筆者はこのところ毎日と言っていいほど「ジェノサイド」について考える。きっかけは特にない。ただ8月15日が近づくと「終戦(敗戦)がテーマ」の記事や番組がよく見られるのが、きっかけと言えばきっかけである。ボクの心の底流には人が理不尽に殺されるということに関しての嫌悪感が大きく流れている。それも殺される側の人たちの責任ではないと言える場合に。 “現代時評《ジェノサイドについて考える》片山通夫” の続きを読む
散歩道《山城国分寺跡》片山通夫
話は前後する。風土記などを読んでいると、国分寺という名称がよく出てくる。辞書的に説明すると、国分寺とは741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院を指す。国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」。なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられた。
仏教によって国の安全を護るための寺院を国分寺というが、世の常、時代の新旧を問わず、当初は国司の怠慢から国分寺の建立は進まなかったようだ。ゆえに747年(天平19年1月)に「国分寺造営督促の詔」を出し、造営体制を国司から郡司層に移行させ、完成させたら郡司の世襲を認めるなどの恩典を示した。これにより、ほとんどの国分寺で本格的造営が始まった。
律令体制が弛緩して官による財政支持がなくなると、国分寺・国分尼寺の多くは廃れた。ただし、中世以後も相当数の国分寺が、当初の国分寺とは異なる宗派あるいは性格を持った寺院として存置し続けたことが明らかになっており、国分尼寺の多くは復興されなかったが、後世に法華宗などに再興されるなどして現在まで維持している寺院もある。なおかつての国分寺跡地近くの寺や公共施設(発掘調査など)で、国分寺の遺品を保存している所がある。
ボクがこの国分寺に興味を持つのは、ボクにとっては「幻の京」であった恭仁京(くにきょう)の場所を偶然知ったからである。恭仁京は木津川に近い京都府木津川市加茂町にある。
連載コラム・日本の島できごと事典 その177《朝鮮通信使》渡辺幸重

約3,000キロメートル
朝鮮通信使は足利・豊臣・徳川の武家政権に対して朝鮮国王が書契(国書)および礼単(進物)をもたらすため派遣した外交使節団のことで、通信使とは「信(よしみ)を通わす使節」すなわち「お互いに信頼関係を深めあう使節」という意味です。1375(永和元)年に足利義満が日本国王使を派遣、それに対応して高麗王朝が通信使を派遣したのが始まりで、安土桃山時代以降は李氏朝鮮からの派遣に変わりました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その177《朝鮮通信使》渡辺幸重” の続きを読む
現代時評plus《25/8/15 》山梨良平
今朝25/8/15の朝刊には「きょう終戦の日、各地で310万人の戦没者追悼…戦後80年の「首相談話」発表は見送り」と言う記事(読売新聞)が踊っていた。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250814-OYT1T50271/
「首相談話」発表が見送られる。なんでも10年前の「安倍晋三氏の談話を上書きされてたまるか!と言う自民党内保守派(?)の圧力のようだ。
結局石破首相は
戦没者追悼式の式辞で「反省」という言葉を復活させ、
「反省と教訓は一体だ」
とその理由を述べた。
【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219
────────────
【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219
──────────────
世界のニュース、井上脩身氏のコラムなど多彩な話題満載!
また諸般の事情によりサハリンの話題は都合により当面休止いたします。
毎週火曜日発行 購読無料!
購読 解除 https://www.mag2.com/m/0000052236
───────────────
◆現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後》井上脩身
───────────────
毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年
前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下
バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年
前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。天皇主権の国から、戦後、国
民主権の国になり、天皇自身「戦争勝利の神」から「平和をねがう象徴」に変
わったはずだ。この20年あまり、わが国の右傾化が目立ちだしたが、気の合
う友まで天皇崇拝者になったことにショックをうけ、このままでは戦前のよう
な国になってしまうのでは、とおそれおののいた。その懸念が戦後80年のこ
とし、現実化した。「天皇は国をしらす」と唱える参政党が躍進したのである。
なぜこのようなことになったのか。現人神から象徴へと天皇制が変更されたに
もかかわらず、昭和天皇が退位しなかったことにその一因がある、とわたしは
思う。戦後、この国は生まれ変わるため新たな憲法を制定した。その公布は新
しい天皇の名でなされるべきであった。 “【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219” の続きを読む
現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 全文》井上脩身
毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 全文》井上脩身” の続きを読む
現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身
参政党の憲法草案
昭和天皇が退位しなかったため、昭和時代は戦後も40年近く経過した1989(昭和64)年までつづいた。1960年ころから経済が高度に成長、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博を経て、「ジャパン・アズ・ナンバー1」といわれるほどに我が世の春を謳歌した。 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身” の続きを読む
現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 上》井上脩身
毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。天皇主権の国から、 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 上》井上脩身” の続きを読む
現代時評plus《せめて滅びに美学を!》片山通夫
大手新聞社を巻き込んで石破おろしを偽作する自民党旧安倍派や麻生派。何しろ、対米(トランプ)関税交渉も何とか治まったかに見える11日だが、15日の終戦記念日までに、石破おろしを完結したいところだが、 “現代時評plus《せめて滅びに美学を!》片山通夫” の続きを読む
エッセー[2025年夏の涙]片山通夫

あれから80年。この夏は節目の年だとあちこちで戦争にちなむ催しがあるようだ。
さて今日は8月9日。ナガサキに米陸軍の爆撃機が原子爆弾と言うとんでもない、まだ人類が経験したことのない爆弾を投下した。時間は11時2分。これに先立つ6日にはヒロシマに。ナガサキに落とされた原発の名前はファットマン。ヒロシマにはリトルボーイと言う名前がつけられていた。ナガサキのそれは「太っちょ」、ヒロシマの原爆にはリトルボーイ、つまり「チビ」。
今日、ナガサキの慰霊祭を見ていたら涙が出てきた。7万人の市民を一瞬に焼き殺した爆弾の名前が「太っちょ」だと。
ふざけている。2025年夏の涙。