筆者はこのところ毎日と言っていいほど「ジェノサイド」について考える。きっかけは特にない。ただ8月15日が近づくと「終戦(敗戦)がテーマ」の記事や番組がよく見られるのが、きっかけと言えばきっかけである。ボクの心の底流には人が理不尽に殺されるということに関しての嫌悪感が大きく流れている。それも殺される側の人たちの責任ではないと言える場合に。
ウクライナでも、ガザ地区でもジェノサイドと言える殺人が常態化している。相手はロシアとイスラエルだ。特に最近イスラエルの作戦は目に余る。80年以上前にドイツはユダヤ人を殺戮し、戦後ナチスドイツは世界中から非難を浴びた。ドイツはその後、ナチスによるジェノサイドを徹底して検証し、賠償をしたことは周知の事実であり、今もなおナチスの犯罪を追及ている。
今後おそらくロシアやイスラエルは、これらの犯罪に関して追及を受けることになるだろう。無防備な民間人に対する殺戮は決して許されることではない。勿論そこには時効という考えも成立しない。例えば先に述べたように、ドイツはナチスのユダヤ人に対する贖罪からイスラエルの立場を理解していた。しかしここに及んで、あまりにもイスラエルのガザ地区のパレスチナ人に対する殺戮がひどいので、武器などをイスラエルに供給することを中止すると発表した。
またフランスに続き、英国、カナダ、ポルトガル、マルタ等の諸国がパレスチナの国家承認を発表した。このようにイスラエルに対して殺戮の中止を求める潮流は、今後、アフリカ諸国、中東諸国など世界に広がる可能性が高い。。時期はこの秋の国連総会がピークになり、パレスチナ国家が現在オブザーバー参加(議決権がない)の国連に正式参加する可能性を見出したい。
ここでジェノサイドという語に触れておきたい。
ジェノサイドとは「国民的、民族的、人種的、または宗教的な集団を破壊する意図を持つ行為」を指すと一般的な概念は指す。
一方、ホロコーストは第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人を主な対象とした組織的虐殺を指す固有名詞である。
国連構成国の一員である我々日本には上記の行為を禁止されていると言っても過言ではない。
つまりジェノサイドの禁止は言葉遊びでなく、実際の行動でそれを示す必要があると思う。事態が一刻も早く好転することを願う。