
露地とは「茶室と露地は一体となって、茶の湯の空間を構成。単に茶室への通路というだけでなく、世俗を断ち、心身を清めて茶室に入るための精神的な準備場所として重要な役割を果たす」とある。 “取材手帖・路地を撮る《佐渡宿根木001》片山通夫” の続きを読む
片山通夫公式サイト photo:宍道湖のほとり
露地とは「茶室と露地は一体となって、茶の湯の空間を構成。単に茶室への通路というだけでなく、世俗を断ち、心身を清めて茶室に入るための精神的な準備場所として重要な役割を果たす」とある。 “取材手帖・路地を撮る《佐渡宿根木001》片山通夫” の続きを読む
「大正ロマン」とは大正時代の趣を伝える思潮や文化事象を指す言葉である。それはそこはかとなく郷愁を感じる時代でもあった。次の昭和の時代になると、戦争の記憶が先に出てきて暗い時代になり、挙句の果てには思想も文化、文学も追いやられる時代になったあげく、空襲で大都市は焼け野原に、そしておぞましい原爆が落とされた。 “晴れの国紀行《大正ロマン》片山通夫” の続きを読む
「ネムリ神」
丹波篠山には、いわれ不明の正月神事が今に伝わる。
同市の上板井と言う郷では天満神社では大晦日から元日にかけて行われる神事で、不思議な神が登場する。木の板に「過去と現在の男女が描かれた板」が登場する。その板は境内のご神木などに置かれる。地元に人に聞いてみても「意味わからへんけどずっと続いている」と言うばかりである。研究者でさえ、「いわれは不明。ある意味『奇祭』」という謎っぷりだ。「意味は分からないまま、脈々と受け継がれている風習。みなさんの身近にもあるのでは?」とのこと。
(この項丹波新聞 https://x.gd/h6Zj0 )(続く)
「首塚」
老いの坂峠には「酒呑童子の首塚」がある。不浄な鬼の首を都に持ち込むことを拒まれた源頼光はここにその首を埋めた。考えてみれば、京都は平安の昔から妖怪変化の巣窟だった。化野は葬送の地で風葬の地だった。 “丹波紀行《鬼が行く道 003》片山通夫” の続きを読む
「丹波国」
丹波には京の都に出没する鬼が棲むという。都の西には化野があり、その西側の老いの坂峠を越えて亀岡に入るとそこは丹波の国。化野(あだしの、仇野、徒野とも)は、京都の嵯峨野の奥にある小倉山の麓の野。 “丹波紀行《鬼が行く道 002》片山通夫” の続きを読む