連載コラム・日本の島できごと事典 その163《無人島化政策》渡辺幸重

グラフ「年代ごとの無人化島の発生数」(須山聡)

私は若い頃「人口が少なく生産性の低い小さな島は無人にしたほうがよい」という話を聞いていたので調べてみたところ、1964(昭和39)年に日本政府の全国離島審議会小委員会から「『小島の大島への移住』に関する意見書」が出ていました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その163《無人島化政策》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その162《マングース根絶宣言》渡辺幸重

「マングース根絶宣言」を伝えるニュース番組(朝日新聞デジタル)

2024(令和6)年9月3日、環境省から「奄美大島における特定外来生物フイリマングースの根絶の宣言について」という発表がありました。そこで出されたのが「奄美大島におけるマングース根絶宣言」です。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その162《マングース根絶宣言》渡辺幸重” の続きを読む

現代時評plus《自己責任?》山梨良平

世界のあちこちで大地震が頻発している。さきのミャンマーなどの話だ。1000キロメートル離れたバンコクでも工事中のビルが崩壊した。一方我が国の南海トラフの危険性を政府の作業部会が先月31日発表した。南海トラフの被害想定は、「甚大なまま・・・しかし地道な準備で死者はもっと減らせる。必要なのは正しく恐れることだ」と発表した。発生した場合、最大で29万8000人が死亡し、経済的な被害は270兆円に上ると想定した。 “現代時評plus《自己責任?》山梨良平” の続きを読む

現代時評plus《韓国叩き》一之瀬明

明治時代からだと思うが「韓国叩き」が、我が国では常態化している。その最たるものが、あの関東大震災直後の「朝鮮人虐殺事件」だった。一体なぜ朝鮮人を嫌うのだろうか?同じ東洋人であり隣国であり、江戸幕府時代、1607年から1811年までの間に12回日本を訪れた朝鮮通信使の折には、文人墨客だけでなく学者などもこぞって彼らを歓待したと言われてる。 “現代時評plus《韓国叩き》一之瀬明” の続きを読む

Opinion《ヘイト》一之瀬明

何気なくハンギョレ新聞(韓国)を読んでいたらこんな記事を見つけた。
「彼らのカメラが恐怖」…日本の差別主義者に狙われるクルド人
https://japan.hani.co.kr/arti/international/52448.html
記事の内容は上記のURLをコピーしていただき読んでもらえればよくわかる。衝撃的な写真も掲載されている。 “Opinion《ヘイト》一之瀬明” の続きを読む

とりとめのない話《何もない風景》中川眞須良

【LAPIZ ONLINE】何かのきっかけで行ってみたい場所ができることは日常ごく自然だ。初めての場所 名のある場所 思い出の場所など色々だがその内容、その時の必要性によって行動を起こす順位が決まってしまうが、その都度後回しにされる。 “とりとめのない話《何もない風景》中川眞須良” の続きを読む

現代時評《「党内野党」首相の役割》片山通夫

「まさか」と感じた方も大勢おられただろう。石破首相の10万円商品券事件である。報道によると「昨年の衆院選で初当選した自民党議員に、同党総裁の石破茂首相が「会食のお土産」として10万円分の商品券を配った」と言う。(東京新聞その他)石破首相は自民党内でも「同志」と言える人が少ないらしい。だからなのかはわからないが、仲間を増やすために国民が主食である米をはじめ生活に必要な食料の高騰に苦しんでいる時に「まさか」である。 “現代時評《「党内野党」首相の役割》片山通夫” の続きを読む

エッセー《彼岸(ひがん)と此岸(しがん)》片山通夫

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「彼岸だそうで。」

なんだか知らないが三途の川を挟んだ向こう岸が彼岸、こちら側が此岸と言うわけらしい。彼岸には春と秋があり、季節の変わり目ともいわれる。古来、「暑さ寒さも彼岸まで」とも言ったようだ。暑さ寒さの中間点、また昼と夜との時間の長さも同じときを行ったものだったが昨今はそうはならない。
彼岸とかいう考え方は仏教の教えがあって、供養や修行をするにはふさわしい時期という考え方がある。そしてなぜか春のお彼岸には「ぼた餅(牡丹餅}」、秋のお彼岸には「おはぎ(萩)」を、仏さまにお供えして供養する習わしがある。 “エッセー《彼岸(ひがん)と此岸(しがん)》片山通夫” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その161《藤原純友の乱》渡辺幸重

 

日振島全景(「iyomemo」サイトより)

平安時代中期に関東で平将門(たいらのまさかど)の乱が、瀬戸内海で藤原純友の乱が起きました。ほぼ同時期に起きた2つの乱は合わせて「承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱」とも呼ばれます。当時の朝廷貴族たちを震撼させ、武士の勃興を促した乱ですが、藤原純友は瀬戸内海西部の海賊集団を率いて愛媛県宇和島港の西南西約24kmの宇和海に浮かぶ日振島(ひぶりじま)を拠点にし、朝廷側と戦いました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その161《藤原純友の乱》渡辺幸重” の続きを読む