追跡「サハリンの冬/006」

最後の稚内行連絡船

稚内港北防波堤ドーム

サハリンの南半分は戦前日本の領土だった。行政は樺太庁という役所をおいて納めていた。樺太には日本人のほかに朝鮮人も多くいた。北海道新聞の調査によるとおよそ6万人だったらしいが、例によって日本はそんなに朝鮮から行っていないと、この数値が多すぎると問題化した。 “追跡「サハリンの冬/006」” の続きを読む

追跡「サハリンの冬・003」

強制連行

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いろいろな説があり「嘘だ、まことだ」と日韓の間で争われているのが「慰安婦問題」と「強制連行問題」である。筆者はこの強制連行の問題に関しては詳しく調べてみた。まず日本側は兵站の問題を抱えながら、無謀な戦争を引き起こした。勢い兵士が不足してくるわけだ。 “追跡「サハリンの冬・003」” の続きを読む

追跡「サハリンの冬・002」

サハリン残留朝鮮人

サハリンの冬の楽しみ「老人クラブで」

さて「サハリン残留朝鮮人」という呼び名に関して少し説明しておきたい。ソ連邦が崩壊し、ロシアがそのあとを継いでサハリンに住む朝鮮人たちにも春がやってきた。それまでは「朝鮮人」といえば北朝鮮人を指した。しかし「樺太の朝鮮人」たちは「元日本人」であり、韓国南部出身者が大半だった。 “追跡「サハリンの冬・002」” の続きを読む

追跡「サハリンの冬・001」

インターネットから

サハリンは北海道・稚内から宗谷海峡を隔てた海上の島である。南北に900キロほどもありその面積は北海道に匹敵するらしい。日露戦争で勝利した日本はサハリン島のおよそ半分である北緯50度線以南を領有した。以後1945年まで樺太と呼んでいたが、戦後日本の敗戦によって樺太はソ連が占有した。 “追跡「サハリンの冬・001」” の続きを読む

新年あけましておめでとうございます。

元日は田毎の日こそ恋しけれ(元禄2年)

芭蕉の句です。元旦の朝、田んぼのあぜに映る朝日が、以前見た更科の月のようだと恋しく感じられるというような意味だそう。そういえば筆者が子供の頃、家の周りは田んぼばかりで、この句のように凍った畔がキラキラと朝日に輝いていました。懐かしい風景です。
                                                                                                                                                本年もよろしくお願いいたします。

2026年元旦

現代時評[写真よもやま話ー4ー]片山通夫

しかし政府というか高市内閣は独断専行が多すぎるようだ。官僚たちとの整合性もあまりなく思い付きで総理答弁をやっている印象が多々ある。最も官僚のペーパーを朗読するだけの答弁もあるのが情けないのだが・・・。彼女の内閣を肯定するわけではないが、せっかく内閣総理大臣に就任したのだから、根性入れて、つまり千載一遇のチャンスなのだから、ここはじっくり構えて大方の国民の支持が得られるような政策を実行してもらいたいものだ。 “現代時評[写真よもやま話ー4ー]片山通夫” の続きを読む

散歩道《柳生は山里》片山通夫

柳生は山里である。今では奈良市内から車で小一時間で行くことができる。かつて作家の山岡荘八氏が「春の坂道」の構想を練ったという屋敷はかつての柳生藩家老小山田主鈴の隠居宅であり資料館として残されている。特に特徴のある山里ではないが、柳生家が治めていた時代、柳生藩の時代に思いを寄せることのできる静かな山里である。 “散歩道《柳生は山里》片山通夫” の続きを読む

散歩道《近江の国・朽木村の伝説》片山通夫

朽木村は滋賀県琵琶湖の西側にあった県下唯一の村だった。今は高島市朽木となっている。ここでは便宜上「村」と呼んでおこう。村を南北に突き通る道路は、俗に鯖街道と呼ばれている。その昔、若狭の国にあがった鯖を一塩して京の都に一晩かけて運んだためにこの街道はそう呼ばれている。 “散歩道《近江の国・朽木村の伝説》片山通夫” の続きを読む

現代時評[写真よもやま話ー2ー]片山通夫

時間はどんどん飛んでしまい、思い出すまま時系列なんてめんどーだとばかりに、某写真学校に通った時の話。いわゆる夜学生だった。確か夕方18時頃から21時までだったと記憶する。学校の場所は大阪梅田の近辺にあった関西テレビの横のビルの地下だった。大阪駅から学校まで行くのに太融寺というお寺の横を通る。近所には読売新聞大阪本社というのもあった。 “現代時評[写真よもやま話ー2ー]片山通夫” の続きを読む