現代時評[写真よもやま話ー4ー]片山通夫

しかし政府というか高市内閣は独断専行が多すぎるようだ。官僚たちとの整合性もあまりなく思い付きで総理答弁をやっている印象が多々ある。最も官僚のペーパーを朗読するだけの答弁もあるのが情けないのだが・・・。彼女の内閣を肯定するわけではないが、せっかく内閣総理大臣に就任したのだから、根性入れて、つまり千載一遇のチャンスなのだから、ここはじっくり構えて大方の国民の支持が得られるような政策を実行してもらいたいものだ。

ロベルト・バルボン選手

あれ?!このコラムでは写真の話をしなければ・・・。話を戻します。

東京で知り合ったキューバ関係の人の中で、最初にあった参事官氏とやたら仲良くなれた。ただ米兵の泊まっている、つまりボクも泊まっていたホテルを忌み嫌っていたことは郁子なるかなである。また大使館のおひざ元だったところには、大使館もしくは在日キューバ人のたむろするレストランがあった。
在日キューバ人といえば思い出す。ウイキペディアによると「来日前、日本・韓国・中国は同じ言葉を話すと思っていたほど日本の事情を知らなかった。加えて1953年に朝鮮戦争が終わったばかりであったため、日本ではまだ戦争をやっているのではと思い、バルボンは来日を相当迷ったが、とにかく1年だけ行ってみようと考え、1955年に阪急ブレーブスに入団。年俸は5,000ドルほどであった」というロベルト・バルボン(Roberto Barbon)が有名だ。

キューバと日本は国交があった。当然カストロのキューバ革命後もである。アメリカの裏庭とも呼ばれていたフロリダの目と鼻の先に存在するカストロのキューバはアメリカにとってのどに刺さったとげのようだった。しかしどのような理由があるにせよあのアメリカと時には戦争寸前にまで行ったキューバと日本は国交を断絶しなかったことは賞賛に値する。今の日本政府じゃとても持ちこたえられないだろうとも。

写真の話は次回に!(もっと続くよ!)