丹波紀行《鬼が行く道 イメージ 006》片山通夫
丹波紀行《鬼が行く道 イメージ 005》片山通夫
現代時評《地震・雷・火事・・・》片山通夫
地震・雷・火事・・・と言う言い回しがある。よく子供のころに脅かされたものだった。なんでも江戸時代から伝わっている諺だという。蛇足ながら少し文末で説明しておく。 “現代時評《地震・雷・火事・・・》片山通夫” の続きを読む
丹波紀行《鬼が行く道 004》片山通夫
「ネムリ神」

丹波篠山には、いわれ不明の正月神事が今に伝わる。
同市の上板井と言う郷では天満神社では大晦日から元日にかけて行われる神事で、不思議な神が登場する。木の板に「過去と現在の男女が描かれた板」が登場する。その板は境内のご神木などに置かれる。地元に人に聞いてみても「意味わからへんけどずっと続いている」と言うばかりである。研究者でさえ、「いわれは不明。ある意味『奇祭』」という謎っぷりだ。「意味は分からないまま、脈々と受け継がれている風習。みなさんの身近にもあるのでは?」とのこと。
(この項丹波新聞 https://x.gd/h6Zj0 )(続く)
丹波紀行《鬼が行く道 003》片山通夫
「首塚」
老いの坂峠には「酒呑童子の首塚」がある。不浄な鬼の首を都に持ち込むことを拒まれた源頼光はここにその首を埋めた。考えてみれば、京都は平安の昔から妖怪変化の巣窟だった。化野は葬送の地で風葬の地だった。 “丹波紀行《鬼が行く道 003》片山通夫” の続きを読む
現代時評plus《電話のない生活》片山通夫
電話と言ってもいわゆるスマホの事。何十年も携帯電話と付き合ってきた。国内にいても、どこか遠くの国にいても、まずその国のSIMカードを手に入れることを第一にしていた。ロシア(サハリンが主だったが)へ行くことが年に2・3回と言う時期が続いた頃は、ロシアの電話機を買ったこともあった。その方が簡単で安く上がったからだ。 “現代時評plus《電話のない生活》片山通夫” の続きを読む
丹波紀行《鬼が行く道 002》片山通夫
「丹波国」
丹波には京の都に出没する鬼が棲むという。都の西には化野があり、その西側の老いの坂峠を越えて亀岡に入るとそこは丹波の国。化野(あだしの、仇野、徒野とも)は、京都の嵯峨野の奥にある小倉山の麓の野。 “丹波紀行《鬼が行く道 002》片山通夫” の続きを読む
丹波紀行《鬼が行く道 001》片山通夫
「はじめに」
長年、もう半世紀以上も前、ボクは丹波と言う地名にあこがれていた。そのころの丹波はボクにとっては「不可思議な国」であり、遠く未知の国だった。毎日大阪駅では夕刻に蒸気機関車に引かれて急行が出雲の国へ行く。 “丹波紀行《鬼が行く道 001》片山通夫” の続きを読む
現代時評《解散命令の及ぶ先》片山通夫
「解散するとか、解散しないとか、それは法人のことです。教団が解散することはないのです」旧統一教会の田中富広会長談(毎日新聞2025/3/25付)
つまり「信仰は心の問題だから」と言うわけである。 “現代時評《解散命令の及ぶ先》片山通夫” の続きを読む