
日本列島には毎年台風が襲来し、大きな被害をもたらします。近年は気象変動(温暖化)のせいか“スーパー台風”と呼ばれる超大型の台風が増えたので心配が大きくなっています。私は“台風銀座”と呼ばれる琉球弧(南西諸島)に生まれ育ったので “連載コラム・日本の島できごと事典 その168《掘り下げ屋敷》渡辺幸重” の続きを読む
片山通夫公式サイト photo:宍道湖のほとり
日本列島には毎年台風が襲来し、大きな被害をもたらします。近年は気象変動(温暖化)のせいか“スーパー台風”と呼ばれる超大型の台風が増えたので心配が大きくなっています。私は“台風銀座”と呼ばれる琉球弧(南西諸島)に生まれ育ったので “連載コラム・日本の島できごと事典 その168《掘り下げ屋敷》渡辺幸重” の続きを読む
奄美群島の沖永良部島(おきのえらぶじま:鹿児島県)の空港は沖永良部空港ですが、愛称は「えらぶゆりの島空港」です。えらぶゆりはテッポウユリの一種でほのかな香りを持つ純白の花です。年末年始や冠婚葬祭などには欠かせない花ですが、沖永良部島はテッポウユリの日本一の産地で、切り花として200万本以上の出荷量を誇り、国産テッポウユリの生産量全体の80%を占めています。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その166《えらぶゆり》渡辺幸重” の続きを読む
京料理で魚と言えば鱧(はも)。祇園祭では「はも道中」があり、祇園祭そのものが「はも祭」と呼ばれるほどハモ料理は京都に欠かせない存在です。はも道中は八坂神社から四条通をハモなどが入った木桶を下げた行列が練り歩き、その後八坂神社にハモが奉納されます。これは古代に御食国(みけつくに)と呼ばれた淡路島から宮中にハモを献上した歴史に由来しています。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その164《はも道中》渡辺幸重” の続きを読む
私は若い頃「人口が少なく生産性の低い小さな島は無人にしたほうがよい」という話を聞いていたので調べてみたところ、1964(昭和39)年に日本政府の全国離島審議会小委員会から「『小島の大島への移住』に関する意見書」が出ていました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その163《無人島化政策》渡辺幸重” の続きを読む
2024(令和6)年9月3日、環境省から「奄美大島における特定外来生物フイリマングースの根絶の宣言について」という発表がありました。そこで出されたのが「奄美大島におけるマングース根絶宣言」です。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その162《マングース根絶宣言》渡辺幸重” の続きを読む
平安時代中期に関東で平将門(たいらのまさかど)の乱が、瀬戸内海で藤原純友の乱が起きました。ほぼ同時期に起きた2つの乱は合わせて「承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱」とも呼ばれます。当時の朝廷貴族たちを震撼させ、武士の勃興を促した乱ですが、藤原純友は瀬戸内海西部の海賊集団を率いて愛媛県宇和島港の西南西約24kmの宇和海に浮かぶ日振島(ひぶりじま)を拠点にし、朝廷側と戦いました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その161《藤原純友の乱》渡辺幸重” の続きを読む
島では食料生産や生活インフラに限界があることから島内の戸数を制限してきた島があります。静岡県の熱海港沖、相模湾に浮かぶ初島もその一つで、江戸時代から現在まで耕作地や水源、漁獲を島民で均等に分け合う共同体的生活が営まれるようになり、40戸前後の戸数が維持されてきました。「次男以降は島を出て、跡取りがいない家は婿養子をとる」という不文律が脈々と守られてきたのです。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その160《戸数制限》渡辺幸重” の続きを読む
「戦争をしてはいけない」と誰もが言います。しかし、その方法となると「軍備を増強して戦争を抑止する」から「非武装で外交によって平和を守る」までさまざまです。第二次世界大戦中の沖縄戦では各地で激しい戦闘が続き、人の命を奪うだけでなく生活基盤や社会インフラ、自然などすべてが破壊し尽くされました。その中で軍事施設がなく日本軍がいなかった島では破滅的な破壊を免れた例が見られます。いま、琉球弧(南西諸島)の島々に自衛隊のミサイル基地を含む軍事施設が配備され、日米の一体的な軍事体制が強化されつつありますが、沖縄戦での非軍備の島の体験は最近の軍備増強化は島の平和維持に逆行していることを教えているように思います。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その159《非軍備の島》渡辺幸重” の続きを読む
沖縄・西表島(いりおもてじま)上原港の北東約2.5キロメートル、鳩離島(はとばなりじま)の北方約1.7キロメートルの海域に「バラス島(とう)」というサンゴの島があり、シュノーケリングや海水浴の観光ツアーで人気を得ています。ところがこの島は地図には載っていません。なぜでしょうか。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その158《バラス島》渡辺幸重” の続きを読む
「からゆきさん」とは九州地方の西部や北部の言葉で、明治時代から昭和初期まで中国や東南アジアなど海外への出稼ぎのことあるいは出稼ぎに行った男女のことをいいます。島原地方(長崎県)や天草地方(熊本県)出身者が多く、長崎県の長崎港や口之津港などから海外に向かいました。特に出稼ぎだけでなく売られたりだまされたりして売春婦となった女性が『からゆきさん』(森崎和江著1976年)や『サンダカン8番娼館』(山崎朋子著1980年)などで取り上げられたことから「からゆきさん」というとこれらの女性を指すイメージが強められました。からゆきさんとして過酷な運命にさらされた女性の数は数万人、10~20万人、30万人とばらばらで確かな数はわかりませんが、背景には貧しさがあることを忘れてはなりません。実家に仕送りを続ける人も多かったでしょう。“ジャパゆきさん”という新しい言葉も思い出しますが、貧困は地域や時代を超える人類最大の悲劇かもしれません。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その157《からゆきさん》渡辺幸重” の続きを読む