現代時評《しのび寄る戦争の足音》片山通夫

幸せなら手をたたこう♪

歌手、坂本九さんはこう歌った。この歌には物語が残されている。その秘話が昨年の8月、東京新聞に掲載された。東京新聞を少し紹介する。
故・坂本九さんが1964年(昭和34年)に歌ってヒットした「幸せなら手をたたこう」。この歌を作詞したのは、61年前にフィリピンを訪れた学生だった。旧日本軍による加害の歴史への贖罪の念と、「苦しみや悲しみを乗り越えて命を尊び、日本人を受け入れてくれた地元の人々に応えたい」との思いがきっかけだった。
この秘話に関しては記事を読んでもらいたい。《旧日本軍による加害の歴史への贖罪の念と、「苦しみや悲しみを乗り越えて命を尊び、日本人を受け入れてくれた地元の人々に応えたい」》という思いが作詞されたきっかけだったとか。 “現代時評《しのび寄る戦争の足音》片山通夫” の続きを読む

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宿場町シリーズ《有馬街道、小浜宿》文、写真 井上脩身
歌劇の町の酒造りの村 ~種痘免許を持つ医師がいた~

除痘館が山中良和に発行した種痘医免許証(ウィキペディアより)

手塚治虫が『陽だまりの樹』をかきだして40年になると何かの記事でみて、この連載漫画をよんでみた。幕末の動乱に巻きこまれながら、種痘の普及につとめた医師、手塚良庵の物語だ。良庵は緒方洪庵の適塾に学んだという。適塾のホームページを開いてみて、適塾が運営する除痘館が摂津・小浜村の山中良和に種痘医免許証を出していることを知った。小浜は現在の宝塚市のほぼ中央に位置し、治虫が5歳のころから住んだ村だ。調べてみると小浜には有馬街道の宿場があり、山中家は宿場内で造り酒屋を営んでいたことがわかった。宿場跡は宝塚大劇場から東に1キロしか離れておらず、治虫も宿場跡を訪ねたにちがいない。歩きながら良仙と山中良和が治虫の頭の中で重なり合ったかもしれない。そんな思いにかられ、小浜宿跡をたずねた。MORE