現代時評[写真よもやま話ー4ー]片山通夫

しかし政府というか高市内閣は独断専行が多すぎるようだ。官僚たちとの整合性もあまりなく思い付きで総理答弁をやっている印象が多々ある。最も官僚のペーパーを朗読するだけの答弁もあるのが情けないのだが・・・。彼女の内閣を肯定するわけではないが、せっかく内閣総理大臣に就任したのだから、根性入れて、つまり千載一遇のチャンスなのだから、ここはじっくり構えて大方の国民の支持が得られるような政策を実行してもらいたいものだ。 “現代時評[写真よもやま話ー4ー]片山通夫” の続きを読む

散歩道《柳生は山里》片山通夫

柳生は山里である。今では奈良市内から車で小一時間で行くことができる。かつて作家の山岡荘八氏が「春の坂道」の構想を練ったという屋敷はかつての柳生藩家老小山田主鈴の隠居宅であり資料館として残されている。特に特徴のある山里ではないが、柳生家が治めていた時代、柳生藩の時代に思いを寄せることのできる静かな山里である。 “散歩道《柳生は山里》片山通夫” の続きを読む

散歩道《近江の国・朽木村の伝説》片山通夫

朽木村は滋賀県琵琶湖の西側にあった県下唯一の村だった。今は高島市朽木となっている。ここでは便宜上「村」と呼んでおこう。村を南北に突き通る道路は、俗に鯖街道と呼ばれている。その昔、若狭の国にあがった鯖を一塩して京の都に一晩かけて運んだためにこの街道はそう呼ばれている。 “散歩道《近江の国・朽木村の伝説》片山通夫” の続きを読む

現代時評[写真よもやま話ー2ー]片山通夫

時間はどんどん飛んでしまい、思い出すまま時系列なんてめんどーだとばかりに、某写真学校に通った時の話。いわゆる夜学生だった。確か夕方18時頃から21時までだったと記憶する。学校の場所は大阪梅田の近辺にあった関西テレビの横のビルの地下だった。大阪駅から学校まで行くのに太融寺というお寺の横を通る。近所には読売新聞大阪本社というのもあった。 “現代時評[写真よもやま話ー2ー]片山通夫” の続きを読む

散歩道《月読神社・京田辺市》片山通夫

京田辺市の月読神社で

 

 

 

 

 

 

 

京都の南に京田辺市という町がある。古来木津川の水運に支えられて栄えて来た。また大和を南に望む地域として継体天皇をはじめ様々な権力争いなどエピソードや伝説が伝えられてきた。
その町に月読神社という名のいわくありげな神社がある。月読はアマテラスの弟神で、イザナギとイザナミの間にできた夜をつかさどる神として有名だ。その神を祀る神社がここ京都の南部に鎮座している。そもそもこの神社のある場所は、今から1300年前、奈良朝時代に九州南部の大隅半島からここ大住の地に移り住んだ大隅隼人族が発生と言われ今も使われている「大住」の地名も彼らに由来する。また神社には隼人たちの舞が伝えられている。

京田辺市の観光案内HPから
月読尊(つきよみのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)を祀る延喜式内社で、大社に位置づけられていた。中世にはたびたび兵乱、兵火を受けて、社殿の焼失と再興を繰り返した歴史があり、鎌倉時代初めに、源頼朝から神馬の献上があったとも伝えられ、明治維新の折には、鳥羽伏見の戦いを避けるため、石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置された。現在の本殿は、東に面する一間社春日造、銅板葺(もとは桧皮葺:ひわだぶき)の建物である。明治26年(1893年)に名古屋の伊藤平左衛門により設計された。本殿を囲む瑞垣の正面に、鳥居を配置する珍しい構造が見られる。この春日造は奈良の春日大社本殿の形式で、この様式は、奈良を中心に京都府南部、大阪府、和歌山県北部などに広く分布する。本神社が位置する大住地域の多くは、平安時代末期から室町時代末ごろまで奈良興福寺の荘園であった。神宮寺として、宝生山福養寺が明治の初めごろまで存在し、奥ノ坊、新坊、中ノ坊、西ノ坊、北ノ坊、東ノ坊の六坊が備わっていたが、すべて廃寺となっている。往事の社域は、大住小学校の北側あたりに北ノ坊の旧跡が調査で確認されており、かなり広大な社であったことがうかがえる。 毎年10月14日の宵宮には大住隼人舞(市指定文化財)が奉納される。

隼人の舞

散歩道《古老柿のふるさと 01》片山通夫

京都に宇治田原という町がある。山間部に位置した山里である。メインの交通は京阪電車宇治駅に向かうバスしかないという、いささか不便な町である。その町のホームページには「サルの位置情報」という項目がある。きっと野猿が出没するらしい。誰かがサルに友達でもいて、位置情報を流してもらっているのかもしれない。実はGPSをつけた猿がいるらしい。猿は群れで移動するから群れで把握するという。まあ、昨今のクマ出没注意よりはましかもしれないと思っていたら、近隣の市町村にはツキノワグマも出没するらしい。 “散歩道《古老柿のふるさと 01》片山通夫” の続きを読む

現代時評[写真よもやま話]片山通夫 251125掲載

写真はゲージツだとは言わない。昔写真仲間でよく出た話がある。当時リアリズムの土門拳氏やライカ使いの名手であった木村伊兵衛氏の全盛でカメラ雑誌には必ずと言っていいほどお二人の写真がグラビアページを飾っていた。我々が下世話で話していたことは「彼ら巨匠の使っているカメラやフィルムなど全く同じ機材で同じようにとれば同じ写真がとれるはずだ」という命題に関して、口角泡を飛ばして「論じた」ものだった。 “現代時評[写真よもやま話]片山通夫 251125掲載” の続きを読む

散歩道《哲学の道にて 01》片山通夫

 

京都市左京区にある、琵琶湖疏水の西側沿いに銀閣寺から若王子神社(一説には南禅寺)まで続く約1.5~2kmの散歩道。
京都帝国大学で哲学を研究した西田幾多郎氏が、毎朝この道を思索しながら歩いたことにちなんで名付けられた。

ボクもカメラを手に何度かこの小道を歩いてみたが、「哲学」はまったく出来なかった。そもそも「哲学をする」ということの意味がまったくわからない。ふと思った。はたして「哲学はするものか」と。
西田幾太郎氏はこの小道で何を思索していたのか。「哲学をする」ということは何かを思索することならば、ボクにはとても難しい。ボクの撮影姿勢は哲学をする以前に感覚でシャッターを押すことなのだから。