
秋田県には秋田内陸田縦貫鉄道と言う名の鉄道が通っている。その名の通り海沿いではなく山沿いのルートを通っていて、鷹巣から阿仁合(あにあい)を通り、武家屋敷を擁する角館(かくのだて)までの94.2キロメートルを走る。正式名称は秋田内陸縦貫鉄道株式会社という第三セクターの鉄道である。第三セクターの運営と言えることは、もともと国鉄、JRが手放した赤字路線を地域の要望で第三セクターが運営と言う内実の苦しい鉄道がほとんどである。
話を戻す。この秋内陸田縦貫鉄道には、はじめて今回の旅で乗ったのだが、季節柄「緑の世界」を行く鉄道だった。まだ若かった大昔に筆者は、何の調査も知識も無く東北を旅していた時期があった。今から考えると無謀以外には表現出来ない旅だった。つまり簡単に言うとマタギを探して旅していたのだ。無論誰の紹介もなく、ただ「東北の山間部」を歩いていただけだった。
そのマタギは秋田にいたようだった。件の秋田内陸田縦貫鉄道に阿仁マタギと言う名の駅があり結構な宿まであった。阿仁マタギの説明では「秋田県北秋田市阿仁地区に伝わる狩猟を生業とする集団、およびその文化のことです。特に、山の神を信仰し、独自の掟や儀式を持つことが特徴です。阿仁マタギは、クマなどの狩猟を主に行い、その文化は『マタギ文化』として知られています。」とある。
マタギは「又鬼」と書くらしいがおそらくこれは当て字だろう。ともあれマタギには合えなかったが「駅を通過」することはできた。
今一つこの鉄道の歴史に特筆すべきことがある。この鉄道のほぼ中央に「阿仁合(あにあい)駅」がある。阿仁合とはアイヌ語由来で「行きどまり」「突き当り」を意味するらしい。この、今や行きどまりでもない阿仁合には異人館がある。異人館は神戸の北野界隈のそれと違ってかわいらしい一軒家だ。明治政府直営の阿仁鉱山の外国人宿舎として明治15年(1882)に建築されたコロニアル様式の建造物だ。つまりここには旧阿仁鉱山があり、金、銀、銅を産出した。
そして秋田内陸田縦貫鉄道は終着駅の角館に着く。角館に関しては稿を別にして書く予定である。この秋田内陸田縦貫鉄道の沿線は冬ならばとてつもない雪の世界だと思えるが、筆者が行った時期は新緑が車窓から眺められる綺麗な時期だった。田んぼアートの準備をしている田植えの説明があり、鉄道お勧めの絶景に差し掛かると社内放送で説明してくれるサービスにあふれた旅だった。
「ただA地点からB地点へ人を移動させる大都会の鉄道」にはないやさしさがあふれる旅だった。