよりも、無責任に興味を持つことのできる、面白おかしい事件の方が見ていて楽なのだ。

これにはマスコミ、特に新聞や地上波のテレビにおおいに責任がある。電波を取り上げられると恐喝まがいの脅しを受けることが考えられるテレビは論外だが、新聞も部数の減少象が著しい。今後ますます衰退してゆくはずだ。人口の減少傾向が続く地方ではもはや宅配は成り立たない。かといって、宅配をやめれば、人々の新聞離れはますます加速する。ニュースはテレビに頼る。テレビは政治に忖度する。かくして良識あるマスコミはなくなる運命にある。

保守的な考えのグループがはじめから計画したわけではないだろうが、完全に彼らの考えに乗せられている。安部政権時代の負の遺産、旧統一教会を始め白日の下にさらしたい事案は山積だが、もう日本は駄目かもしれない。

モノローグ《メジロに罪はない話》片山通夫

友人が送ってくれたという「メジロ」の写真

一昨夜のこと。私の古くからの友人が、「メジロ」を頂いたという話。それを聞いて一瞬「メジロ?それあかん奴や」と思ってしまった。確か捕獲禁止だった。そしてもうずっと昔の話(半世紀以上前)だが、私の父が霞網でウグイスやメジロを捕獲していたことを思い出す。何しろ当時は田舎のことでヤマバトなども大人が空気銃で撃っていた。

それはともかく昔のこととメジロやウグイスは捕獲禁止と言うことを思い出したが、大きな勘違いで友人が知り合いから頂いたのは「魚のメジロ」だという。魚の種類もほとんど知らない私には「メジロ」がどんな魚なのかよくわかっていなかったが、メールには写真がついていた。調べてみたら「メジロ」は関西地方では出世魚であるブリの一つ手前、体長50~60センチ位の種類を言うらしい。つまり、ツバス(10~15cm)→ハマチ(20~40cm)→メジロ(50~60cm)→ブリ(80cm以上)と大きくなるにつれて呼び名が変わる魚だった。ほかにも地方によっては「ボラ」や「マアナゴ」のことを「メジロ」と呼ぶらしい。
ややこしい話だったが、ほっとした話。

現代時評《先住民の尊厳と慰霊》片山通夫

オタスの杜

時折思い出したようにニュースになるのが、我が国の先住民であるアイヌ民族の遺骨の「返還」というニュースだ。まず知っておきたいのが江戸幕府と松前藩が蝦夷(現北海道)という地にすでに住んでいて生活を確立していた先住民であるアイヌの土地を収奪し狩猟を制限しだした。ただ文字を持たないアイヌはたとえば土地の基本台帳などは持たなかった。おそらく「あの山のふもとまで」とか「この川のほとりの集落(コタン)」などと漠然とした表現で完結していた。ところが蝦夷地の松前藩や江戸幕府、そして明治政府は「記録」とか「土地台帳」とか言いだしたのではないかと思う。文字を持たないアイヌは文字を必要とはしなかったが、日本人にはそれは理解できなかった。 続きを読む 現代時評《先住民の尊厳と慰霊》片山通夫

現代時評《LGBTQ法案と旧統一教会の影》片山通夫

「自分の性別を自分がどう認識しているか」は個々の認識であり他人がとやかくいうべき問題ではないという大前提が自民党保守派の意見には無いように思える。だからなのか、この問題を法制化しようとすれば、突然本日からは《私は女、だから女湯に》となりかねないから問題という意見もそのあたりから聞こえてくる。しかし仮に突然だとしても、それが以前からもちろん以後も継続しているならば是認すべきだと思えるのだが。突然その時だけというのは即ち犯罪。

どうも彼ら保守派の考えの背景には「旧統一教会」の影が感じられるのは筆者だけか。たとえば自民党保守派は第一条にあった「差別は許されない」という文言を削除し、第三条の「基本理念」では「不当な差別はあってはならない」に改めた。東京新聞の記事によると《「許されない」という表現を避けたのは、事実上の禁止規定と解釈され、当事者が訴訟を乱発しかねないという意見を踏まえたためだ。保守派への配慮がにじみ、立憲民主党は「差別の意味を狭めるなら大きな問題だ」(岡田克也幹事長)と批判を強めている。》おまけにヒロシマでのサミットに体裁を整えるための道具にすることは決して許されるべきではない。

我々は我々の持つ日本国憲法に定める「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。(第19条)」を常に心しなければならない。無論性的マイノリティなど少数派の人々の権利なども制約すべきではない。それを「屁理屈をこねて」骨抜きにしょうとする勢力があることに驚く。こうした自民党保守派の懸念は同時にこの法案を骨抜きにしようという考えが底流にあり、それはそのまま旧統一教会への配慮ではないかと筆者には思える。

ONCE UPON a TIME 外伝・日本で編《カビとの闘い#1》片山通夫

何しろ半世紀以上も写真を撮っていたのだから数だけは膨大なフィルムが残っていた。ただ残念ながら湿気とカビに侵されたフィルムもたくさんあった。いまだかな白状するとコロナ以前には見るのも恐ろしかった。そんな時、新型コロナウイルスが世界を襲った。外出禁止まがいの情報が錯綜する中で「この状態から抜け出せないなら」とフィルムの山に向かうことにした。エチルアルコールはコロナ以前に買ってあった。やわらかい綿にアルコールを浸してフィルムをこすってカビを落とした・・・つもりだった。何かのCMで見たのかもしれないが「頑固な汚れに…」というフレーズが思い浮かんだ。とれないのだ。カビが。そのうち意地になって擦る、こする…。 とれない…。汚れはがんこだった。
なんだかいい気分になってきた…。エチルアルコールで。つまりラリってきた。

急いでベランダのガラス戸を開いて換気した。

フィルムに生えたカビの頑固さよ。

ONCE UPON a TIME 外伝”グランマを読む人”片山通夫

Granma(グランマ)を読む人

グランマとは英語でgrandmotherを指すスペイン語である。カストロやゲバラがメキシコからキューバに攻め込んだ時に乗っていた中古のヨットの名前である。日本語に訳すとおばあちゃん。定員12名の本船になんと82名が乗り込んでのキューバ上陸だった。また無謀なことにカストロは事前に上陸を発表していたのでバティスタ政府軍に待ち構えられていたという。キューバ革命の詳しい情報はこちらを参照。

写真はそのグランマと名付けられたキューバ共産党機関紙を読む男。場所は旧ハバナの街角。(筆者撮影)

ONCE UPON a TIME 外伝 キューバ編 完
しばらくこのシリーズはお休みをいただきます。

 

 

現代時評《「我々は何もかも決して忘れない」ゼレンスキー大統領》山梨良平

動画にはロシア兵が短剣で、まだ生きているウクライナ兵の首をはねたと思しき光景が映し出されていた。(英エコノミスト誌 2023年4月22日号)
この動画を見たウクライナのゼレンスキー大統領は「我々は何もかも決して忘れない」と述べたとメディアは伝えた。CNNによると「ウクライナ軍は反攻には好位置にいる」と米欧州軍のカボリ司令官は米下院軍事委員会で述べたと伝えた。しかし慎重論というか、「過度の期待はせぬ事だ」と戒める説も少なくはない。 続きを読む 現代時評《「我々は何もかも決して忘れない」ゼレンスキー大統領》山梨良平

ONCE UPON a TIME 外伝”ヘミングウエイ「老人と海」#3″片山通夫

とにかく無事に陸揚げ?したカジキを解体し山分けするというので、ボクも一切れ。・・・と言っても30センチくらいの大きな一切れ。ぶつ切りだから胴体の大きさの30センチ。とりあえずその塊をもって車に乗せてもらって・・・。
「何処へ行く?」
ボクは考えた。
「日本大使館へ連れてって」
この考えは正しかった。
つまり大使館には料理人も醤油もワサビもあるのだ。
大喜びしたのは大使館の日本人一同。かくしてボクは皆さんに喜ばれながらマグロの刺身を堪能できた。(この稿完)

 

ONCE UPON a TIME 外伝”ヘミングウエイ「老人と海」#2″片山通夫

キューバのヘミングウェイ(インターネットから)

ヘミングウエイの老人はとてつもなく大きいカジキマグロを釣った。
しかしボクたちはそんなに大きいカジキマグロではなかった。それでも優に2メートル以上はあった。胴体の周りも結構な太さだった。何しろ敵も必死なので、小舟を操り手繰り寄せるのは至難の技だ。ようやくカジキは船べりに近づいてきた。ご存じの通りカジキはその名の通り鋭い鼻を持っている。あんなので衝かれたらひとたまりもないことはボクにだってわかった。
ここでバットの登場だ。渾身の力でバットを振り下ろす。1回、2回、3回…。
遂にカジキは力尽きて狭い船内によこたわった。
ヘミングウエイもびっくりの釣りコンテストはこうして終わった。

帰港した。意気揚々と・・・。 港ではすでに釣り上げたカジキのサイズと重さを計って順位を決めていた。我々のカジキは等外。見れば周りは我々の2倍以上のカジキばかり…。
「駄目だよ、こんな小さいのは海に返さなくては・・・」
「せっかく釣ったのをリリース出来るか」ボクは思わず日本語で叫んだ。
第一あの暴れ方では無事にリリース出来るわけはない。こっちがリリースされちまう。
(5月1日に続く)

ONCE UPON a TIME 外伝”ヘミングウエイ「老人と海」#1″片山通夫

イメージ

かくして、ボクはキューバに半年ほどいた。もちろんくまなくキューバの島を回った。漁船にも乗った。漁船で思い出したが、ヘミングウエイ記念とでも訳すのか「カジキマグロ釣りコンテスト」があった。ハバナの沖合の海で数十隻の小舟、ちょうど日本の渡し船(伝馬船)程度の小舟でカジキを釣るコンテスト。「老人と海」とは違って小舟にはエンジンがついている。無論トローリングで釣る。ボクが乗せてもらった小舟には二人の知り合いの漁師がのっていた。
「なんだお前か」と彼らが僕を歓迎してくれたことは言うまでもない。
野球で使うバットが2本小舟に転がっていた。聞いてみたら「釣れたらこのバットでカジキを撲殺する」らしい。危険な!

ハバナの町を遠くに眺めながら小舟は走り回った。その間、彼らはラム酒を呑む。ボクはと言えば、そんな余裕はなく、必死になって小舟を操った。つまり小型エンジンのハンドルとアクセルをもって「操縦した」。

突然小舟が傾ぐ。「ガツン」という衝撃。釣り糸を持っていたキューバ人が、激しく糸をを手繰った。まさにヘミングウエイの「老人と海」の漁師のように。糸は彼の背中に回してゆっくりと体全体で退いたり手繰ったり、そして徐々に魚を引き寄せた。ボクはと言えば小舟の進むスピードと方向がまったくわからなかったので、もう一人の漁師に席を譲った。彼は素早くボクの席に代わった。そしてボクには理解できない早口で二人で掛け合いを始めた。きっと漁師仲間だけに通じるやり取りだろうと思う。それともボクにはまだ理解できないスペイン語だったのかもしれない。

カジキは時にはジャンプし、また海に潜った。(続く)

*25日火曜日は井上脩身氏の「現代時評」です。
*”ヘミングウエイ「老人と海」2″は27日に掲載します。

 

現代時評《低次元の少子化対策》井上脩身

イメージ・火星人

「異次元の人物がいるとしたら誰か」と尋ねられたら、ほとんどの人は大谷翔平をあげるだろう。子育て中の人に「異次元の子育てをしてください」と求めたら、どうするだろうか。大谷のような天才になってくれれば、とゼロ歳のときからバットとボールを持たせたとしても、異次元育児とはいえまい。赤ちゃんを多く産むための異次元の方法は、ときかれたらどうだろう。ほとんどの人は首をひねるにちがいない。当然だ。火星人にでもならないかぎり、次元の異なる「産めよ増やせよ」法などあろうはずがない。ところが岸田文雄首相は「異次元の少子化対策」を国政の柱に据えているのである。 続きを読む 現代時評《低次元の少子化対策》井上脩身