この街道は「北」へ行く街道だ。それはその通りなのだがボクはなぜかロマンを感じた。昔、親しい友人が「海を見に行く」と言って何日か行方不明になっていたことがあった。特に用事もなかったので気が付かなかったが、彼は帰ってきて「海を見に」言っていたと話していた。どこへ行ったのか訊ねたら「北國街道」と言って越前海岸で海を見ていたということだった。
越前海岸は福井県にある。岩礁の海だ。いわゆる日本海の荒海を感じさせる海である。彼が何を思ってそんなところまで行ったのかはいまだにわからない。最も聞いても答えなかっただろうと今も思う。案外失恋の果てだったのかもしれない。
琵琶湖の北、いわゆる湖北に木之本宿という宿場町がある。ここも北國街道が通っている。北國街道とは、江戸時代に整備された近畿と北陸、そして信越を結んだ街道で、古代からの「北陸道」の主要部分を指す。中山道から分岐して新潟や北陸地方を通り、金沢、富山、新潟方面に至り、また長野県では善光寺を経由して中山道に合流する経路も含まれる。
その木之本宿は面白いことに芭蕉の有名は「奥の細道」で北陸・越前から最終地の岐阜大垣に至るまでの間に彼は通ったはずなのに「奥の細道」には書かれていない。木之本から伊吹山のふもとを東へ行き関ケ原へ抜けて美濃の国・大垣で旅は終わっている。いわば木之本宿や湖北の地域は芭蕉には興味がなかったのかもしれない。しかし湖北にはそれなりの風情もあり、賤ケ岳、姉川、小谷城など古戦場も点在しているところなのにとボクは思っているのだが。芭蕉は大垣の宿で旅を終えたのち、生まれ故郷で忍者の里・伊賀上野へ向かったらしい。
北國街道木之本宿に話を戻す。木之本宿は北國街道にあり、北国街道と北国脇往還が交わる宿場町であり、南は中山道と米原あたりで交わり、北は越前へ抜ける街道の琵琶湖畔最後の宿場である。北国脇往還は(ほっこく わきおうかん)とは、北陸道に対する脇往還(脇街道)となる街道をさす。中山道の関ヶ原宿(岐岐阜県関ケ原町)から北陸道(北国街道 (近江))の木之本宿(滋賀県長浜市)に通じる脇往還である。北陸からの参勤交代でも利用された。
本陣、脇本陣もあり牛馬市も頻繁に開催され、最盛期には数百頭の牛馬が集まったといわれている。また木之本は良質な生糸の産地であり、和楽器糸の生産が盛んな地域である。やはりどこであれ、他国と街道で結ばれているということは、経済も当然だが、文化も生まれ育つということだろうと思う。