樺太夢幻018 《氷の筍》

いうなればツララが地面から生えてきたようなものだ。人々はこれを《氷の筍》と呼ぶ。勿論寒いから出来る。この写真は内淵(ブイコフ)の炭鉱で撮った。

「樺太夢幻」017

樺太の開発は主に製紙工場と炭鉱だった。製紙工場は豊富なパルプを生産し、島内の随所に港と鉄道を持ち、生産した紙を本土に運んでいた。一方石炭も「黒いダイヤ」と呼ばれていたことでもわかる通り我が国の重要な産業であった。写真は川上炭鉱(シネゴルスク)。

「樺太夢幻」015

 この白い風景は雪景色である。あまりにも暑いので気が狂ったわけではないが、少しでも涼をと思って・・・。この鉄路は豊原から北へ延びる樺太東線の鉄路。宮沢賢治も、岡田嘉子も豊原から北へ向かった。宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」の構想を練り、岡田嘉子は恋人と手を携えて国境を越えてソ連に亡命した。

「樺太夢幻」014

豊原(ユジノサハリンスク)と真岡(ホルムスク)との間に熊笹峠がある。豊原・真岡間を結ぶ交通の要衝だった。1945年8月9日、日ソ中立条約を破棄して樺太に侵攻したソ連軍は1945年8月20日に真岡に上陸、真岡占領後は豊原市(現在のユジノサハリンスク)を目指して進軍し、それに抵抗する日本軍との間に8月20日から23日にかけて熊笹峠や宝台ループ線を舞台に激しい戦闘が繰り広げられた。写真は熊笹峠に残る日本軍の塹壕。

「樺太夢幻」012

 

冬の話。
樺太の冬は厳しい。氷の世界だ。氷の世界では海にも畑にも行くことはできない。人々は集って長い冬をやり過ごす。踊り、歌いそして笑って。