現代時評[写真よもやま話ー5ー]片山通夫

さて写真の話。まず当時使っていたカメラ機材は先に述べたようにレオタックス、レンズはトプコール50ミリf2。なぜこの組み合わせだったかというと、中古市場で安かったからに尽きる。フィルムはコダックTRI-Xという舶来のフイルムには手が出なかったので、ネオパンSSS(スリーS ASA200)だった。このフィルムは当時仕上がりが荒くてコントラストも強かったと記憶する。富士フィルムのSはフィルムの感度を示す記号として使われ、S=ASA50、SS=ASA100(ネオパンSS)、SSS=ASA200という関係性で、感度(Speed)が高いことを示していた。そしてなぜかSSSは増感ができるという話があって、先に述べたTRI-X並のISO400まで引っ張った。おかげでハードで粒子の荒い写真が出来上がった。粒子を荒くする方法として、印画紙用の現像液を使ったこともある。これは現像時間の調整が難しかった。

カメラはトプコール50ミリのレオタックスという中古カメラだったとは、何度も書いた。実はこのレオタックスはいささか頼りなかった。なんとなく「いつ壊れるか」という心配があったのだ。それで同じ中古機でニッカという、まるでウヰスキーメーカーのような名前のカメラと交換した。お察しの通り、コピーライカである。このカメラはレオタックスと違ってしっかりした作りだった。
ボクはこのカメラをいたく気に入った。。

レオタックスは東京光学(現トプコン)のトプコールを装着していたがニッカカメラは日本光学(現ニコン)のニッコールを装着した。無論ボクはニッコールなんてレンズは高嶺(高値)の花でトプコールを使っていた。
戦前日本光学は主に日本海軍に、東京光学は主に日本陸軍に納入し「海のニッコー、陸のトーコー」と言われていたためその争いが再現していると言われたようだ。

ここまで書いて読者の皆さんも気が付かれていると思うが、ボクは交換レンズを当時は持っていなかった。なにしろ50ミリ1本で勝負していたわけだ。