
人物時計・大阪ぐりぐりマルシェ《自然栽培「小太朗 農園」》中川眞須良
自然栽培 「小太朗 農園」
代表 前田 博史 (マエダヒロシ)さん
片山通夫公式サイト photo:秋田県
人物時計・大阪ぐりぐりマルシェ《自然栽培「小太朗 農園」》中川眞須良
自然栽培 「小太朗 農園」
代表 前田 博史 (マエダヒロシ)さん
曽我稲目から馬子、蝦夷そして入鹿と4代にわたって権勢をほしいままにした曽我氏一族はおよそ100年ヤマト朝廷で君臨したことは前回書いた。 GO
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【609 Studio】email newsletter> 2020年9月29日 No.969
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◇◇現代時評《故・旭堂南陵さんの怒りの拳》
―小選挙区制への抗議表し― 井上脩身
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7月30日に死去した講談師、四代目旭堂南陵(本名・西野康雄)さんを追悼する記事が9月7日付毎日新聞に掲載された。筆者の上方芸能史家、荻田清・梅花女子大名誉教授によると、旭堂さんは明治時代の政治講談を意識して国会議員になったという。記事を読んで、社会党の参院議員になった旭堂さんが1994年の参院本会議で小選挙区制移行に関する法案に反対票を投じる際、握り拳を突き上げて抗議を表す新聞写真が、私の脳裏によみがえった。旭堂さんが危惧したとおり、社会党は衰退の一途をたどり、自民党一強体制が構築される元となった。それが結果として、安倍晋三氏の7年8カ月にも及ぶ首相の座の居座りを許し、モリカケ・サクラ問題にみられる不公正政治がまかり通ることになった。 “【609 Studio】email newsletter> 2020年9月29日 No.969” の続きを読む
大津京
白村江の戦いの惨敗から中大兄皇子は飛鳥にいることを潔しとせず、強引とも思える理由、つまり白村江の戦いの惨敗で唐・新羅連合軍が攻めてくると遷都を実行した。667年のことである。“《渡来人たちの宴・外伝 その12》片山通夫” の続きを読む
遷都
都を飛鳥から摂津の難波長柄豊碕宮へ遷都したのは大化2年12月のことだった。この時代、遷都するのには相当の訳があった。
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《渡来人たちの宴・外伝 その8》片山通夫