Webサハリン物語《episode#11 サハリンの朝鮮人#02》片山通夫

板門店

【609studio】サハリンでも残留朝鮮人はソ連当局を相手に「祖国へ返せ」とデモを仕掛ける人もいた。筆者がインタビューした女性も息子夫婦とその子供を北朝鮮に送られてしまったと嘆く。息子が堅くなに「祖国韓国へ返せ」と当局に訴え出たため、業を煮やした当局は「そんなに帰りたいのなら」と船に乗り込ませた。 “Webサハリン物語《episode#11 サハリンの朝鮮人#02》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#10 サハリンの朝鮮人#01》片山通夫

 

ユジノサハリンスクで

【609studio】いわゆる「鉄のカーテン」の向こう側の実態はなかなか把握できない。それは取材し始めた頃から感じていた。サハリン州は「閉鎖都市」だった。シベリアで外国人が行けたのは、ナホトカやハバロフスクなどごく少数で外国人立ち入り禁止だった。 “Webサハリン物語《episode#10 サハリンの朝鮮人#01》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#9 中央アジアの朝鮮人》片山通夫

東京新聞より

【609studio】米ソ両国は、いや世界は第二次世界大戦後、いわゆる冷戦時代を迎える。鉄のカーテンと呼ばれた、スターリン時代のソ連は朝鮮半島に今も残る傷跡を残している。それは1950年6月25日の北朝鮮軍が韓国に攻め込んで始まった朝鮮戦争に代表される。戦争休戦に3年かかった。この間サハリンでは帰国できなかった朝鮮人たちは炭鉱、林業、漁業など第一次産業に従事していた。ロシア語のできない彼らに指導でいたのは中央アジアの朝鮮系ロシア人の通訳だった。 “Webサハリン物語《episode#9 中央アジアの朝鮮人》片山通夫” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その144《クナシリ・メナシの戦い》渡辺幸重

ノッカマップで行われるイチャルパの様子(根室市公式サイトより

【LapizOnline】北方四島の一つ、国後島(くなしりとう)と根室海峡を挟んで相対する北海道・知床半島の東南側の目梨(めなし)地方で1789(寛政元)年、アイヌ民族が松前藩に対して蜂起する事件「クナシリ・メナシ(国後・目梨)の戦い」が起きました。事件当時は「寛政蝦夷蜂起」「寛政蝦夷の乱」「国後騒動」「寛政元年蝦夷騒擾」などと称され,近代以降は「寛政元年の蝦夷騒乱」「寛政の乱」「クナシリ・メナシの乱」「クナシリ・メナシ地方アイヌの蜂起」などとも呼ばれます。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その144《クナシリ・メナシの戦い》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その143《住民投票》渡辺幸重

ミサイルが配備された陸上自衛隊石垣駐屯地

2018(平成30)年10月31日、沖縄県石垣市で石垣市自治基本条例に基づく住民投票を直接請求する市民の署名活動が始まりました。内容は、石垣島の於茂登岳(おもとだけ)麓に陸上自衛隊駐屯地を建設するという計画への賛成・反対の市民の意思をはっきりさせる住民投票の実施を石垣市に求めるものです。「石垣市住民投票を求める会」は11月30日までの1ヶ月間の署名期間内に住民投票請求の要件である有権者の4分の1を超える1万4,263筆の署名を集めました。これは有権者の約37%にあたります。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その143《住民投票》渡辺幸重” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#8 ソ連の軍政時代と新聞》片山通夫

戦後樺太で発行された「新生命」紙

【609studio】樺太全土を手中にしたソ連軍は当然のことながら「軍政」を敷いた。と言っても樺太ではまだ30万人ほどの日本人と一説には6万人ほどの朝鮮人が住んでいる。彼らにソ連の何たるかや軍政で世の中が日本時代とどのように変わるかを知らしめなければならない。 “Webサハリン物語《episode#8 ソ連の軍政時代と新聞》片山通夫” の続きを読む

お断りとお詫び

いつもお世話になっております。
筆者がコロナに感染したようで、
しばらく更新を停止いたします。

ご理解いただきますようお願いいたします

Webサハリン物語《episode #5 韓国併合》片山通夫

京城(けいじょう・現ソウル)にあった朝鮮総督府

【609studio】話は前後するが、1904年、日本とロシアとの間で 日露戦争が始まった。戦いを有利に進めた日本は、講和条約であるポーツマス条約において、ロシアから 朝鮮半島における優越権を獲得した。朝鮮は1897年に清から独立しており、国名は 大韓帝国 (韓国)に変わっていた。 “Webサハリン物語《episode #5 韓国併合》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫

若かった時の岡田嘉子

【609studio】戦前、稚内港と大泊港に「稚泊(ちはく)連絡船」が通っていた。ちなみにこの航路は210.0 km (130.5 mi)で8時間の航海だったという。この航路で樺太に渡った有名人に「銀河鉄道の夜」の構想を樺太で練ったと言われている宮澤賢治や、樺太から雪の北緯50度線を越えてソ連に亡命した岡田嘉子がいた。恋の逃避行説で有名な事件だった。
稚内港の北防波堤は吹き付ける吹雪を避けるための立派なドーム型の桟橋が残されている。このドーム防波堤に現在はないが稚内桟橋駅があった。樺太へ渡る人々はこの駅まで宗谷本線に乗ってきた。また大泊の桟橋は現在も使われている。 “Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫” の続きを読む

ごあいさつ

毎日暑い日が続いております。いかがお過ごしでしょうか。
東北地方では豪雨被害でお亡くなりになったり、水害などの被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
皆様におかれましてはご自愛されるよう。

8月7日は立秋だとか。
たとえ目に見えなくとも「風の音」に秋のさわやかさを感じたいものです。

Photo & Journal 609studio

LapizOnlineからの重要なお知らせ:編集室

かねてからお知らせいたしておりますように、従来からのLapizOnlineのドメイン「https://lapiz-international.com/」は2024年8月末日を持ちまして廃止いたします。
データのダウンロードも同日までです。ご注意ください。

現代時評《上げ底先進国》井上脩身

~競争力低下と小選挙区制~

【609studio】衆議院に小選挙区制が導入されて30年がたった。世襲議員が増え、政治の劣化が指摘されるなか、スイスの国際経営開発研究所(IMD)が2024年版「世界競争力ランキング」を発表、日本は38位と低迷した。競争力の衰えは円相場にも影響し、1ドルが150円~160円と円安が続いている。小選挙区制が導入された1994年ころ、IMD競争力が5位以内、円相場が94円(1995年平均)であったことを思うと、経済力の急激な低下は目を覆うばかりである。政府はG7国家にふさわしい外見を装うために、借金をかさねてきた。その総額は1297兆円とCDPの2倍を超える。これを菓子折りにたとえるなら、外見は30個の饅頭が詰まっているようにみせかけ、実は20個しか入っていない上げ底経済といえるだろう。わが国は世襲政治家らによる″上げ底先進国″なのである。 “現代時評《上げ底先進国》井上脩身” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#3 植民地朝鮮で土地収奪など皇民化政策》片山通夫

サハリンに残る奉安殿

【609studio】サハリンに朝鮮人がいるということは、強制連行であれ自発的に仕事を求めて渡った人であれ、結果的には植民地朝鮮では職を得ることができなかった人やその家族だ。 “Webサハリン物語《episode#3 植民地朝鮮で土地収奪など皇民化政策》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#2 なぜ樺太に朝鮮人が?》片山通夫

戦前の北緯50度線上の日ソ国境標識(写真は日本側)

【609studio】ボクはまったくサハリンに知り合いがいなかったが、韓国・大邱(テグ)に中ソ離散家族会と言う組織を知った。そこで紹介して貰って離散家族会の李会長を訪ねた。どこの馬の骨かもわからないボクを李さんは樺太(現サハリン)にいる彼らの留守家族を何人も紹介してくれた。留守家族とは強制連行で夫を父を労働力として樺太へ連れて行かれ、韓国に残された人々を指す言葉だ。樺太には最盛期では6万人もの朝鮮人がいたという調査を戦後北海道新聞が行った記録があった。 “Webサハリン物語《episode#2 なぜ樺太に朝鮮人が?》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《 episode#1 チェーホフのサハリン》片山通夫

チェーホフの肖像切手

【609studio】サハリンは複雑な歴史を持つ。サハリンは北海道の北端。稚内市と宗谷海峡を隔てて南北に長い形をした島を指す。サハリン島と言えばロシアの作家、アントン・チェーホフのルポルージュが有名で、本書は1890年に3カ月かけて取材した流刑の島サハリンの優れたルポルタージュである。帝政ロシア時代、チェーホフは流刑の地だったサハリンに赴き3カ月の間綿密な調査を行った。是非一度、読者の皆さんにもお読みいただきたい。
サハリン島 上 岩波文庫 赤622-7  https://x.gd/Th7m0 “Webサハリン物語《 episode#1 チェーホフのサハリン》片山通夫” の続きを読む