不思議な名前の不思議な建物が不思議な場所に建っている。
大正12年築の木造洋風建築物らしい。
これは筆者の偏見と言うかどうかはともかく、岡山は「大正ロマンの香り」が感じられる。横溝正史の推理小説の舞台が、戦後間もなくの岡山県が舞台だというのが多い影響もあり、またそれ以前の「大正ロマン」を満喫させてくれる画家で詩人の竹久夢二の生家もやはり岡山県(邑久町)だったりしてなんとなく親しみを覚える。
そんな岡山市のど真ん中ともいえる岡山城のすぐそばに「岡山禁酒會館」という妙な名前の建物がある。先の戦争では岡山も空襲に見舞われて、他都市と同様、多大な被害を受けた。しかしこの建物は偶然にもその被害を免れて生き延び、現在も3階建てのビルとして機能している。そしてその名も「岡山禁酒會館」なのだ。今も・・・。
Webで探してみると次のような説明があった。
昭和20年の空襲による焼失を免れた数少ない建物で、窓枠や内装の一部が改修されているものの、外観や構造等はほとんど手を加えられておらず、建築時の状態を残しています。構造は、木造3階建で、寄棟造・スレート葺(一部鉄板葺)の屋根は3階部分で腰折風に処理する。ドイツ壁風と白タイル張を組み合わせ垂直性を強調した正面の意匠とあいまって、市街地の歴史的景観の象徴となっています。 https://www.okayama-kanko.jp/spot/10033
また同会館Webサイトでは
「世の中、景気が悪くなったり、社会不安が募ってくるとその悩みを飲酒に逃れる人が増えて参ります。今をさること八十年前、大正十年頃もそんな社会情勢でした。このことを愁いた禁酒運動家の成瀬才吉と河本正二氏が,当時の資産家であった綱島長次郎氏を設立委員長にし 禁酒運動の拠点「岡山禁酒会館」の建設に乗り出しました。多くの人々の協力を得て、大正十二年その建物は岡山市の 中心部に完成し、以来八十年間禁酒運動のシンボル的存在 として、戦時の岡山空襲も免れ頑張って参りました。平成十四年九月、その大正ロマンの香り高き建物は国の 登録文化財に指定されました。
私たちはこの会館そのものの存在を禁酒運動のシンボルとして 酒害問題に少しでも役立てたいのです。
財団法人 岡山禁酒会館代表理事 川口 慶行
http://ww61.tiki.ne.jp/~kinsyukaikan/main.html
前置きはこれくらいにして外観と1階の喫茶店の内部を写真で紹介したい。
常連らしい男性が2・3人カウンターにいた。「レトロな」風景なのだ。けだるい午後に風景とでぃては満点だった。また建物の前には岡山駅からの市電が走り、後ろには岡山藩主池田家の歴代藩主の品々を展示する林原美術館があり、すこぶるロケーションがいい。https://www.hayashibara-museumofart.jp/
岡山には筆者は何度も驚かされている。観光名所めぐりになってしまうが、まず有名な倉敷美観地区や児島のデニムなども興味深い。津山には城があり、城の東側には出雲街道が通っていて宿場町を今に伝える。江戸時代の藩主池田公は庶民にも開放したと言われる閑谷学校(1670年設立)、吹屋小学校(1873年)など今に残る歴史を誇る。また先に紹介したが、大正ロマンを代表する夢二式美人画を描、く画家で詩人の竹久夢二も有名だ。