Lapizからのお知らせ

Lapiz2019秋号はホームページでも読めます!

Lapizホームページへ

10/8掲載予定  三匹が撮る《出雲に残るスサノオの世界》片山通夫
10/6掲載予定  三匹が撮る《無題》Dyu Men Su
10/4掲載予定 三匹が撮る《民族の祭典》Lee E-sik
10/2掲載予定 旅するカメラ《ピカドンの町》片山通夫
9/30掲載予定 編集長が行く《もく星号墜落に見る奪われた空》井上脩身編集長
9/28掲載予定 ドローンの世界《夏》小田 真
9/26掲載予定 宿場町シリーズ《東海道・品川宿》井上脩身
9/24掲載予定 Opinion《渡来人と呼ばれた人々》:片山通夫
9/22掲載済 とりとめのない話「ブラジルの憂鬱」中川眞須良
9/20掲載済 徒然の章:中務敦行
9/18掲載済 ミナミ気圧 中川眞須良
9/16掲載済 原発を考える《欺瞞に満ちる汚染土再利用政策 》井上脩身
9/14掲載済 breath of CITY:北博文
9/10掲載済《「安倍=ポチ」論に油断してはならない》:渡辺幸重
9/8掲載済 びえんと《新天皇の「おことば」と憲法9条》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身
9/6 掲載済 2019Lapiz秋号《巻頭言》 :Lapiz編集長 井上脩身

現代時評《飛鳥時代への思い》片山通夫

 その昔・・・まだ神話の時代のことである。伊弉冉(イザナミ)と伊弉諾(イザナギ)のお話。伊弉冉は火の神様を産んでやけどを負い亡くなって黄泉の国へ行ってしまった。島根県東出雲には黄泉の国への出入り口「黄泉比良坂(よもつひらさか)」がある。伊弉諾は伊弉冉恋しさに黄泉の国へ行ったがあまりにも変わり果てた伊弉冉の姿に驚いて逃げて帰ってしまった。根性なしである。そして筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、天照大御神、月読命に次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたと古事記には書かれている。

 その素戔男(スサノオ)だが高天原で大暴れしてついには追放されて地上に降り立った。最初に降り立ったのが朝鮮半島の新羅の国だと日本書紀には書かれている。素戔男は手ぶらで倭の国へ行くのは少し体裁が悪いのか、当時倭の国よりも文明が進んでいた新羅へ降り立って、手土産を見繕った。筆者の憶測だが、まだ弥生時代で青銅器文化しかなかった倭の国に鉄器文化を手土産にしたと思われるのだ。

 当時倭の国は文化的には相当遅れていたと思うのだ。

 筆者は今更ながらだが、司馬遼太郎氏の「街道をゆく」のシリーズを読んでいる。その2巻目に「韓(から)のくに紀行」という巻がある。朝日文庫版の16ページに「大阪はこの原野に人間がほとんど住んでいなかったころ、百済からの移住者がきて拓き、そのころ百済郡という郡さえ置かれた。それが、今の生野区とか、鶴橋、猪飼野あたりらしい」

 ここにいう「百済からの移住者」たちはおそらく新羅に攻め滅ぼされた百済国の人々だったと思う。いわゆる渡来人たちである。

 ところで日本書紀一書(第四)に「素盞嗚尊の行いはひどいものであった。そこで、神々が、千座の置戸の罪を科せられて追放された。この時素盞嗚尊は、その子五十猛神をひきいて、新羅の国に降られて、曽尸茂梨(ソシモリ) の所においでになった。そこで不服の言葉をいわれて「この地には私は居たくないのだ。」と。 ついに土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。」とある。

 わが国は友好国百済を助けんと唐・新羅軍と白村江で戦ったが完敗。ほうほうのていで逃げ帰った。この時百済人たちも倭国を頼って渡来した。時は天智2年8月(663年10月)のこと。

 つまり日本書紀に書かれている「新羅の国に降り曽尸茂梨(ソシモリ)」というところにいたとなっている。まさか白村江の戦いの最中でもあるまいし、それ以前の時代でもあるまい。というのは、もし百済を助けて「日本が勝っていたら」スサノオは堂々と出雲へ渡ってきたはずである。「この土地にはいたくない」というのは、土船に乗って早々に我が国へ渡ってこなければならなかったからであろう。新羅に負けたからだと思う。

 さて、我々は今、最悪の日韓関係に直面している。古代から朝鮮半島とは浅からぬ関係だったことを思うと、一時の誤りだと思いたいが、近代、特に1900年代からの両国の不幸な関係は一筋縄では解決しそうにない。

 けれど悠久の弥生・飛鳥時代に思いを馳せることができれば、新しい局面を迎えることができるかもしれない。何しろ百済人(渡来人)の血も我々には流れているはずだからだ。

現代時評《嫌韓というブーム》片山通夫

 安部政権があおっているのではないかとも思われるほど昨今のマスコミ、大手紙や週刊誌、特にテレビの「ワイドショー」と称する番組が多い。嫌韓記事や番組のことだ。

 まさに安倍政権への忖度記事や番組のオンパレードだ。

 『週刊ポスト』9月13日号が「『嫌韓』ではなく『断韓』だ 韓国なんて要らない」というタイトルで韓国批判記事を掲載した。

 まさに「嫌韓ブームに乗った」安直な記事なのだ。我が国は過去の過ち、つまり朝鮮(当時)を植民地にして大陸への侵略の足掛かりにした歴史をすっかり忘れてしまった結果が、この「週刊ポストの特集」に代表される嫌韓ブームなのだろう。はなはだしいのはこの記事の中で「ソウルは3日で占領できる」などと書いていることだ。

 いつの間にか、不戦の誓いはおろか、70数年前に戻って「戦争に向かって」突き進む時代になってしまっている。一週刊誌の記事だと侮ってはいけない。大なり小なり、このような風潮がもてはやされる時代になってしまっている。その代表が週刊ポストであり、丸山某が繰り返す「戦争で取り戻す領土」なのだ。

  「戦争は悪である」という意識が薄れてきたのだろう。いったい誰が「ソウルを3日で占領」するのだろう。自衛隊という若い兵士なのか。それとも「週刊ポストの記事にやんやの声援を送ってきた」匿名の読者?戦争や嫌韓をあおっているマスコミの連中?

 いずれも実体のない連中が売らんかなの浅はかな考えで無責任にあおっているだけだろう。

 しかし責任で恐ろしい時代になったものだ。

Lapiz2019秋号は9月1日発行です!

 主な記事

breath of CITY  北博文

巻頭言 井上編集長
三匹が撮る! サハリンの二人と日本の一人の写真
カバーストーリー サハリンから韓国へ永住帰国した男の物語
breath of CITY  北博文
徒然の章 中務敦行
随想 安部退陣へ 渡辺幸重
ドローンの世界 ~夏~ 小田真
編集長が行く もくせい号墜落に見る奪われた空 井上編集長
大阪ぐりぐりマルシェ 中川眞須良
歴史の街を行く スサノオ追跡 片山通夫 などなど

現代時評《頭を冷やそう》片山通夫

 安倍首相は「日韓請求権協定に違反するなど、国と国とのですね、信頼関係を損なう対応が残念ながら続いている、韓国側が続けているわけでありますが、日本はその中にあってもですね、現在の北東アジアの安全保障環境に照らせば、日米韓の協力に影響を与えてはならないという観点から対応してまいりました」と23日に記者団に語った。

 厚顔無恥とはこのことを言うのだろうか。しかし安倍首相だけのせいにしてはならない。いやできない。安倍に忖度する我が国のマスコミも大きな責任を負わなければならない。マスコミの安倍よいしょ記事に踊らされている大多数の国民のほとんどが「すべて韓国が悪い」との大合唱だ。徴用工問題もGSOMIA破棄も韓国の責任だと言ってはばからない。

 しかし少し待ってほしい。頭を冷やして振り返ってみたい。

本当に韓国政権の韓国人のせいなのか。

 もともとは日本の植民地政策にあったのだが敗戦後も日本は韓国を始め迷惑をかけた国や国民に真摯に向き合ってきたかが問題だ。日本は奇跡的に敗戦の焼け野原から立ち上がっていわゆる経済大国になった。しかしそこには朝鮮戦争(1950年6月25日 – 1953年7月27日)という朝鮮半島を舞台にした過酷な戦争で大儲けした日本があった。

 そこで日本は真摯に歴史に向き合えればよかったのに、経済第一という政策に走った。経済が強くなるといわゆる「札束」で物事を問題を解決しようとする。だから勢い傲慢になる。歴史を金で買う国に落ちぶれたのだ。それも自分に都合のいいだけの歴史を。

 慰安婦問題、徴用工問題をはじめとする日韓の問題はすべてここに起因するのではないだろうか。安倍首相をはじめとする「歴史修正主義者」たちの言動を振り返ってみればいい。彼らは韓国の文大統領や国民の反応や言葉が「ありえない判断」「日韓請求権協定で解決済み」とおうむ返しに行っているが全く「心」が感じられない。それでは相手は心を開くことはない。

 本当にこのままでは軍事衝突の危険もゼロではない。早々に安倍一派の退場を願うばかりだ。

現代時評《虚しさが極まった夏》:山梨良平

靖国神社

 74回目の夏である。この戦争の犠牲者は、植民地だった朝鮮の犠牲者を含むと、350万にのぼる。その他、中国や南方諸島、東南アジアなどを含むと気の遠くなるような犠牲者の数となる。無論、沖縄、広島、長崎を始め東京や大阪などの空襲の犠牲者も忘れてはいけない。

 そんな多大としか形容のしようがない犠牲者を慰霊する74年目の夏が今年の夏なのだ。

そして今を生きる私たちは彼ら、彼女たちの命と引き換えの人生を今歩んでいる。それは、民族、国、住んでいる地域の差こそあれ、まったく同じ犠牲の上に立っているという敬虔な気持ちを忘れてはいけない。

 しかるに安倍首相は時折「日本国民を代表して」あちこちで挨拶を述べる。今年6月23日の沖縄の「慰霊の日」では

先の大戦において、ここ沖縄は、苛烈を極めた地上戦の場となりました。20万人もの貴い命が失われ、この地の誇る美しい自然、豊かな文化は、容赦なく破壊されました。全ての戦没者の無念、ご遺族の方々の言葉に表し得ない悲しみ、沖縄が負った癒えることのない深い傷を思うとき、胸ふさがる気持ちを禁じ得ません。

ところが昨年同日の首相の挨拶は次のとおりである。

先の大戦において、ここ沖縄は、苛烈を極めた地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が無残にも奪われ、この地の誇る豊かな海と緑は破壊され、沖縄の地は焦土と化しました。多くの夢や希望を抱きながら斃れた若者たち、我が子の無事を願いながら息絶えた父や母、平和の礎(いしじ)に刻まれた全ての戦没者の無念を思うとき、胸の潰れる思いです。

 この同じような挨拶は誰が書いたのかは知らないが、安倍首相本人ではないことは明白だ。「云々」を「でんでん」としか読めない馬鹿にこのような漢字交じりの文章を書けるわけがない。

 そして昨年の挨拶のコピーは広島でも長崎でも使われたと、もっぱらの評判だ。

 筆者は思う。このように「国民を代表して」慰霊のための挨拶をする場合、コピー然とした挨拶があっていいものだろうか。このような挨拶の使いまわしを平然とする首相の神経を疑う。そして原稿を書いた(はずの)人物が如何に首相を馬鹿にしているかが感じられる。

 8月15日に行われた政府主催の全国戦没者追悼式をみて、政治評論家・本澤二郎氏は次のように述べたと日刊ゲンダイ紙が書いている。

 安倍首相は『歴史と謙虚に向き合う』と口では言いますが、原稿を棒読みしているだけで、まったく心がこもっていない。日本が加害者だったという意識はないのでしょう。侵略ではなく自衛のための戦争だったと本気で信じているのだと思う。歴史に正しく向き合い過去に学ぶ気持ちがないから、隣国に対して居丈高に拳を振り上げる。失政を隠すために外に敵をつくるのは権力者の常套手段ですが、悲惨な戦争の記憶が薄れた国民もそれに安易に乗っかってしまう。非常に危険な最近の風潮です。

 「虚しさが極まった夏」と言える74回目の夏だった。