
陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す。中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し、中には神職の一種のように見られる者も存在する。つまり天文学などのプロと考えればいいのだろう。
もっとくだけた話をすると、テレビドラマなどで有名になった平安時代、様々な妖怪変化が京の都を跋扈していた。その妖怪変化を封じ込めるのが、能力を持った陰陽師の使命だった。有名な陰陽師に安倍晴明(あべのせいめい)がいた。
ボクはある意味得体のしれない陰陽師に興味津々である。
安部晴明の出自ははっきりしない。もっとも平安中期のことだったので、今のようにはっきりとした記録があるわけでもない。平安時代中期(10世紀から11世紀)に活躍した陰陽師だったと言われている。平安朝で陰陽寮に所属し、天文や暦の研究、占術をつかさどっていた。優れた占術の能力で天皇や時の実力者、藤原氏の信頼を得ていたと言われている。また彼は、神仏の使いや従者として使役される霊的存在を指す「式紙(しきがみ)」を操り、妖怪変化と対峙しそれらを無力化する能力に長けていたという。
ボクは京都市中を舞台に起こった応仁の乱、つまり応仁元年(1467年)から文明9年(1477年)まで続いたこの内乱で京都から疎開したと言われる土御門家の祀る天社宮が福井県の山中、おおい市名田庄にある天壇にとても魅せられる。
又、京都御所から同北区、神護寺や高山寺を進み京北町、南丹市美山を通る周山街道終点が名田庄である。
註:土御門家(つちみかどけ)は、平安時代から朝廷に仕えた公家の家系で、天文、暦道、陰陽道に精通していました。安倍晴明を始祖とする説が有力で、室町時代に土御門家を称するようになった。
詳細はこちらに詳しい。 https://onmyodo.jp/tensha/
註:式紙とは陰陽道において陰陽師が使役する鬼神のことで、人の善悪を監視したり、様々な使役を行うとされている、