現代時評《福田村事件にみる日本人の差別観》井上脩身

映画「福田村事件」ポスター

関東大震災から100年がたった9月1日、私は大阪の映画館で映画『福田村事件』を見た。千葉県福田村(現・野田市三ツ堀)で起きた売薬行商人惨殺事件を核に、震災のパニックから朝鮮人虐殺に至った時代背景に迫ろうとした意欲作だ。だが、闇の中に埋もれていた福田事件をえぐり出して世に知らしめたのが、辻野弥生さんの力作『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房)であることを、映画のどこにも示されていないことに違和感を覚えた。映画は、大正デモクラシーに並行して、水面下で軍国主義が進む中で事件が起きたことに力点を置いているが、この事件の本質は、朝鮮、朝鮮人に対する日本の国や人々の差別観ではないのか。辻野さんが探り出した事件の真相から、私なりに福田事件を考えてみた。

前掲書によれば、地震発生から五日後の9月6日午前10時ころ、売薬行商人の一行14人が茨城県方面に向かおうとして福田村にさしかかった。一行は香川県西部の三つの被差別部落の出身者で、支配人に率いられ、薬を積んだ車を引いて各地を回っていた。同村三ツ堀の神社の境内で休んでいた一行を自警団が見つけ、「鮮人の疑いがある」として尋問したところ、四国弁で語ったことから「全くの鮮人」と判断、警鐘を打ち鳴らして急報、隣村にも応援を求めた。武器を携えた数百人が神社に殺到、行商人一行を包囲し、「朝鮮人を打ち殺せ」と騒ぎ立てた。行商人たちが「私たちは日本人」と弁明につとめたが、群衆となった村人は耳を貸さず、荒縄や針金で縛り、とび口、こん棒などで殴打したうえ、「利根川に投げこんでしまえ」と怒号。渡船場から9人を川に投げ込み、8人をでき死させ、1人を対岸で殺した。ほかの5人は警察官が駆け付けたため殺害を免れた。死者のなかに2~6歳の子どもが3人いたほか、胎児も1人いた。

福田村の自警団は行商人一行をなぜ朝鮮人と判断したのだろうか。一行の語り口に讃岐なまりがあるとしても、彼らは各地を回って商売をしているのだから、福田村でも言葉が通じないということはあり得ない。私は映画で『福田村事件』を見たあと、このことに思いをめぐらせた。浮かんできたのが

・「綿々と続く朝鮮蔑視」
・「よそ者を排除する排他性」
・「おかみ絶対姿勢」の3点である。

まずは朝鮮蔑視。日本の文化は中国から朝鮮半島を経て伝わってきた。島国であるため、ほかに行き場がなくて醸成され、高い文化をつくりあげた。そのおごりであろうか。天智天皇時代の663年、朝鮮に軍を進めた(白村江の戦い)のを皮切りに、1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)、1873年、西郷隆盛が朝鮮出兵を主張(征韓論)、日清・日露戦争を経て1910年、韓国併合。1944年の敗戦に至るまでの日本の歴史を概観すると、日本は朝鮮半島を支配しようとし続けてきたことがわかる。こうした国の姿勢が国民のなかに朝鮮蔑視観を植え付けることになった。

日本人の排他性は二つの構造からなる。一般的なよそ者排除と、自分より下位とみた者に対する攻撃的排除である。江戸時代の鎖国政策も重なって、日本人はよそ者を受けつけない体質になっていた。それでも欧米など経済的に上位の国の人々には迎合するが、下位とみなす人たちには容赦なかった。その典型が被差別部落の人たちに対するあからさまな差別である。この体質は貧困層にも向けられる。街の美観や秩序保全の名目でホームレスを排除するのは、本質的には貧者への差別なのである。

おかみへの絶対姿勢は、国民を思い通りに操るため、権力者が町内会組織などを通じて国民に強いるものだ。権力機構が強大であればあるほど国民はその網のなかにがんじがらめにされる。日本の場合、労働運動が盛んだった戦後の一時期を除いて、おおむね保守政権が政治を掌握しており、おかみに逆らうことのできない状態がつくりだされてきた。

以上の3点から福田村事件を分析した。
関東大震災後の朝鮮人虐殺は、地震のあった9月1日夕、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「日本人を皆殺しするため火をつけた」などというデマから始まった。3日、内務省警保局長名で「朝鮮人が各地で放火しており、不逞鮮人に厳密なる取り締まりを」と全国に打電。おかみの言う事は絶対である福田村の人たちは早速自警団を組織、「不逞鮮人」に備えた。農村地帯である同村では、現実の朝鮮人に接した人はほとんどいなかったであろう。したがって、朝鮮人の人となりを知らず、長い間培われてきた差別観だけが増幅した。冷静に考えれば売薬行商人一行が朝鮮人でないことはすぐに分かったはずだ。しかし、彼らは貧しい行商人である。朝鮮人であろうとなかろうと、自分たちより下位とみなした貧者に対する差別観によって攻撃したのである。村人一人一人は善人であろう。群集心理が加わって、火山のマグマのように、それぞれが悪魔と化し、暴発したのである。

100年後の今はどうか。朝鮮人差別、被差別部落民への差別、貧しい人への差別、よそ者排除、そしておかみ絶対姿勢。これらは過去の時代の話とは言い切れるであろうか。
首都直下型地震が30年内に70%の確率で起きるといわれている。今起きてもおかしくないということだ。SNSによって情報があっという間に広まる時代だ。関東大震災の頃とは比較にならないほど、多くの外国人が暮らすなか、にわかにデマと判別できない情報が飛び交うに違いない。そうしたとき、「差別だけは許さない」という確固たる信念を持ち、かつ貫けるのか。AI化が進むなか、問われるのは人間性なのである。

現代時評《『屍の街』にみるヒロシマの心》井上脩身

広島原爆の日の8月6日、松井一実広島市長は平和宣言のなかで、5月のG7広島サミットに触れ、「真の世界平和を祈念する『ヒロシマの心』は、皆さんの心に深く刻まれているものと思う」と述べた。「ヒロシマの心」とは被爆者の実体験から生み出された憤怒の心にほかならない。だが、78年がたった今、それを表現できる被爆者は少なくなり、悲劇の伝承が難しくなっている。こうしたなか、原爆文学作家、大田洋子の小説『屍の街』の原稿を世界記憶遺産として申請されることになった。登録されるためには、政府のバックアップが不可欠だ。「広島出身」が看板の岸田文雄首相の核問題に対する本気度が試されている。 “現代時評《『屍の街』にみるヒロシマの心》井上脩身” の続きを読む

現代時評《黄河決壊事件とウクライナ戦争》井上脩身

黄河決壊事件

ウクライナのダムが6月6日、何者かによって決壊され、東京23区の面積に匹敵する約6000平方メートルが水没した。ロシア、ウクライナともに、相手側の仕業として非難を応酬。ウクライナ戦争は新たな局面をむかえた。この85年前の同じころ、日中戦争のさなかに黄河が決壊して氾濫、数百万人が犠牲になった。「黄河決壊事件」(写真)と呼ばれるこの軍事事件から導かれるのは「首謀者は住民の信頼を失って最終的に敗れる」である。ダム決壊の実行は軍事的に致命的な愚策にほかならないのである。 “現代時評《黄河決壊事件とウクライナ戦争》井上脩身” の続きを読む

びえんと《押し付けを否定した内閣憲法調査会》Lapiz編集長 井上脩身

本日6/16のLapiz2023夏号Vol.46
矢部貞治・内閣憲法調査会副会長

びえんと《押し付けを否定した内閣憲法調査会》Lapiz編集長 井上脩身

 

 

 

 

 

――改憲にカジを切らなかったナゾに迫る――
日本の憲法について自民党は「アメリカに押し付けられた」として憲法改変を党是としてきた。保守合同で結党された翌年の1956年、「我が国の主体的憲法に変える」ために安倍晋三元首相の祖父・岸信介首相(当時)らによって、「内閣憲法調査会」が設置された。MORE

現代時評《低次元の少子化対策》井上脩身

イメージ・火星人

「異次元の人物がいるとしたら誰か」と尋ねられたら、ほとんどの人は大谷翔平をあげるだろう。子育て中の人に「異次元の子育てをしてください」と求めたら、どうするだろうか。大谷のような天才になってくれれば、とゼロ歳のときからバットとボールを持たせたとしても、異次元育児とはいえまい。赤ちゃんを多く産むための異次元の方法は、ときかれたらどうだろう。ほとんどの人は首をひねるにちがいない。当然だ。火星人にでもならないかぎり、次元の異なる「産めよ増やせよ」法などあろうはずがない。ところが岸田文雄首相は「異次元の少子化対策」を国政の柱に据えているのである。 “現代時評《低次元の少子化対策》井上脩身” の続きを読む

現代時評《袴田事件と大江文学》井上脩身

3月14日付新聞の一面に、袴田事件の再審を認める決定が出されたことと、ノーベル賞作家、大江健三郎さんが死去したことを伝える記事が載った。私は袴田事件の現場と大江さんの生家付近をたずねたことがあるだけに、偶然とはいえ不思議な感慨にひたった。私が知る範囲では、大江さんが袴田事件について語ったことはない。だが袴田事件の本質は、捜査機関において大江さんが言う「戦後民主主義」の無理解もしくは否定にあった、と私は考える。 “現代時評《袴田事件と大江文学》井上脩身” の続きを読む