
福岡市・姪浜港の北西約40kmに浮かぶ小呂島(おろのしま)は面積が0.45?、周囲が5.9㎞の小さい島です。テレビで“絶海の孤島”と紹介しているのを見ましたが、高速船で65分で九州島の港に着き、他の島影が見えるようなところを“絶海の孤島”とは大げさな表現だと思いました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その182《謝国明》渡辺幸重” の続きを読む
片山通夫公式サイト photo:白川村・岐阜

福岡市・姪浜港の北西約40kmに浮かぶ小呂島(おろのしま)は面積が0.45?、周囲が5.9㎞の小さい島です。テレビで“絶海の孤島”と紹介しているのを見ましたが、高速船で65分で九州島の港に着き、他の島影が見えるようなところを“絶海の孤島”とは大げさな表現だと思いました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その182《謝国明》渡辺幸重” の続きを読む

2022(令和4)年11月、全国41件の民俗芸能が「風流踊(ふりゅうおどり)」としてユネスコの無形文化遺産に登録されました。それまでは神奈川県三浦市三崎に伝えられている豊漁・豊作や商売繁盛などを祈願する踊り「チャッキラコ」だけが2009(平成21)年 9月にユネスコ無形文化遺産に登録されていましたが、チャッキラコを含む41件に拡張されたのです。風流踊は「風流」という名称の通り華やかな衣装や持ち物の人が歌や笛・太鼓・鉦などの囃子に合わせて踊る民俗芸能で、除災や供養、豊作祈願、雨乞いなどの願いを込めて催されます。風流踊の41件はそれぞれ国の重要無形民俗文化財に指定されています。
登録されたなかには島嶼部の風流踊として、新島(東京都)の大踊、淡路島(兵庫県)の風流大踊小踊、白石島(岡山県)の白石踊、平戸島(長崎県)のジャンガラ、対馬(同)の盆踊が含まれています。
新島の大踊は新島の本村と若郷に伝わる盆踊りで、室町時代末期から江戸時代初期にかけて全国的に流行した風流踊の流れをくむものといわれています。淡路島の阿万(あま)の風流大踊小踊は毎年9月の亀岡八幡宮の秋祭りに奉納され、大踊は室町時代後期(1550年頃)、小踊は江戸時代中期(1700年頃)に起源があるとされます。平戸のジャンガラは平戸市内の9地区で古くから伝承されており、お盆の頃に奉納されます。対馬の盆踊は起源は15世紀まで遡るとされ、藩士たちが踊る御卵塔風流(おらんとうふりゅう)と特権商人たちによる六十人踊の2つが各地域で融合しながら江戸時代から明治初期にかけて多様な演目が成立したといわれています。以下、笠岡諸島・白石島の白石踊について紹介します。
白石踊の起源ははっきりしませんが瀬戸内海で行われた源平水島合戦の戦死者の霊を弔うために始まったという伝承があります。特徴は、一つの音頭(口説き)に合わせて異なる衣装に身をまとった数種類の踊集団がそれぞれ異なる振り付けの踊を舞うことで、輪の中に混じり合った数種類の衣装や所作が優雅な調和を奏でています。
踊りの種類は現在では男踊・女踊・娘踊(月見踊)・笠踊・奴踊・ブラブラ踊・大師踊・阿亀(おかめ)踊など13種類の踊りが伝わっています。音頭も「那須与一」「石童丸」「丹波与作」「賽の河原」など20余りありますが最盛期には60以上もの唄があったといわれています。
衣装・ファッションは1955(昭和30)年に元禄時代を想定して白石島の観光協会によって決められました。それまでは思い思いにあり合わせのものを着て踊ったということです。
踊りの時期は約30年ほど前から旧暦のお盆から新暦の8月14日~16日の3日間に変わりました。旧暦のころは長期間にわたって踊りが続き、時間も現在の夕方から午後11時頃という時間帯ではなく最近まで“徹夜踊り”の伝統があったそうです。
盆踊りはやぐらや大傘を中心に輪になって踊りますが、家の庭で供養のための踊りを踊る訪問型の「回向(えこう)踊り」も行われます。
“連載コラム・日本の島できごと事典 その181 《風流踊》渡辺幸重” の続きを読む

第二次世界大戦における沖縄戦の激しさと悲惨さは語っても語りつくせぬほどですが生き残った人々も米軍統治下にあって悲しみと苦難の生活を強いられました。その中で生きることへの執着を支えたのが沖縄の芸能でした。ここでは私が強い印象を受けた二つのできごとを紹介します。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その180《命のお祝い》渡辺幸重” の続きを読む

美良島(びりょうじま)は五島列島の北に連なる小値賀島(おぢかじま)の西約13kmにある面積約0.4平方キロメートルの小さな無人島です。ベトナム戦争直後の1978(昭和53)年8月21日、この島に小型木造船が漂着しました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その179《ベトナム難民》渡辺幸重” の続きを読む

第二次世界大戦中、“軍神”とされ戦意高揚に利用された軍人の一人に八重山列島・与那国島(よなぐにじま:沖縄県)出身の大舛(おおます)松市がいます。松市は1943(昭和18)年1月13日、ソロモン諸島・ガダルカナル島で中隊長として部下14人とともに米軍敵陣に突入し、25歳で戦死しました。御前会議でガダルカナル島からの撤退(「転進」)が決定した前年12月31日と実際に撤退が完了した1943年2月初めの間の出来事でした。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その178《軍神とひめゆり》渡辺幸重” の続きを読む

約3,000キロメートル
朝鮮通信使は足利・豊臣・徳川の武家政権に対して朝鮮国王が書契(国書)および礼単(進物)をもたらすため派遣した外交使節団のことで、通信使とは「信(よしみ)を通わす使節」すなわち「お互いに信頼関係を深めあう使節」という意味です。1375(永和元)年に足利義満が日本国王使を派遣、それに対応して高麗王朝が通信使を派遣したのが始まりで、安土桃山時代以降は李氏朝鮮からの派遣に変わりました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その177《朝鮮通信使》渡辺幸重” の続きを読む

火山島の場合、大噴火によって火砕流やガスが島全体に及び、逃げ場がなくなる場合があります。そういうときには住民全員が島外に避難するしかありません。それが「全島避難」です。前に紹介した伊豆諸島・青ヶ島の「青ヶ島還住」はその一つです。なお、全島避難という言葉は一部連絡員を残した場合にも使われます。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その176《全島避難》渡辺幸重” の続きを読む

島には珊瑚礁に囲まれた低い島から火山が噴火する高い島までさまざまな島の形があります。その中で円錐状のコニーデ型火山の島は海上にそそり立つ姿が美しく、よく“○○富士”と呼ばれます。津軽富士(岩木山:青森県)や讃岐富士(飯野山:香川県)、薩摩富士(開聞岳:鹿児島県)などと同じパターンですが、島嶼部に存在する“富士山(郷土富士)”を『新版 日本の島事典』(三交社)で調べてみました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その175《島の富士山》渡辺幸重” の続きを読む

オラショとは日本の潜伏キリシタン(隠れキリシタン)に伝承されてきた祈りの言葉で、ラテン語のoratio(オラシオ/オラツィオ:祈祷文)に由来します。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その174《歌オラショ》渡辺幸重” の続きを読む

宮城県松島湾に浮かぶ島々を含む松島湾沿岸には約70ヵ所の縄文時代早期から晩期の貝塚が分布しており、東京湾や霞ヶ浦沿岸とならんで「貝塚が特に密集する地域」として全国的に知られています。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その173《松島湾の貝塚》渡辺幸重” の続きを読む

1931(昭和6)年の満州事変から日中戦争、第二次世界大戦までの15年戦争の中でいわゆる「外地」に進出していた人々は1945(同20)年8月の日本の敗戦後、命からがら「内地」に帰ってきました。外地に残された日本人約660万人は日本へ強制帰国(引き揚げ)されることに、大日本帝國軍の軍人・軍属は武装解除の上で民間社会に復帰させる(復員)ことになったのです。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その172《引揚者》渡辺幸重” の続きを読む

自民党の西田昌司参議院議員が「(ひめゆりの塔の説明は)歴史の書き換え」などと発言したこと、参政党の神谷宗幣代表(参議院議員)が「日本軍は沖縄の人を殺したわけではない」と擁護したことが問題になっています。現職国会議員が戦前の大日本帝国の価値観を押しつけようとする姿には唖然としますが、沖縄戦において日本軍が沖縄の民間人を虐殺した事件は体験者によって多く語られ、史実として定着しています。その一つが「久米島(くめじま)守備隊住民虐殺事件(久米島事件)」です。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その171《日本軍の住民虐殺》渡辺幸重” の続きを読む

小笠原諸島・硫黄島の南約50キロメートルにある海底火山「福徳岡ノ場(ふくとくおかのば)」が2021(令和3)年8月13日に噴火しました。噴煙の高さは約1万6千メートルにも及び、一時は新島ができるほど大規模なものでした(のち海没)。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その170《軽石来襲》渡辺幸重” の続きを読む

女性が素潜りでアワビ、サザエや海藻を獲る「海女(あま)漁」は世界でも日本と韓国に見られる漁法で、その始まりは約2,000年前と言われます。特に三重県の鳥羽・志摩地方では国内の約半分にあたる750人ほどの海女が活躍しており、海女が中心となって継承してきた祭りなどの伝統文化が息づいていることから2019(令和元)年5月に「海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽・志摩~素潜り漁に生きる女性たち~」として日本遺産に認定されました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その169《海女漁》渡辺幸” の続きを読む

日本列島には毎年台風が襲来し、大きな被害をもたらします。近年は気象変動(温暖化)のせいか“スーパー台風”と呼ばれる超大型の台風が増えたので心配が大きくなっています。私は“台風銀座”と呼ばれる琉球弧(南西諸島)に生まれ育ったので “連載コラム・日本の島できごと事典 その168《掘り下げ屋敷》渡辺幸重” の続きを読む