連載コラム・日本の島できごと事典 その188 《沖縄返還要求運動海上集会》渡辺幸重

沖縄返還要求海上大会で27度線上に集結する船(1965年:沖縄県公文書館サイトより)

2022(平成34)年4月28日、奄美群島・与論島(よろんじま:鹿児島県)南方の北緯27度付近の海上に約20隻の船が集結し、海上集会が開かれました。これは沖縄が米統治下にあった1963(昭和38)年から1969(同44)年まで毎年4月28日に沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が開いていた「沖縄返還要求運動海上集会」を、沖縄の日本復帰50年、米統治開始から70年に当たるこの年に鹿児島県側の与論町と沖縄県側の国頭村(くにがみそん)が主催して再現したものです。与論島と沖縄島から出発した参加者は会場で合流し、「沖縄を返せ」を合唱して「平和の絆」を確認し、友好平和宣言を読み上げました。地元新聞は「辺野古新基地建設や基地被害、米兵の事件・事故など今も残る問題の解決や日米地位協定の改定を訴えた」と報じています。

第二次世界大戦後の1952(同27)年4月28日、対日平和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効して日本は主権を回復しましたが、北緯30度以南の奄美群島や沖縄、小笠原諸島などは米国の統治下に置かれ、分断されました。奄美群島は1953(同28)年12月25日に施政権が日本に返還されましたが、沖縄では1972(同47)年5月14日まで米国の直接統治が続きました。
条約発行日の4月28日は“屈辱の日”として記録され、1960(同35)年に結成された復帰協はこの日を「4・28沖縄デー」と呼んで毎年復帰要求県民大会を開くとともに祖国復帰要求大行進を展開し、“国境”とされた北緯27度線上の海上で船上集会を開いて本土代表と交流し、闘いの連帯を固めるようになりました。

海上集会には本土側、沖縄側から漁船や連絡船、民間船が多数集まり、横断幕を掲げ、汽笛を鳴らし、海上デモを行いました。集会では返還要求決議文が読み上げられ、参加者は「沖縄を返せ」「27度線をなくせ」と声を上げ、黙祷や万歳三唱もあったようで、参加者の声や拍手が海上に響いたといいます。船団が27度線に接近すると海上保安庁の巡視船が警告を発し、この線を越えようとする漁船や抗議船と接触事故を起こす寸前までいく緊張状態が何度も起きました。
海上集会の規模は、はじめは数十隻の船で数百人?千人前後の参加者でしたが、1968(同43)年以降は運動が盛り上がり、100隻前後の船が参加した年もあったようです。返還直前の1972(同47)年は最大級の規模になったといわれますが具体的な数値はわかりません。

海上集会の現場に近い与論島住民の沖縄への思いは強く、毎回島を挙げて多くの住民が参加しました。学校や商店が休業して船を出した年もあったということです。

 

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