
奄美群島の沖永良部島(おきのえらぶじま:鹿児島県)の空港は沖永良部空港ですが、愛称は「えらぶゆりの島空港」です。えらぶゆりはテッポウユリの一種でほのかな香りを持つ純白の花です。年末年始や冠婚葬祭などには欠かせない花ですが、沖永良部島はテッポウユリの日本一の産地で、切り花として200万本以上の出荷量を誇り、国産テッポウユリの生産量全体の80%を占めています。
島の東部・和泊町にある「笠石海浜公園」には約4万球の球根が植えられた「笠石ゆり園」があり、4月下旬~5月上旬にかけて12万輪ものえらぶゆりの花で彩られます。栽培の開始は1902(明治35)年と早く、球根の海外輸出により国内より先に海外で人気が高まり、アメリカで聖母マリアの花として「エラブリリー」という名前が付けられました。その名称が逆輸入されて「えらぶゆり」になったのです。島の民謡『永良部百合の花』にも「永良部百合ぬ花 アメリカに咲かち」と歌われています。
2020(令和2)年には切り花などの観賞用植物としては全国で初めて、地域の農作物や食品のブランドを守るための国の「日本の地理的表示(GI)」に登録されました。
テッポウユリは九州南部から琉球弧(南西諸島)にかけて自生しており、沖永良部島では1899(明治32)年から栽培が始まったとされます。
島の伝承によると、1898(同31)年に難破したイギリス船に乗っていたアイザック・バンディングが沖永良部島に漂着しました。バンディングはイギリスで花の商人をしており、島のテッポウユリの美しさに感動し、住民にユリの栽培を勧めました。彼は「3年後に私がこのユリの球根を必ず買い付けに来ます」と言いました。横浜でプラントハンターとして輸出商社を営んでいたバンディングは1902(同35)年に沖永良部島を訪れ、テッポウユリを買い付けたということです。
記録としては同年にバンディングの仕入れ主任であった伊沢九三吉が来島して島在住の市来崎甚兵衛にゆり集荷をさせたという記述されています。
その後、本格的なテッポウユリの栽培が進み、品種改良や流通機構の改善によって沖永良部島はユリの一大産地となりました。明治時代から1985(昭和60)年頃までは球根を海外に輸出し、オランダやアメリカなど世界各国で名声を博しました。1981(同56)年にはテッポウユリの切花を「えらぶゆり」として出荷を始めましたが、球根から花までの一貫生産は国内唯一だということです。現在は国内各地の切り花産地からも沖永良部島産の球根から栽培したえらぶゆりの切り花が出荷されています。
えらぶゆりにはいくつもの品種がありますが、現在代表品種となっている「日の本(ひのもと)」は1965(同40)年頃に福岡県の中原喜右衛門が薩南諸島の屋久島(鹿児島県)に自生していたユリから育成した品種です。
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