
離島振興法は議員立法により1953(昭和28)年7月15日に成立、7月22日に施行されました。目的は「本土より隔絶せる離島の特殊事情よりくる後進性を除去する」ことで、そのための「基礎条件の改善並びに産業振興に関する対策を樹立し、これに基く事業を迅速且つ強力に実施すること」でした。「それによつて、
経済力の培養、島民の生活の安定及び福祉の向上を図り、あわせて国民経済の発展に寄与することを目的とする」と法律に規定されました。
この法律により“指定離島”において国庫補助事業による電気・水道の導入、港湾・漁港・空港・道路の建設、教育・医療の改善など生活と産業の基盤整備が進められてきました。対象となる島は北海道からトカラ列島(鹿児島県)にわたって指定された有人離島で、本土(北海道島・本州島・四国島・九州島)と架橋された島は指定解除されるなど増減を経過しながら現在は256島が指定されています。
離島振興法は10年の時限立法ですが、成立後10年ごとに改正・延長が行われ、2022(令和4)年11月に現在の改正離島振興法が成立しました。この間に目的や事業も変化し、インフラ整備のハード事業や産業振興に加えて「人口の減少の防止」や「定住の促進」を目的にしたソフト事業への支援も加えられています。
2002(平成14)年の第5回延長では「隔絶性、後進性除去」の表現が削除されました。一方、「離島の領海等での役割、自立的発展」という表現が導入され、現行法でも離島の役割として「我が国の領域、排他的経済水域等の保全、海洋資源の利用、多様な文化の継承、自然環境の保全、多様な再生可能エネルギーの導入
及び活用、自然との触れ合いの場及び機会の提供、食料の安定的な供給等我が国及び国民の利益の保護及び増進に重要な役割を担つている」と“領海や排他的経済水域(EEZ)等の保全”がトップに据えられています。
そのために「居住する者のない離島の増加」や「離島における人口の著しい減少の防止」を図るとしており、「離島における定住の促進」は「領海やEEZを守ることため」という国の方針が透けて見えます。
この国の意図がはっきりと示されたのが2017(平成29)年4月に10年間の時限立法として制定施行された「有人国境離島特別措置法(有人国境離島地域の保全及び特定有人国境離島地域に係る地域社会の維持に関する特別措置法)」です。領海やEEZの保全を目的として国が船舶・航空運賃を一部負担したり土地の買い
取りや港湾整備をすることなどが掲げられています。
これらの経過から国は過去の無人島政策から一転し、島嶼に人を定住させて領土領海の実態を作ろうとする“国家の意思”が強く感じられます。
離島振興法成立に尽力した民俗学者・宮本常一は1955年の第1回全国離島青年会議において「法ができたから島がよくなるのではない。島がよくなろうとする時、法が生きるのである。このことを忘れてはいけない」と訴えました。はたして島の自立や自主性は発展したでしょうか。
そのほか、離島振興法と同様に島嶼の地域振興を掲げた法律として1954(昭和29年)年制定の奄美群島復興特別措置法(現在は奄美群島振興開発特別措置法)、1969(同44)年制定の小笠原諸島復興特別措置法(現在は小笠原諸島振興開発特別措置法)、1971(同46)年制定の沖縄振興開発特別措置法(現在は沖縄振興特別措置法)があります。前者の前2法は5年、後者は10年の時限立法でそれぞれ改正を重ねて現在に至っています。
– 1 –