樺太は島である。だから船で渡った。稚内から大泊まで連絡船で8時間。稚泊連絡船である。この連絡船で宮沢賢治も岡田嘉子も樺太へ渡った。そして敗戦の時はこの港に人々は逃れるために殺到したという。
「樺太夢幻」003
樺太庁博物館は1937年8月1日に樺太の豊原で開設された博物館である。1896年にアレクサンドロフスク・サハリンスキーで創立した旧博物館の所蔵資料を引き継いでいて、前頁の国境境界標や樺太の動植物、鉱物、民俗、考古学などの資料が展示・収蔵されている。
無論建物も樺太時代のものである。
新連載「樺太夢幻」002
この日露戦争の結果、全島がロシア領だったサハリンは、樺太と名を変えて、島の南半分、つまり、ほぼ島の真ん中を通る北緯50度線を国境として、日本が統治した。
写真の国境境界標はユジノサハリンスクにあるサハリン州立博物館に収納されている。
当たり前のことだが、裏側はソ連(ロシア)側となる。
暑中お見舞い申し上げます。
暑い毎日が続いています。
まだまだこの暑さが続くようです。
おまけに地震や豪雨・・・。いったい地球はどうなっているのでしょうね。ご自愛ください。
- 写真は冬の摩周湖。せめて気分だけでも・・。
新連載「樺太夢幻」001
我が国は大国ロシアと一戦を交えた。所謂日露戦争である。戦いは1904年2月8日から1905年9月5日およそ一年半にわたった。主な戦場は 清国満州南部、朝鮮半島、日本海そして樺太。2個旅団編成の樺太遠征軍は、日本海海戦後新編制された連合艦隊の第3・第4艦隊からなる北遣艦隊に護送され、7月7日、樺太南部の亜庭湾岸に侵攻(後の大泊郡深海村女麗-メレイに上陸)した。
そして日本が勝利したことはその後の我が国の歴史に多大の影響を与えた。
新連載「樺太夢幻」のお知らせ
次週から「樺太夢幻」を連載します!写真は日露戦争当時の日本軍上陸地記念塔・・・。
ご期待ください。
光と影の彩なす一瞬《生月島に見るカクレキリシタン》006
写真は正月の行事。近所に住む「カクレキリシタン」たちが集まってオラショを唱える。
オラショとは、日本のキリシタン用語で「祈り」の意。ラテン語のオラシオ (oratio、祈祷文) に由来する。オラショは、パライソ(天国)やインフェルノ(地獄)の教えが、カクレキリシタンによって300年間あまり、口伝えに伝承されたものである。カクレキリシタンにとって、オラショは一種の呪文のようなものであり、意味内容を理解した上で唱えられているものとは言えず、「基本的には一つの行として、暗記して唱えること自体が重要なことであって、意味そのものを理解することにはほとんど関心がない」という。(完)
光と影の彩なす一瞬《生月島に見るカクレキリシタン》005
光と影の彩なす一瞬《生月島に見るカクレキリシタン》004
また具体的な(立体の)像ではなく「納戸神」として納戸の裏などに掛け軸に描かれたマリア像も存在した。
光と影の彩なす一瞬《生月島に見るカクレキリシタン》004
マリア観音とは、その名の通り、おもに江戸時代の禁教令によって弾圧を受けたキリシタン(キリスト教徒)達によって信仰の対象とされた聖母マリアに擬せられた観音菩薩像のことである。そしてその多くは中国の青磁、白磁の慈母観音で子供を抱いている。隠れキリシタンは、マリア像を持てなかったので、これら観音像を聖母マリアにその姿を投影して信仰の対象とした。