
先に述べた「石舞台と飛鳥寺」は、飛鳥・板蓋宮の乙巳の変(蘇我入鹿の暗殺による蘇我氏の滅亡)に始まる一連の国政改革を「大化の改新」と呼ぶ。それまでの豪族を中心とした政治から天皇を中心にした政治へと変化した。
この改革により、「日本」という国号及び「天皇」という称号が正式なものになったとする説もある。中大兄皇子と中臣鎌足は、退位した皇極天皇に代わり、その弟の軽皇子を即位させた(孝徳天皇)。孝徳天皇即位の直後から新たな時代の始まりとして、日本で初めての元号「大化」を定めたとされる。(ウイキペディアより)
結局は政権内の主導権争いに尽きるが、従来の武力によって治めてきた豪族の政治を「天皇を中心とした」政治に改めることに成功したということだろう。曽我氏の干渉を廃する為に板葺宮で入鹿を暗殺したわけだ。なんとも血なまぐさい改革・改新だった。
ボクは近鉄橿原神宮前と言う駅で降りて駅構内にある食堂に入った。少し昼食の時間からずれていたので、食堂内は比較的すいている。ボクは決しておいしいとは思わなかったが、カレーライスを注文した。食べている最中、カレーライスかライスカレーかどちらが正しいのだなどと考えながら、食べていたので、誠に失礼だけどあまり味の方はわからなかった。そういえばボクは味音痴などと人から言われている。
食事のあと、改札口を出て駅前のバス停に停まっていた明日香周遊バス(かめバス)に乗った。この周遊バスがなぜカメバスと呼ばれているのかは聞きそびれた。
とりあえず飛鳥寺までバスで行った。平日の午後だったのでか、バスは空いていた。飛鳥寺では例の「入鹿の首塚」を見ることにした。高さ159cmの首塚は五輪塔で鎌倉時代または南北朝時代の建立作だとか考えられている。板葺宮から飛んできた首、げにも恐ろしい。心ばかりに手を合わせてその彼が暗殺されたと言われている板葺の宮(遺跡)へ歩くことにした。
季節は秋の最中のことで、飛鳥寺から入鹿の首塚、そして稲穂が輝く田んぼ道を古代の人々が板葺宮や飛鳥寺を行き来したであろうと思い浮かべながら歩いた。もっともボクのような想像力に乏しい人間にとって期待したほど古代人にはなり切れなかった。ようやくと言うか板葺宮跡(写真)に着いた。綺麗に発掘された「跡」で想像できるのは、「ここから飛鳥寺まで首が飛ぶかな?」と言う実に散文的な感想だった。
ちなみに首が飛んだという距離はおよそ1.5キロメートル位かと思われる。