スペイン北部のサンティアゴ市(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)で「ガリシア文学の日」の5月17日、「ガリシア語を守ろう」と訴えるデモが行われた。スペインではスペイン語が広く使われているが、同市が属するガリシア州は「ガリシア語はガリシアで生きる者にとってのアイデンティティー」として、ガリシア語を公用語に指定しているのだ。この2カ月前、トランプ氏は大統領令で英語を公用語に指定した。アメリカでは1割の人がスペイン語を使っているが、トランプ氏は、「英語を使えない者はUSAから出て行け」とばかりに″英語ファースト″政策を強行した。少数の人たちの言語を許容するのか、封殺・排除するのか。世界はいま大きな岐路に直面している。
今年の「ガリシア文学の日」のデモは市民団体の呼びかけで、高齢者から若者まで、約5000人が参加して実施された。日本ではほとんど報道されなかったが、わたしがこうした運動があることを知ったのは、15日に放映されたNHKの語学番組「しあわせ気分のスペイン語」によってである。同番組によると、1837年にサンティアゴデコンポステーラで生まれた女性詩人、ロサリア・デ・カストロが、当時スペイン国内で蔑まれていたガリシア語で作品を生み出した。なかでも1863年に発表した『ガリシアの歌』は、自分たちを侮辱する者たちへの怒りが切々とつづられており、ガリシア語復興運動の旗印となった。
1963年、ガリシア王立アカデミーはロサリアの功績をたたえるため、『ガリシアの歌』が発表された5月17日を「ガリシア文学の日」と定め、州の祝日に制定。こうした動きを受けて、1978年、スペイン憲法は「スペインの他の言語も、それぞれの自治州で公式に用いることができる」と規定。1981年、ガリシア自治憲章に、ガリシア語がスペイン語と並ぶ公用語と明記された。
NHKの番組では、6歳から12歳までの児童が通う小学校の授業を紹介。数学ではスペイン語が、社会科ではガリシア語が使われるなど、二つの言語がほぼ半々の割合で使用されている。子どもたちは、友人とはスペイン語で会話し、家族とはガリシア語で話すと語っている。
NHKのこの放映のころ、わたしは善元幸夫さんの著書『おもしろくなければ学校じゃない』(アドバンテージサーバー刊)を読んでいた。まったくの偶然だが、同書のなかで善元さんは二言語問題を取り上げていた。
善元さんは長い間、海外からの引き揚げ者や移住者の子どもの教育に携わってきた。少しでも早く日本語ができるようにと日本語教育に力を注いだが、子どもたちは心を開こうとはしない。生まれ育った社会で使っていた言葉が使えないのは、その子にとって存在そのものが否定されたことになるのではないのか。一言語の強制は誤りでは、と疑問に感じた善元さんが調べてみると、オーストラリアでは二言語主義がとられていることを知った。オーストラリアは先住民であるアボリジニ同化政策をとっていたが、1972年、労働党政権が多文化主義に政策転換し、わずか16万人しかいないアボリジニの言語を公認した。
もうひとつ、カナダの例。18世紀の英仏植民地戦争でイギリスが勝利し、英国系優位の国になったが、1950年以降、フランス系のケベック解放戦線による独立運動が展開され、1975年、ケベック州ではフランス語が唯一の公用語に。1982年、カナダ政府は憲法を改正し、公用語としてフランス語も採用、英語と同等の権利を与えた。
アメリカでは建国以来250年間、連邦としての公用語はなかった。1998年、英語をただ一つの公用語と定めたアリゾナ州の法律を連邦最高裁は違憲とする判決を下した。2000年、クリントン氏は大統領令で政府機関などに対して、英語を話さない人がサービスを利用しやすくするため、英語以外の言語支援を義務づけた。
わずかながらではあるが、こうした一定程度の他言語許容政策はアメリカの歴史と無縁ではない。
アメリカは1846~48年の米墨戦争でメキシコに勝利し、メキシコ領であったテキサス、ニユーメキシコ、カリフォルニア各州を獲得した。こうした経緯に加えて、メキシコを経由しての中南米からの移民が増えたこともあって、2012年の国勢調査によると、アメリカでスペイン語を使う人は10・7%にのぼっている。なかでもロスアンゼルス(カリフォルニア州)43・8%、サンアントニオ(テキサス州)41・6%と、旧メキシコ領であった都市では、英語と並ぶかたちでスペイン語が使用されている。ヒスパニック系人口5000万人中3500万人が家庭でスペイン語を使っているとのデータもあり、アメリカ中西部は英語・スペイン語併用言語圏といっても過言でないだろう。
トランプ氏はこうした言語実態を無視して英語公用語指定に踏み切った。これにともないクリントン大統領令は廃止された。トランプ氏は「10万人以上の不法移民を国外追放した」と豪語するが、合法的に入国した場合でも、スペイン語しか話せない移民は「政府が認めていない言葉を使うよそ者」となるだろう。すでに触れたように、ロサリアが作品を発表するまで、ガリシア語が蔑まれていた。それは言葉に対する蔑みにとどまらず、ガリシア語を使う者に対する蔑みであった。この点を踏まえて英語公用語指定問題を考察すれば、スペイン語しか使えない人は、たんにアメリカで暮らしにくくなるだけでなく、軽蔑の対象になる恐れが大いにあると言わざるを得ない。それが差別につながることは火を見るよりも明らかである。
気がかりなのは、親に連れられた移民の子どもたちだ。スペイン語しかできないという理由でいじめにあい、将来への夢が消えて心を閉ざしてしまわないだろうか。
そうした懸念は教育によって克服するしかない。善元さんは「(日本語と生まれ育った国の)二つの言語のなかで、子どもたちがどう自らをつくっていくか、その意識を深めていくことではじめて、二つの国の架け橋の役割を果たす」という。子どもにとっての古里の言語を尊重してこそ、子どもたちが自分で未来を切り開いていくというのだ。だが、アメリカファーストに徹するトランプ氏の思考回路に、「二つの言語の架け橋」という概念が浮かぶことは決してないだろう。
ガリシアの運動が世界の運動にならないだろうか。アイヌ語や琉球語を封鎖した日本の歴史をおもえば、夢物語に過ぎないのかもしれない。少数民族や移民にとって21世紀は暗くかつ生きずらい時代になるのでは、とわたしは憂慮するのである。