連載コラム・日本の島できごと事典 その168《掘り下げ屋敷》渡辺幸重

渡名喜島の農村集落(「文化遺産オンライン」サイトより)

日本列島には毎年台風が襲来し、大きな被害をもたらします。近年は気象変動(温暖化)のせいか“スーパー台風”と呼ばれる超大型の台風が増えたので心配が大きくなっています。私は“台風銀座”と呼ばれる琉球弧(南西諸島)に生まれ育ったので台風は身近に体験しており、家がミシミシと鳴る中を親戚の家に避難したり、森の木が倒れて屋根を壊したり、強風で作業小屋が倒壊したり、倒れた稲を起こしに行ったり、たくさんの思い出があります。大きな声で言えませんが、子どもにとって学校が休みになるのは楽しい思い出でした。

台風銀座の人々は台風の被害を避けるためにさまざまな工夫をしています。対策の中心は屋敷や田畑のまわりに育成した防風林です。木の種類は島によって違うでしょうが、私の島(屋久島)ではハマヒサカキやマキでした。

那覇(沖縄県)の北西約55kmに浮かぶ渡名喜島(となきじま)ではフクギの屋敷林や琉球石灰岩の石垣に加えて、敷地を掘り下げて地面より低い位置に家を建てる「掘り下げ屋敷」で強風の影響を少なくしています。

どのくらい低くしているのか調べると「屋根の高さが道路とほぼ同じになる」「道路面より1メートルほど低く掘り込む」などの記述があり、さまざまなようですが、「特に深い家では地面との高低差が約1.55メートルになる」そうです。

渡名喜島のこれらのたたずまいは「渡名喜島の農村集落」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。約120軒残っている掘り下げ屋敷を大きな特徴とし、白砂の道路をはさんで短冊型に区画され、屋敷林や石垣に囲まれた赤瓦の家が並ぶ光景は美しく、琉球王朝時代の地割制(ユシー)の名残をとどめています。

渡名喜島の美しい集落が残ったのは第二次世界大戦時の沖縄戦で戦闘がなかったからです。しかし、渡名喜島の西約4キロメートルにある無人島の入砂島(いりすなじま)は戦後、米軍に接収され、米空軍の空対地射爆撃訓練によって島の原形を留めないほどに地形や生態系が変わったということです。沖縄では平和な風景のすぐそばに戦争の影が残っています。