毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 全文》井上脩身” の続きを読む
現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身
参政党の憲法草案
昭和天皇が退位しなかったため、昭和時代は戦後も40年近く経過した1989(昭和64)年までつづいた。1960年ころから経済が高度に成長、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博を経て、「ジャパン・アズ・ナンバー1」といわれるほどに我が世の春を謳歌した。 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身” の続きを読む
エッセー[2025年夏の涙]片山通夫

あれから80年。この夏は節目の年だとあちこちで戦争にちなむ催しがあるようだ。
さて今日は8月9日。ナガサキに米陸軍の爆撃機が原子爆弾と言うとんでもない、まだ人類が経験したことのない爆弾を投下した。時間は11時2分。これに先立つ6日にはヒロシマに。ナガサキに落とされた原発の名前はファットマン。ヒロシマにはリトルボーイと言う名前がつけられていた。ナガサキのそれは「太っちょ」、ヒロシマの原爆にはリトルボーイ、つまり「チビ」。
今日、ナガサキの慰霊祭を見ていたら涙が出てきた。7万人の市民を一瞬に焼き殺した爆弾の名前が「太っちょ」だと。
ふざけている。2025年夏の涙。
散歩道《あおによし》片山通夫
「あおによし」は、青丹(あおに)という顔料の色が美しい奈良の都の様子を、「咲く花の薫るがごとく今盛りなり(咲き誇る花が香るように、今が最も美しい盛りである)」と表現した歌に由来しているらしい。710年から794年のおよそ90年間の奈良時代は律令制度が確立され、天平文化に代表される仏教文化が花咲き、国際色豊かな、唐の影響を大きく受けた時代だった。 “散歩道《あおによし》片山通夫” の続きを読む
散歩道《継体天皇》片山通夫
生年も没年もよくわからない不可思議な天皇がいた。第26代継体天皇のことだ。。元の名はヲホドノオウ。彼は450年生まれで没年は531年とされる。近江国高嶋郷三尾野(現在の滋賀県高島市)に生まれた。滋賀県生まれというのも変わっているし、育ちは母方の故郷福井県三国辺りと言われている。その事実だけを見ても、決して幸せな育ちだったとは思えない。 “散歩道《継体天皇》片山通夫” の続きを読む
散歩道《飛鳥から奈良へ・元興寺 写真》片山通夫
散歩道《飛鳥から奈良へ・元興寺》片山通夫

奈良時代と言うと一番に思い浮かぶのは「奈良漬」だというのは、我ながら、いささか恥ずかしい。奈良時代の長屋王の邸跡から出土した木簡に「進物加須津毛瓜(たてまつりものかすづけうり)」と記されていたものが出た。これは約1300年前の奈良時代にまで遡る。ボクは1300年前から、あの謀反の疑いで自害を余儀なくされた長屋王が頂き物の瓜の粕漬けを食べていたことを知って、いっそう長屋王に親しみと憐れみを感じる。 “散歩道《飛鳥から奈良へ・元興寺》片山通夫” の続きを読む
散歩道《額田王》片山通夫

かなりおおらかな時代、飛鳥に都があった時代の話。額田王は彼女の和歌を読む限りだが「恋多き女」だったようで、言い換えれば相当情熱的な女性だったとボクは思えるのだけど。勿論ボクだけでなく皆さんもそうだろうけど・・・。
彼女は大海人皇子のかつての妻で十市皇女(とおちのひめみこ)をもうけている。そして天智天皇(中大兄皇子)の寵愛を受けている。ご存じの通り天智天皇は天武天皇と兄弟。 “散歩道《額田王》片山通夫” の続きを読む
散歩道《陰陽師・安部晴明に会える土御門家史蹟》片山通夫

陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す。中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し、中には神職の一種のように見られる者も存在する。つまり天文学などのプロと考えればいいのだろう。 “散歩道《陰陽師・安部晴明に会える土御門家史蹟》片山通夫” の続きを読む
散歩道《石舞台と飛鳥寺》片山通夫

明日香村(あすかむら)と飛鳥(あすか)は、どちらも奈良県高市郡に属する地名だが、厳密には意味が異なるらしい。明日香村は、高市郡の旧飛鳥村、旧高市村、旧阪合村が合併してできた村の名前で、一方、飛鳥は明日香村の中の大字(おおあざ)の一つであり、かつて飛鳥時代に政治の中心地であった場所を指すと言う。 “散歩道《石舞台と飛鳥寺》片山通夫” の続きを読む
秋田の旅《写真・増田の内蔵 02》片山通夫
秋田の旅《写真・増田の内蔵 01》片山通夫
秋田の旅《増田の内蔵》片山通夫

通常蔵(土蔵)は表にあって、火事や盗難から中に入れたものを守るというのがその目的だ。だから土壁でその周辺を塗り固め、火事の時に火が入らないよう、実に頑丈に造られている。落語で「味噌蔵」と言うのがある。味噌は火事の時の目張りに使う。詳細は後ほどあげておく。 “秋田の旅《増田の内蔵》片山通夫” の続きを読む
秋田の旅《秋田内陸縦貫鉄道》片山通夫

秋田県には秋田内陸田縦貫鉄道と言う名の鉄道が通っている。その名の通り海沿いではなく山沿いのルートを通っていて、鷹巣から阿仁合(あにあい)を通り、武家屋敷を擁する角館(かくのだて)までの94.2キロメートルをおよそ3時間かけて走る。 “秋田の旅《秋田内陸縦貫鉄道》片山通夫” の続きを読む
秋田の旅《角館(かくのだて)》片山通夫
秋田県に行ってきた。梅雨に入る直前の旅だった。秋田には以前、なまはげを追って行ったことがあった。ここでいう「追う」とは撮影に行くという意味にとってもらいたい。決してあのなまはげ(左)を追いかけたという意味ではない。要は写真を撮りに行ったわけである。 “秋田の旅《角館(かくのだて)》片山通夫” の続きを読む